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帰省する妻、戻る妻。

妻と私は人間で、言葉が通じる。

なので、怒鳴り合いの喧嘩はせず、基本的に話し合いで解決する。

妻はじっと私の顔を見つめ、右手の柔らかい指でそっと私の頬に触れる。

「……おヒゲ剃りな」

「……はい」

このようにだ。

私はヒゲを剃る。電気シェーバーでウイイインと剃り、顎、頬、鼻の下のヒゲを剃った。そして、また妻の前に座る。終わりましたが? という顔をして頬を見せる。

妻はまた私の顔を見て、今度は端から端まで見回しす。そして、右手の指で私の頬に触れる。

「バツ!」

喉を指す。

「バツ!」

反対側の頬も指す。

「バーツ! やりなおし!」

そしてもう笑い始めてしまい。

「ぜんっぜん剃れてない」と言いながらウヒャウヒャ笑っていた。私は渋々洗面所に行き、カミソリで剃り残しを剃った。電気シェーバーが悪いのだ。いつも同じところが剃れない。お風呂に入ったときにカミソリで剃れば良いのだが、良く忘れてしまう。

他にも、料理をしていたときなどは例えば私がカレーを焦がしてしまうと「まぁ、〇〇くんはお料理があんまり得意じゃない個体だからね」とある意味で個人を尊重したフォローを入れてくれる。

私も怒るときはあるが、どちらかというと「怒っていることを分かってほしい」という気持ちが強い。なので、肩を怒らせ、足を大きく上げて妻に背中を向けて歩く。

「どうぶつの森の怒り方してる」

伝わると嬉しい。「そう! どうぶつの森の怒り方!」と言って、私はもう一回それをやる。背中越しで見えないが、多分妻は苦笑している。

そんな感じで、我々はコミュニケーションを図っている。結婚して五年目に突入して分かったことだが、基本的に妻は正しい。あとはむしろ、私のタイミングの問題である。

例えば掃除。これは私と妻で大きく考え方の異なる概念である。私にとって掃除は「邪魔なものをどける行為」であり、基本的に何かをする前に行う。風呂掃除ならお風呂に入る前、食器洗いなら料理をする前である。

しかし妻にとって掃除は「特定の場所を一定水準以上の清潔さに保つ行為」を指す。そして我々の「清潔さ」はかなり差があるため、私は意識しなければ気がつくことがほぼ不可能である。

扉の影に髪の毛がたくさん落ちているのが嫌。食器はシンクいっぱいだと嫌。玄関に段ボールが束になって置いてあるのが嫌。など、私は一切気にならない部分が、妻は気になる。普段は妻自身が掃除しているが、時々「限界です!」と言って、耐えられないゾーンを教えてくれるので私はそこを掃除する。

しかし、掃除と言ってもとても良くできたものとは言えず、何しろ自分の気にならないものを片付けるというのは、何もおいてない机を掃除するようなものでどの程度どこからどこまで掃除すれば良いのか分からない。例えばなにもない机でも表面のホコリが気になる人もいれば、脚まで掃除する人もいるだろう。乾拭きでいい人もいれば一度水拭きしてから乾拭きする人もいる。その程度が私には全く分からないので、掃除機で髪の毛を吸ってみるが、妻は「そのまま廊下もかけて」という。言われる通りに特に汚れていない廊下に掃除機を何度か往復させる。

「どうでしょうか」

妻の評価はだいたい「まぁまぁ」であり、私の方で数字に直すとしたら62点のC評価ぐらいである。許せる程度になったということで、一旦良しとしている。妻には全く信じられないことだと思うが、掃除する前と掃除したあとで具体的にどう変わったのかはあまり良く分かっていない。段ボールの束を捨てたときぐらいは流石に分かる。しかし、髪の毛はよほどの量で無い限り私の行く手を阻むことはない、つまりは邪魔ではないのですごく快適になった感じはしない。シンクの食器も、自分が料理をする時には片付けるところから入るが、この家で料理をするのは9割方妻なので不便を感じる機会は一人暮らしのときよりずっと減った。

結果妻の負担は増えているわけだが、それに私が無意識で気がつくことはまず無い。気を付けて頑張りましょう、という抽象的なスローガンを掲げたとしても無理だと思う。努力する心がけが大事ともいうが絶対に無理だと思う。

そんな妻が帰省した。

わりかし土日で帰ることが多かった妻だが、職場の環境改善により金曜日に実家へ帰って日曜日に戻って来るパターンが発生するようになった。

「明日は昼には出るからね」

と、木曜日の夜に(おそらく三回目くらいのアナウンス)聞き、私は「思ったより、早い」と思い、妻は(あ、こいつ、土曜日の夜だけ凌げば良いと思って油断してたな)と勘付いた。

「お、おう」

私は食器を片付け、妻に言われて渋々お風呂に入った。

……寂しい。妻、二日居ない。寂しい。

ボーッとお風呂に入っていると妻が覗きに来た。そして、私を見て崩れるように笑い出した。

「油断してたんだ……ふふ、完全に油断してたんだ。ふひ」

私はどんな顔をしていたのだろうか。

そんなこともあって、ちょこちょこ妻が実家へ帰る。私は基本的に実家へは帰らない。二人共実家がそんな遠くないんだから、別に行く必要なくね。の理論で取り敢えず私の方は通している。動くのも、めんどくさいし。

しかし、妻がいないと寂しいものである。ぽつんと部屋に一人、特に誰との会話もなくパンを食べる。昼を過ぎて、夜になっても誰とも話さない。

そんな私を気遣って、夜になると妻は私に電話してくれる。

「寂しいねぇ」

「ふふふ」

それから他愛もない話をして、おやすみを言って、大好きと伝えて電話を切る。でも、寂しさを抱えながら私は眠った。

翌日、夜に友達が遊ぼうと言うのでゲームをして遊んだ。妻から電話が来る。

「ちょっと一旦電話してくるわ」と友人に告げ、妻に電話する。

「もしもし」

「もしもし」

優しい声色の妻がいる。

「寂しくない?」

いたずらっぽく妻が聞く。

「あ、今友だちと遊んでるんで全然寂しくないっす」

「アレッ。思ったのと違うな」

「戻って良い?」

「アレッ。ふっ、ふふっ」

「……現金なやつだと思ったでしょう」

「思ってるよ」

「お見通しだからね」

「あ、じゃあ今遊びを抜けて電話かけてくれてる?」

「そう」

「そいつぁ失礼したね」

「じゃ、そゆことで」

そうして私達は、おやすみ、大好き、と言い合って電話を切った。まぁ、こんなものである。

私は遊びに戻り、妻は眠る。距離は違えどいつもの過ごし方だ。電話を切る間際に、帰りの時間を聞き「迎えに来て!」という妻の要望にとりあえず渋々外に出ますよと態度で示しつつ応えた。

新大阪駅で妻と合流する。久しぶりに大阪まででたので私は電車を少し乗り間違え、五分ほど遅くなった。

「おかえり」

「ただいま」

妻は私の頬のあたりを触った。

「お花畑があるね」

剃り残しの湾曲表現を見つけて妻は帰ってきた。

それから、妻の土産話と食べ物のお土産を手渡された。帰省しているときに色々出かけたらしく、いくつかの写真を見た。妻はとても楽しそうだった。

電車に乗って帰る。妻がまた住処に戻ってきたことに安心しつつ、私はまた妻の居る生活へと戻っていくのであった。

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