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嫌いって言われたら多分泣く。

妹がいる。

三歳下の妹だ。未だに連絡をほとんど取り合っていない。先日も彼女の誕生日だったが、特にメッセージは送らなかった。仲がいいとは言えないし、互いが互いをどう思っているかもわからない。むこうから私がどう見えていたのか、手前勝手に想像する他なく、聞くのも野暮ったいくらいだ。

ただ、妹の人生において私という存在は大きな負債だったのではないかと思う。例えば、私が不登校になった頃、妹は小学三年生だった。それから、彼女が小学六年生になっても、私は学校へ行かなかった。中学へ上がると、〇〇の妹、と先生に言われたという話を覚えている。ほとんど学校にいかなかったのに、名前だけは認知されていた。ほとんど学校に行かないやつは、やはり噂になるものだ。

好きな時に起き、好きな時に学校へ行き、好きな時に、好きなことをする。そして、自分のしたくないことは頑としてさせてくれない兄だった。例えば、妹が友達を家に泊めたいというとき、私は必死に反対した。しかし、むしろ中学生で引きこもりの兄がいる家に友人を泊めたいという妹も、中々度胸がある。

というのも、私と同級生で自閉症を持っている友人の家に行ったとき友人の弟が「兄ちゃんが障害者って恥ずかしいじゃん」と言っていた。

「……何が?」と、聞いたが「なんとなく」としか返ってこなかった。しかし、兄が何らかの疾患を抱えていると、下の兄弟は恥ずかしさを感じることがあるらしい。見せたくないとか、知られたくないとかもあるだろう。

あまり共感のできなかった一事例であるが、しかし「兄がヤバいと妹は恥ずかしい」という例を学んだ。他人事のときは「知るか。俺はゲームをしに来てるんだから良いんだよ」と思っていたが、自分が引きこもり側になったときの妹の記憶は、ほぼ無い。例えばどこの高校にいたかは知らない。

やりたい仕事はギリギリ知っている。でも、それも三年くらい前のものだ。今している仕事は果たしてやりたいことなのか、なにか苦しんでいることはないか、そういうことも私は知らない。

最後の関わりは、怒らせてしまったときだろうか。結婚したあと、家を出て、関西から自分の記憶をなぞった文字を書いた時「ママやパパの愛情が一つも伝わってない」と本気で怒っていた。怒り方や、怒る理由まで、かつての両親にそっくりだった。

それから互いに音沙汰もない。顔を合わせる機会も、膝を突き合わせる機会もない。もはやどの程度正しいのかわからない朧気な記憶の中に妹がいる。

スイミングスクールで、コーチに抱えられながらジャンプ呼吸をしていた。私が小学二年生頃だっただろうから、むこうは、三歳か四歳だっただろう。ガラスの向こうのプールで妹は水から顔を上げるたびに手で顔を拭っていた。顔を拭かなくなったら、一つレベルアップする。

……とか、もう、そのくらい昔の話なのだ。お邪魔ドレミが好きだった頃や、プリキュアに私のほうがハマったときにも近くにいた。しかし、もはやプリキュアは15年以上前の話だ。白と黒の主人公二人がただの「プリキュア」から「初代プリキュア」と呼ばれるようになって久しい。

彼女から出たという不平不満も「おにいちゃんにだね『ちゃん』がついて、なんで私は名前だけでよばれるの!?」という可愛らしいものを祖父に聞いて以降、ほぼ覚えていない。恨まれる心当たりは数え切れないくらいある。しかし、加害者側というのは往々にして相手を本当に傷つけた一撃を覚えていないものだ。

妹にとって私は、どのような存在だったのだろう。結婚の挨拶に時間を割いて来てくれた日も、私は彼女とは口を利かなかった。喧嘩をしていたわけでも、待っていたわけでもない。ただ、勇気がなかった。

「元気にしてるか?」と聞く権利さえ無い気がした。彼女は私を恨んでいるだろうと思った。祝の場に来ているのにだ。この時間さえも、彼女には苦痛で、早く終わらせてほしい時間だったのかもしれない。苗字を変えたあと「もう家から出ていった人だと思っています」と妹は敬語で私に言った。

それを度々思い出す。その時返した言葉は、決してきれいなものではなかった。ただ、最後に残ったのは「あなたの荷物を背負ってくれるパートナーと出会えますように」という、祈りだった。

勝手に祈られても困ると思うのだが聞いて欲しい。

私が苗字を変えたのは、単に「名前の変更に伴う事務手続きを一方的に押し付けるのが嫌」という私のポリシーのようなものがある。裏を返せば「お前に苗字の変更を強いるような男と結ばれるな」という呪いを秘めている。

「妹のために苗字を変える覚悟はあるか」と聞いて「婿入りしろってことですか?」などと返ってこようものなら「もうちょっと結婚について勉強してこい」などと、私は言ってしまうだろう。なので、そういう奴はいないほうが良い。

私の記憶の中では、妹は未だに庇護対象なのだ。これは、凶悪である。自分のことを未だに5歳だと思っている兄の庇護は相当厄介だ。まず、したいことをさせてくれない。次に、自分の話を聞いてくれない。そして、兄側はそれを愛情だと思い込んでいる。これはもう洒落にならない脅威である。

絶対離しておいたほうが良い。LINEもブロックしておいたほうがいい。このメッセージも、届かないことが理想である。

私には妹がいるという事実と、妹には兄がいたという事実が残り、あとは願わくば互いに厄介事を引き起こさずに生きることだ。私の妹だという理由で、彼女は長らく苦労してきた。

不登校の兄。文字を勝手に書いてインターネットに放流する兄。勝手に結婚して家を出ていった兄。その妹である。

好きとか嫌いとか、そういう概念ではない。色々なものが捻くれて、確かに私の人生に影響を与えたはずの人物だ。しかし、彼女にはどうにも触れがたい。どう思っているのか、と、聞くべきときに私は側におらず、今なおその状態が続いている。

きっと会っても、良い結果にはならないだろう。そんな確信に満ちた予感が、ずっと胸の中で渦巻いている。自分の気持ちを素直に話すには、まだ幼い、と、永遠に縮まらない差を言い訳にしてここまで来た。

しかし、書き残しておきたい。記憶はどんどん消えていくものだ。会わなければ忘れていくし、もうまともに話さなくなってから10年近くになる。

私には妹がいる。祝ってはいないが誕生日を覚えている数少ない人物の一人だ。

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