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義兄妹の顔も好みです。

妻の親族と会った。

お義父さん、お義母さん、お義兄さん、義妹さん、なんで義妹だけ「お」が付かないんだと打っていて思ったがそれはまた別の話。

数年ぶりに妻の実家へと足を運んで思う。

「この家の顔、めちゃくちゃタイプだな。義妹さんすげぇかわいいし、お義兄さんめちゃくちゃイケメンだし。顔の系統が好きなんだろうな」

妻が一番であるというのは前提の上で、造形の上でこの人々はめちゃくちゃ好きである。

義妹さんは、当初かなり人見知りだったが「ウェイ」みたいな絡みをしてくるようになったし、お義兄さんも「……オス」みたいな感じだったのが別れ際に陽キャの握手をしてくるようになった。

すぅきぃーーー。気分がいい。すごく気分がいい。お義兄さんも義妹さんも名前+さん付けで呼びたい。もしも同じ教室に居たら間違いなく交わらない関係なので、急に属性の違う人々と身内になると体がびっくりする。

特に私の家は「暇なら動く」みたいな、あまりにも慌ただしい人々で、ファッションよりも断然機能性と言わんばかりの服選びで、夏はキャンプ、冬はスキー、だから別にメイクなんかしないよね、どうせ汚れるし。行き着く先はどうせ汚れた体、というあまりにも極端な性質をしていた。その極端さは私にあまり良くない形で影響を与え、服は最低限、外に出ないで済むなら出たくないなどの様々な要素が重なり立派なインドアオタクを生み出していた。

父がスーツを着るくらいでファッションに気を配る男子などおらず、制服なら制服で良い。そんな生活をしていた。

小学校はそんな感じなのでとりあえず怪我しないように長ズボンを履いていた。また、私の高校は制服でも私服でも良い高校だったので、基本制服だったがたまには私服を着ていくかと、緑と黒のチェック柄のフリースを着て登校した。

私の周りは優しい友人ばかりだったので表立ってファッションを指摘してくることはない。しかし「……なんであいつ、突然スイカみたいな服着てきたんだ?」となり、二年生に上がって「なんであいつ、いつもスイカみたいな服着てんだ」となってから、いよいよもって我慢できなくなった友人の一人が「なんでお前いつもスイカみたいな服着てんの?」と聞いてきた。

「は?」

私は何を言っているのか分からず、聞き返した。

「いや、その服。スイカじゃん」

「え、スイカかな」

「色味が完全にスイカ」

「別によくない?」

「正直……ダサい……」

「……別によくない?」

「お前が良いなら、いいけど」

私の友人は優しい。結構、勇気を持って服装を評価してくれたが私が全く興味を示さなかったため引き下がってくれた。

「〜〜ってことがあってさ、そんなにスイカかな?」

後日、恋人に聞いた。

「スイカだよ。大体、私が『今日告白するぞ』って決めて髪の毛とか編んでもらった日もそのスイカだったよ」

と、忌々しそうに私の服装を見た。

「そうかぁ」

小学生の頃は服のサイズが小さくなってそれをきっかけに服の交代を行っていたが、背の伸びが止まるとそういった窮屈さは発生しなくなる。その後、恋人と服を買いに行くことになり渋々といった感じでジーパンを買ったりジャケットを買ったりした。

久しぶりに「試着」というものをしたのを覚えている。そこから徐々に服が地道に揃っていった。しかし結局、下着を履いたらズボン、上はインナーとシャツとジャケットがあればいい。五種類で私の服は完成する。

このとおり完全に服装や自分の身だしなみについての知識欲は生まれず、恋人もその辺については諦めてくれたので私は常に「気に入ったよく乾くダサい服」を着て歩くようになった。

しかし、ゆくゆく妻となる恋人の家族は違った。お義兄さんも義妹さんもドラマに出てくる人みたいな格好をしていた。

え、めっちゃ良い。

このとき、ゴリゴリにダサい格好をしていた私が、恋人の親族という形で全く交わらないタイプの人々に巡り合ったのである。

恋人に話したが「ふーん」みたいなリアクションだった。時を経て妻となり、そして今回の帰省に繋がるのだが「お義兄さんと義妹さんが、マジで好き」と言うと妻も覚えていたようで「前にも言ってたね」と言った。

そして私は布団に横たわり、冷静に天井を見た。

……もう、義兄、義妹もののエロ本、読めねぇな。

夜に考えることなんてそんなものである。好きと公言してしまっている以上、そういうシチュエーションで致していると分かれば、疑念を向けられかねない。重ねていうが、もちろん妻が大好きだ。

しかし、妻の家族も(顔が)好きだ。

喪服ではあったが、式に参列する三人は私よりもずっと輝いて見えた。

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