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巣にやってくる恋人の話

仕事から帰ってくる。

キッチンからいい香りがした。何の料理家はさっぱりわからないけれど、きっと美味しい料理だ。私はコートを脱ごうとしてやめる。まだ部屋は少し寒いい。それに、袖を止めているボタンをうまく外せなかった。

私はリビングで夕食を食べ、洗い物は殆どを食洗機に任せる。大きな鍋など、食洗機の中に入らないものを除けばよい。キッチンの片付けは楽なものである。そうした、リビングとキッチンのあたりで私と恋人は会話をする。

会話というか、ジェスチャーによるメッセージの押し付け合いのような遊びだ。脇腹に顔をグリグリ入れたり、腹を吸ったりする。そうした変態行為に対する対応として我々は「ぇえええぇぇぇ!」と、鳴く。奇妙な生き物の鳴き声を上げるのだ。

例えば私が部屋で横になっているとする。恋人は扉を少し開けてこちらの様子を確認する。そして「……動いている」と言う。私は動いていることがより一層伝わるように体を揺らす。

「喜んでる……」

自分に都合のいい解釈をしながら恋人はそっと私の布団に近づいてくる。そして、グイと顔を布団に近づけた。

「お、ここ、あいてるわ」

グイグイとシングルサイズの布団に入ってくる。私は頑として真ん中を譲らない姿勢だ。恋人は半分くらい体が落ちそうな態勢になる。しばらくポジションを試していたが、最終的には私の頬に顔を載せた。

「びえええぇ」

鳴き始めた。泣き声というよりは鳴き声であり、それは不満を告げるアラームである。

「なによ」

「ちょっと狭いんじゃないかの」

私はすこし体をずらす。恋人はその隙間を追いかけるように体をピッタリとくっつける。そして「むふー」と満足そうな表情を浮かべスマホをいじった。


我々はすこし前から寝室を分けている。理由は私のいびきだ。かなりひどいらしい。恋人によると「鼻呼吸をしてるんだけど、突然酸素が足りなくなって口呼吸に切り替えてむせる感じ。起きることもある」と言っていた。私には一切記憶がない。

大げさとも思えないが、むせて起きた記憶は無いのだ。恋人の言うことは最もだが、私は私で特に目に見える被害はない。寝ているのだから当然だ。

しかし、いずれちょっと高い布団とか枕をオーダーして寝たい。「人生の半分は寝ているのさ」と言いながら休日の半分以上を布団の上で過ごしたい。

とりあえず、いびきによって目が覚めてしまう事件は、部屋を分けることによって解決した。

それぞれ、好きな動画も違うので、部屋で見られるコンテンツは家主の好みが最優先される暗黙のルールのもと「おそらく君は興味ないと思うけど」と前置きして自分の好きな動画を流す。配慮もへったくれもない空間である。

そこに恋人がいる。私の背中側に埋まっている。

「そろそろ、布団洗濯しないとね」

「そう?」

「そうなの」

寝室を分けているが、布団を洗うタイミングは私が隙きを見せたときになっている。布団にシーツをかぶせるのは私の気が向いたタイミングだ。シーツも何もかけずに温かい布であればいいじゃないかと思うが、なんとなく悪い気がしてシーツを結んでしまう。

そしてまた、私は布団へと戻る。

出発点はいつもフトンだ。ニトリで買った一番高い敷布団。かけフトンは下から二番目くらいのやつにした。そこに恋人が素敵なシーツを買ってきてくれている。

男は外、女は家、そんな風習もあっただろう。そうした価値観は私達の代で断ち切って次の世代につなぎたいところだが、現在の私達は外と家である。私が家にまるで関心を持たない。恋人はそれを私の部屋の中に限り許してくれている。職場と自宅と言う互いの心の安全圏を確保しつつも、恋人は家で家事や料理をしてくれている。私は特に仕事にあたって、恋人にしてほしいことはあまりない。

仕事以外であれば、恋人が勝手にダンボールと私の隙間に挟まって震えるのは一体どういう心境なのか教えてほしい。

なんとかするか。と、体を動かすと恋人が後ろから声をかけてくる。

『あぁー、めんどくさいなぁ。あー、どっこいしょ』

私の体の動きに合わせてアフレコしてくるのだ。

『今日はもう、シャワー無しで寝ちゃおっかなぁ…』

私は何も言わずグッテリしているだけだ。恋人は動物が勝手にアフレコされている動画はすぐ消すが、私の動きに声をつけるのは悪くないと感じているようだ。

布団に入ってきたら『お、きたぞ』という。どちらかというと私側のセリフだ。『眠くなってきたねぇ。薬飲まなきゃ』も、私のセリフである。

多分、雰囲気の言語化が私よりずっとうまいのだ。だから、私の怠けている様子にもアフレコが出来る。そもそも、頼んだ家事を渋っている男に対してアフレコで応じてくるのは、なかなか逸材だと思う。

特に、料理に関しては洞察力が高い。

「調味料は、勘でザッと入れる!」などと言っているが実際うまい。また、かすかに私の苦手なものを混ぜてくるらしい。先日は大嫌いだった玉ねぎの味噌汁を無事習得した。結構グレーゾーンの野菜を小さな皿から順に慣らしていく様子はなにかのリハビリをさせられている気分である。

昔、恋人から聞かれた「好きなものと、嫌いなものは?」私は「好きなものは甘いもの、嫌いなものは苦いもの」と答えた。恋人はそこから試行錯誤して、私がらセロリが苦手である事とか、作れる炒め物くらいだと言う戦力外どころかじゃまにならないよう遠ざけるほうが最前のステータスだと思えた。

こうして、たいてい私はご飯をよそるかかりに任命させる。よほど常識ハズねれで無い限り変化はないからだ。

どう見ても家事の負担が集中している。不平不満はその都度声をかけてもらい、こなすシステムにしている。今日も、洗剤と柔軟剤を入れ替えた。

これでいいなら、これでいい。

そして、また自室でいびき対策をこまねいているとそっと扉が開く。私は体をプルプルと震わせる。

「お、喜んでる喜んでる」

やはり、都合のいい解釈をしているようだ。

枕にぐりぐりと頭を押し付ける。恋人は布団の中へは入ってこなかった。その代わりアフレコを続けた。

『あーぁ、頭洗うのめんどくさいなぁ。お風呂、明日にしよっかなぁ。グリグリ』

その気持ちはたしかにあった。でもいざ言葉にされると、なんだか腹が立つ。私は寝間着セットを手に取ると湯船へと向かった。湯船も恋人が用意してくれたものである。

本当に、私と生きているんだな、と思う。互いに苦手なことを頼りながら、と言うとき声は良い。しかし私は、仕事から帰ってきて料理を食べてら食洗機を回し、寝て恋人に割り込まれて、アフレコされている。

恋人は『おやすみ』と言って去り、自分の巣へ戻っていった。

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