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世界のすべてが嘘だとしても

厳密には私の先祖は消息が不明である。

祖父が北の、非常に土地の問題が厄介な地域付近の出身である。更に名前はあまりにも無難な日本人の名前であり、餅屋に養子として引き取られて祖母と出会い父が生まれた。

なので正確な私の遺伝的なルーツは謎に包まれている。家系図としては餅屋なのだが、遺伝子の話をするともしかするとそれなりに厄介なことになっているのかもしれない。

ふとした拍子に先祖供養の話になった。私は墓参りをしたことがない。祖父母より以前の先祖の墓というものを私は知らないのだ。父方も母方もそうである。片方は戦争で焼けたらしいと噂で聞いたが、実際に墓跡をみたわけではないので真偽の程は分からない。

なので、お盆にもあまり縁がなく、きゅうりとナスで動物を作る伝統行事も一切やったことがない。そこから翻って、ご先祖様への畏怖や愛などもからっきしであり「きっと空から見守ってるからね」と言われても「……目もないのにどのように?」と純粋に疑問に思っていた。ただ、それを公的に口に出してはいけないともわかっていた。徐々に信仰の自由などを知り、宗教を知って「黙っててよかったな」とホッとしている。

一応、宗教的なものを信じてみようと思ったことがあるのだが、どうしても「うーん、信じる……心から……? うーん」と悩んで躓いている。例えばなのだが「神は乗り越えられる試練しか与えない」というものがある。でも、別に乗り越えなくて良い試練や、辛いことがある。それに対しては「神の声と悪魔の声はよく似ている。聞き分けることが大切だ」と説法を受ける。具体的にどのように聞き分けるのかといえば「その試練を乗り越えた先に、長期的な幸せがあるのなら乗り越えるべきだ。しかし、その試練を乗り越えることで身を滅ぼすのならそれは悪魔のささやきだ」とのことだった。

なるほどぉ。……行動経済学っすねぇ。「行動経済学 スラック」で調べると本が出てくるんで、よければ読んでみてください。

このように「その神の導きに関しては、科学的な根拠とそれを示す名前に心当たりがあります」ということも多々ある。神の声に先行研究がある場合は、再現性のある神の声になるほか自分なりにカスタマイズが可能になる。長期的な余裕の持ち方として、予算に幅をもたせる、もしくは支払いを先に済ませて商品を後で受け取る、またはタイムセールの商品を意図的に選択肢から外す、などがありこれらは長期的かつ心理的に余裕が生まれる決断の仕方である。

が、これが果たして神を信じているのかというと非常に疑問だ。

じゃあ信じてみようということで、信じている振りをするところから入ると、多感な時期に触れた漫画やライトノベルを参考にすることになる。そうするとモデルケースが「魔法や銃火器を使うシスター」とか「実は悪魔の戦える神父」とか「自分を神の声を代弁する者だと信じている狂信者」とかになってしまう。すごく無難なところで、死神のノートを持っている大学生になる。

信じるというのがよくわからない。信じているということは疑いようもないということだ。なぜそれを疑問に思うのか不思議に感じる程に、頭と心に馴染んでいる。自分を信じる、なんて言葉もあるが、数秒前に聞いたことを思いだせない自分のどこを信じろというのだろうか。私が信じているのは、例えば重力とか、明日も朝は明るくなるとか、そういうものである。

疑うというのも難しい。見えるもの触れるもの全部を疑って、最終的に疑っている自分は誰にも否定できないところから世界を組み直した人もいるそうだが、流石にそこまで思い詰めて全てを疑うのも難しい。だいたいそんなに長いこと覚えていられないものだ。

えーと、見えるもの……聞こえるもの……触れるもの……考えてる声……瞼の裏……これは……見えてる……で良いのか? だいたい瞼を閉じたら瞼の裏側が見えてるはずなのに、何も見えてないみたいな表現になるの本当に納得いかんな、眼球は常に何かを見てるはずだろうが。それとも、瞼が降りたら脳への信号がカットされるんか……? 瞼は光を遮って目を潤す役割があるとして、じゃあ光を遮って潤いがある状態なら目を開けてても眠れるんか……? 水の中とか。いや、水の中はそもそも呼吸ができないか。酸素ボンベを付けて、真っ暗な水の中で、目だけ開けて……閉じないように固定する……? だとして、そんな状態で眠れる? 無理だよな。無理無理。目が潤うってわかってても瞬き無意識なんだし。ということは、瞬きはどんなに頑張ってもするのか。

とかまで脱線して「世界のすべてが嘘でも瞬きは信じられる」みたいな本当に意味の分からない命題を作ってC評価をもらうところまで想像できる。なんとかゴネてD評価は取らない自信がある。この自信が自分を信じるということならなんと範囲の狭い自己肯定感だろうか。

布団に潜る。神も自分も信じていない。ただ、お祈りの仕方は教養として知っている。神を呼ぶ。お祈りする。アーメン。

「♫祈りをフリーダイヤルみたいに使うな」家の裏でマンボウが死んでるPの神様はエレキ守銭奴の一節である。

こういうフレーズが頭に浮かんでしまう。神の声は限りなく無音で、フレーズだけ浮かんでくるので、この歌詞が実は神託だった場合、神からのクレームは全く私に響いていないことになる。神が全知全能ならそんなことは無いはずだが、祈りをフリーダイヤルみたいに使うなという苦情を伝えることができないため全知全能ではない。私が神だ。

やるなら、狂信者になりたい。でも、狂うほど何かを信じてもいない。大体、世界を動かすほどのなにかが存在しているとして、私に話しかけてきたとする。世界の秘密、真実を告げるその声に私は言うだろう。

「ちょっ……もっかい言ってくれる? メモ取るわ……何……?」

なんというか、こう、スッと「そうか!」と入ってくる気がしない。頑張ってわかったとして、どうしろっていうんだ。

「ぬははは、この世界は実は五分前に作られた。貴様の記憶も全て偽りよ! それに気がついているのは貴様だけだ!」

この場合は、五分前に世界が作られたとする思考実験も五分前に作られたんだろうか。でも、五分前仮説がある時点で、その真実に気がついたのは私が初めてでは無いということになるわけで、だったらその仮説を思いついた人に声をかけてあげたほうが良いんじゃないか。でもその人の存在も五分前に作られたのか。え、世界が五分前に作られたって『言った』? じゃあ、五分待ってたの? 神も時間には抗えないのかな。でも、時間に抗えないなら過去の時間を作ることもできないわけだから、五分前にいきなり世界を作るのはかなり厳しいんじゃないか。この手の話ってもうSFでたくさんされてるよな。あ、SFも五分前にできたのか。となると、逆にこの五分間で生まれたものはどういう扱いになるんだ?

と、言うようなことを断片的に考えて感覚的には「そんなわけないっしょ〜」と思い、口からは「……え?」と言うみたいな感じになるだろう。神託は何回も繰り返してくれるんだろうか。しかし、それだと私に一撃で伝わるメッセージを届けることができていないので、やっぱり全然全能じゃないじゃん、と思うのだ。

やはり神は私。

これで決まりである。

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