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手応えのあるものを本に。

文庫本を作っている。

これまで書いてきたエッセイを見直し、そこから良いものを選ぶ。閲覧数やリアクションの数を参考にしつつも、その中から手応えのあるものを本文に加える。コピーとペーストが時間の殆どで、何度もやっているうちに慣れていく作業だろうと思っていた。

記事の一覧を開き、それをアクセス数やリアクション数で並べ直してみるとウケの良かったエッセイはすぐに見つけられる。期間は三十日だ。サイトの仕様で今日からの過去を遡るように見ていくため厳密には一ヶ月ではない。三十日の間で良い成績を残せたエッセイが選ばれる。ただ、その基準はアクセス数が全てではない。上位に食い込むには確かによく見られている必要がある。しかし、最終的には私の一存で決める。

選んで、コピーして、貼り付け。空行を削除して代わりに段落を入れる。縦書きに沿って見やすくなるよう半角英数字は漢字に直した。タイトルを入れて目次の設定をする。その他、誤字脱字を取り除いて一つのエッセイが文庫のサイズで印刷できる準備が終わった。そしてまた選ぶ作業へ戻る。

いくつかの作業をまとめてしまいたいが、作業は途中でやることを変えると失敗が見つけにくくなるし後になって気がつくとより面倒だ。一度うまく行ったやり方で一つやり通して、それから反省することに決めた。

しかし、やることとは増えていくものである。最初は一年分のエッセイを十二本入れて2022年のエッセイを文庫化する予定だった。ところが、十二本ではページ数が百ページに届かないとわかった。これまで読んできたエッセイがあとがきを含めて二百ページくらいなのだが、そこに半分も及ばない。そこで、遡る期間を2021年まで伸ばしてさらに十本エッセイを加えた。この予定外の採掘作業はかなり大変だったらしい。十本選び終えたあとは、昼過ぎにも関わらずぐっすり寝てしまった。

エッセイを選ぶ作業は、想定していた以上に精神をすり減らすものだったようだ。まず、三十日で良い成績を修めたエッセイは二、三個ある。その中から今回の文庫にぴったりなものを選ぶ。ボーダーコリーと同じくらいお利口にすることを目標にしたエッセイとか、初めてペンライトを買った話など、一月の部、二月の部と順調に決まっていくものもあった。順調でない場合は、どうしても一本に絞りきれないときだ。今回、同率一位は無い。必ず三十日間で一本に絞る。今回選ばれなかったエッセイは、文庫に載せない。なので複数がいい成績のときは苦しみながら一本をボツにする。

また、良いエッセイが一本もないときもある。どのエッセイもさっき選んだものや、落選したものよりも、面白くない。しかし、ボツはボツだ。ここで復帰させたりはしない。一本に絞ることに意味がある。面白い中の一本と、それらのインパクトとは違った味の一本を選んでいく。これが苦しい。自分のエッセイから良さを見つけられないのも苦しいし、さっきの手応えとは違ったものに体がついていかない。技術が錆付き、残っていた力さえ失われたように思う。先月の自分を超えられなかった。

一度そう感じると、そこから先のエッセイが全然面白く見えない。さらに、なぜ面白くないかの分析が始まるのだが、頭に血が登っているので適切な論理はできあがらなかった。環境のせいとか、時期のせいとか、色々浮かんだ。しかし、環境も時期も他のエッセイを書いたときの環境や時期が今より良かったとは思えない。

論理として破綻している。ただただ、面白くない理由を探すための思考が巡った。ただ根本的にエッセイは大体面白くないものだ。偶然面白いものが見つかることはある。例えば妻との話や友人の話は、私がいかに偏った視点で世界を見ているか教えてくれる。私以外の人の出てくるエッセイは面白いものが多い。でも、面白い理由もつまらない理由もそこまでよく分からない。

手応えを確かめながらエッセイを選別していく。そして、目次ができていった。これまで書いたエッセイの中でとびきり手応えの良かったものたちがずらりと並ぶ。

一ヶ月の中で一個も面白いエッセイが無いときは辛かった。世界があまりにもつまらなく見えていたのだ。逆に二つ面白いエッセイがあるときは、どちらかに絞る苦労があった。それを終えると今度は、私が磨いてきたエッセイ達の中に加える文章をこれから書き下ろすなら一回でこのクオリティのものを書き上げないといけない。自分の文章に自分がせっつかれている。三十日の中で一番強い文章が私の前に二十二個並んでいる。そこに二十三番目として書き加えるに値するエッセイを書き上げられているかを問う。自分に自分の文章が磨かれるとは思わなかった。

文庫に追いつく、はっきりと手応えのある文章を書きたい。

そして、それと同じくらい文庫に載せられないくらいくだらないエッセイも書きたい。文章を書いて並べることによって、私は少しずつ自分に求めるエッセイが変わっていく。作ることで、自分が磨かれていく。書き終えた文章をぶつけて、選ぶ工程を挟んだからこそ「次にここに載せるのなら」という新しい視点が生まれた。

まだ、文庫の完成には至らない。

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