ゆっくりゆっくり歩いて帰る。
昨年末、いよいよ文字が打てなくなった。
布団に潜って薬を飲むと寝てしまう。いつもは布団の中で横になりながらエッセイを書くのがルーティンだったが、体力か精神力かはたまた両方か削れてしまってどうにも動くことができなくなってしまった。
妻は「夜ふかしせずに寝ることぉ」と私を寝かしつけてくれるのだが、私は自分の考えや今日の出来事をまとめる時間が取れなくなった。仕事にも出なくてはと気が急いてしまう。しかし、体が今求めているのは療養であり、食事であり、運動であった。
健康的な生活と、それをするだけの時間やリズムを保つ体力が求められる。
先日、フィットボクシング2をしたところ通常モードでバテてしまった。以前はレベルを重め(ハードモード)にしてプロテインを加えて飲んでいたのに、今や喘息気味の妻と同じくらいしか運動ができなくなっている。更に最近、なぜか右膝が痛い。一キロほど歩くとジンジン痛くなってきて、限界を迎えると階段を登れなくなる。
体にガタが来ている。そう思うと、なんだか悲しくて仕方がなくなってくる。どうして、こんなにも体が言うことを聞いてくれないんだろう。どうして、もう少し頑張れないんだろう。
行き着くのはいつも同じ場所だった。もうひと踏ん張りがきかない。踏ん張ると翌日倒れてしまう。
その踏ん張りが必要なことが日々少しずつ増えていった。それがいよいよ、文字を打つことにまで到達した。日々、体は悪い方へ向かっているように感じる。
朝起きて、準備をして、外に出かけて、会社のタイムカードを切る。ここまでが、果てしなく長い。そして、タイムカードを切ったところで、力尽きてしまう。燃え尽きてしまうのだ。
仕事にならない。そして憂鬱が背中側から私を覆う。分からないことが聞けない。意味もわからないまま不安になる。寝たのに、食べたのに、どうして、と自分が自分を責める。
苦しくて、辛くてたまらなかった。
「ちゃんとご飯を食べて寝ることぉ」
妻が私に言い聞かせる。妻が居なかったら、私はもっと早くに心が折れていたかもしれない。今もちょっとヘコんでしまっているが、完全に折れてはいない。あるいは、折れているのを妻が支えてくれている。
今は、電車の中で文字を打っている。今日は少し外に出ることができて、スタスタ歩いて無事膝を痛めた。たくさん歩いた。良く眠れそうである。
少し頑張って外に出て、少し頑張って文字を打っている。あとは家に帰るだけだ。
足を引きずりながら家へと向かう。お土産を手に、家へと向かう。今度は妻とも外に出かけよう。でもやっぱり外に出るのはちょっと嫌だな。
そんなことを思いながら、今日はゆっくりゆっくり歩いて帰る。
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