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会話を続けようとして思ってないことを言わない

人との会話を続けようとして、自分が思ってもいないことを言って、後悔することが時々ある。

特に関係性があまりできていない人との会話では、会話が発生していない空白の時間を作ってしまうことが、相手に申し訳ないという気持ちもあり、無理をして共通の話題を探したり、相手が共感してくれそうなことを言ってしまう。

関係性がない人との会話でしがち

ほとんどの場合、この時の話題は世間や自分たちの身の回りで起こっていることだったり、共通の知人のことだったり、二人(相手と自分)で何か別の対象を一緒に見ているイメージ。その事柄に対して、双方の意見を交換して、本質を考えるところまで着地できれば良いが、そこまで踏み込まずに共感して終わりという、その人の本質まで届かずに終わってしまうと、その会話をしたことの価値は発生しているのか疑問が残ってしまう。

空白の空間を埋めるために会話したことは、結局どんな価値を生んでいるのか?

内容のない会話が自分に及ぼすもの

むしろ、何も価値を生んでいないということは、まだマシで、稀に空白を埋めるための会話が、相手に嫌な気持ちを引き起こさせてしまったり、しないほうが良かったと後悔してしまうことがある。

まだ自分が本当に話したかったことで相手を嫌な気持ちにさせてしまったであれば、そのことを受け入れて、改善がしやすいが、自分が話したいと思っていなかったことを話して招いた悪い結果は、その結果自体を受け入れる前に、そもそもそんなことをしなきゃよかったと別の後悔の気持ちが大きく残ってしまう。

例えば、芸能ニュースの話題。今やニュースサイトのトップニュースに出てくるのは当たり前、政治やビジネスの話題と並んで発信されており、加えてSNSではすぐにトレンド入りし、あらゆる人の生活のなかで、無意識に触れる機会が増えた。

そのため、芸能ニュースのことを話せば、ほとんどの人が反応できて、その記事で話されていた、顔も知らない人の意見を言えば、多くの場合、共感をもらうことができる。

また、そのニュースが不倫や自殺などのネガティブな内容であればあるほど、多くの人の意見は一致するので、ちゃんとその内容のことを知らない人であっても、それっぽく話をすることができてしまう。評論家を気取って、本人は気持ちが良いかもしれない。

ただ、ここでの会話は今後の相手と自分の人生にどんな価値をもたらすだろうか。

自分は何を求めて、相手に会話をしているのか、そこを考えていないで発した会話は、自分と相手に価値を与えることはできない。

会話が長く続けられる人が能力が高いと思われる

講演やトークショーを見ていると、自分一人でずっと話し続けられる人や、相手と会話を長く続けられる人が、能力が高い人と受け取れてしまう。

もちろん、そのようなことを仕事としている人は、本当に能力が高く、それに至るまでに、自分では知り得ないほどの努力をしていると思う。

なので、その「会話が長く続けられる人が能力が高い」という結果の言葉じりだけを受けて、自分もそうなろうと、日頃の会話でしてしまうと、悲劇が起きてしまう。

「会話をどれだけ長く、止まらずに続けられるか」という目的のもとで発せられた会話は、内容の本質に考慮されることなく、手数やスピードに特化されたもので、振り返ってみると、なんのための時間だったのかが、わからなくなってしまう。

親しい人との会話で、内容のない話をして楽しむことが私もあるが、それは双方が楽しむことを合意の上で行っていることで、その棲み分けは話し相手でちゃんと判断したほうが良いと思われる。

話し相手への配慮はどんな場合でも必ず必要

相手に向けて発した会話は、相手は受け取った時点で、返答しないといけない義務が生じる。そのため、会話を発する方は、その相手が返答する行為まで考えて、会話を発すると、相手が心地よい会話ができると思う。
その返答する労力を考えずに、発した会話は相手にとっては苦痛となってしまうことがあることは事前に知っておいたほうが良い。

そのため、「空白を埋めるための会話」は相手にもその空白を埋める作業をしてもらう必要があり、無駄な労力を与えてしまっている。

加えて、「空白を埋めるための会話」は相手にもそれが伝わり、お互いに価値にならない時間ということをわかっていた上で、続けていることが多い。
自分が「空白を埋めるための会話」に相手を巻き込んでいる加害者となってしまっている。

どうすれば空白を埋める会話を生まなくて済むか

多くの場合、人間の行動は環境に左右されている。

そのため、「空白を埋める会話」をしなくて済むためには、「空白ができても良い環境」に身を置くことが手っ取り早い方法に思える。

自分が「空白を埋める会話」をしないと決めて、それに努めれば良いように思われるが、どうしても空白の空気感に耐えられなくなったり、相手から「空白を埋める会話」をされることもあると思うので、そもそもの環境を変えてしまうという方法が、自分がコントロールできる範囲なのかなと考えている。

・空白を埋めなくても良い空間とは
タクシーの中って、別に無理に空白を埋めなくても良い感じがして、それは自分とタクシーの運転手が、サービス提供者と消費者の関係が明白だから。運転手から話しかけられて、話したくなければ受け流して、話しかけてほしくないことを伝えれば、空白を埋めなくても良い空間になる。
あとは、家族とか親しい間柄であれば、無理して話題を作ろうとしなくても、生活できるし、家族の事情とか特に考慮しなければ、そんな必要はないように思える。

ただ、家族でお父さんが無理して話題を作ろうとして、娘に煙たがられるケースを考えたときに、どうしてお父さんはそんなことをするか考えたときに、お父さんは娘と話す時間がなくなることが嫌で、そんな行動をしてしまうと考えられる。
娘からしたら、その時間がなくなっても特に気にならないので、無視とかして対処することができる。

このことから考えられるのは、空白ができても良い空間とは、空白ができても損失がない空間と言える。逆にいうと、空白を埋めようと会話する時というのは、空白ができることで、何らかの損失が生まれてしまうと考えてしまった結果である。

空白の空間が生まれても損失は生まれない

空白ができることで、今後の相手との関係に損失が出てきてしまうのでは、と思い込んでしまうことで、なんとか空白を埋めなければいけないと考えてしまう。

空白を埋めなくても良いと考えている環境では、空白を埋めることで相手との関係が悪くならないと確信している時で、それは相手との関係性であったり、自分のこれまでの対人関係の経験から判断されるもので、どちらかというと後者を鍛えたほうが、今後自分が生きやすくなるヒントになるのではと思う。

ただ、これは人間の性質とも思えるが、どちらかというと、「損失をなくそう」と考えて話題を探すより、「自分の本当に興味のあること」に焦点を絞って話題を提供するほうが、より価値のある会話になる気がする。

自分の気になっていることが、相手も同じように思っていれば、双方に喜びが生まれて、価値のある会話を進めることができるかもしれないし、自分のその興味の対象が相手であれば、相手は嬉しい気持ちを持ちながら会話をしてくれるかもしれない。

空白が生まれても損失が生まれることはないので、無理に自分が話したくないことを話すのではなく、自分が本当に興味あることを話すような習慣を心がけたい。

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