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北白川あれこれ日記 #01

こんにちは、北白川文化研究員no.2の綿野かおりです。自宅も職場も北白川という生活をかれこれ5年営んでおります。「北白川まかせろ!不動産」の北白川文化研究の業務日誌のような日々のあれやこれやをここに綴っていきます。よかったら気楽に読んでください。

/// 2023.11.2 thu

前日からひどい花粉症のようなひどいアレルギー症状でクシャミと頭がぼーっとして一日中仕事では全く使い物にならず、アレジオンを飲んで早々に就寝。今朝は振休だったのでぐっすり眠り、11時起床。

くしゃみはおさまったが今度は咳がとまらない。ほんとうに花粉なのか、そのほかのよからぬものなのかわからないがとにかくわたしの身体は色々デトックスをしたいのだと諦めておとなしく過ごす。(念のため行った抗原検査キットでの結果は陰性)

その後さらに眠り、起きたら15時半。体調もだいぶよくなったので、すこし新鮮な空気を吸おうと(吸わないほうがいい?)散歩にでてみることにした。

最近オープンしてずっと気になっていた喫茶ドセイノワにいってみた。古いビルの2階にあるその店は、思ったより広かった。カウンターと小さいテーブル2つ。窓際に数人座れるくらいの大きいテーブルがひとつ。
先客がいたので、窓際の大きなテーブルにひとりでゆったりと使わせてもらう。身体を労わろうとマサラチャイを注文。
薄いオーガンジーのようなカーテンが二つの窓にかかっていて、テーブルで書き物をしている私の手元に夕暮れの光がよい感じにはいってくる。夢のような空間。

「あついのでお気をつけください」
と運ばれてきたマサラチャイはほんとに熱くて手に持てない。しばらく置いておいたら、薄い膜が表面にできていた。
わたしはなんたってこの膜が好き。ココアやホットミルクを飲む時の特別感はこの膜が大きく寄与してる気がする。

しかし膜を飲もうと試みるも、熱すぎて、何度か断念。3回目くらいのチャレンジでふとみると、マサラチャイのその膜はまるで生命を得たかのように、一定のリズムでシワを刻んだり線になったり、不思議な動きを繰り広げていることを目撃する。これは一体。

どうやらBGMに流れているピアノの旋律に合わせて、膜は不思議なダンスを繰り広げているようだった。

この店では毎度そんなことが起きているのか?
この季節、この時間帯、この席で。
いま、たまたま起きたことなのか。

スピーカーの音圧によって、このマサラチャイの繊細な湖面は揺れ動き、膜に影響を与えていることがわかった。音の振動はこんなにも環境に影響を与えるものなのか。

しかしそのダンスはわたしだけが見ることができた秘密の超常現象のようだった。
次回来た時もまた同じことが起きるか、こっそり試してみよう。

超常現象によってすっかり気分がよくなってきたので、もう1軒行きたかったお店へ足を伸ばしてみることにした。

北白川今出川を少し北にあがったビンテージマンションの1階にできた小さなブックカフェ「シスターフッド書店 kanin」。

フェミニズムをテーマに国や立場が違うさまざまな視点をもった本が並ぶ。新刊と古本、それにジンもいくつかあった。せっかくなのでなにか1冊ほしいなと思い選んだのは平置きされていたこの本。

「50代で一足遅れてフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと」
和田靜香(左右社)

タイトルで多くを語ってるので説明は省くとして、「ひとり身でも安心して年をとれる社会にしたい」「『すぐにLINEできる友達』以外の地域のつながり」「自分の住む町をDIY」「『口に入れるもの』を自治する」などの見出しが気になりすぎる。

フェミニズムといえば女性の権利や不平等さだけを論じていると思われがちだけど、わたしはもっと広い意味で「どんな人も平等に自分らしくあること」を目指すことかなと捉えている。

女性だけでなく、ジェンダーや年代問わず、あらゆる人にとって自分を大事にして、お互いを尊重しながら生きて行けること。こういう書店がネイバーフッドにあるのはとても頼もしいことだと思う。

「最後の一冊でしたよ。」とお会計の時にお店の方がにっこりと話しかけてくれた。ブックカフェなのでお茶やビールもあるみたい。読書会もしているとか。参加してみたいな。

社会人学生でフェミニズムを学んでいる友だちのUちゃんに「いいお店ができていたよ。今度ここ行こう」とLINEを送ると、「いく。」と即レスが返ってきてわらう。

気がつけばすっかり日が落ち、辺りは暗くなっていた。今出川通りから西へ、琵琶湖疏水のある京大グラウンドのほうへまわって帰る。

とある民家を通り過ぎた時。暗がりになにか異変を感じ、目を凝らすとおばあちゃまが家の玄関で横向きに倒れているのを発見する。

「大丈夫ですか?」と声をかけると、「起き上がれないの。手伝ってくださる?」と返事があった。身体を起こすのを手伝って、ざっと様子をみたところとりあえずどこも怪我はなく大丈夫そう。一旦玄関の段差に腰をかけてもらう。

こちらのお宅のマダムは85歳くらいか。よく軒先で椅子をだしてお茶しながら本を読んでいる。通りすがるたびに話しかけてくださって、何度か道端でおしゃべりをしたことがあるのだ。

かつては京大の人文研で有名な人類学者の研究室で長く秘書をつとめられてたらしく、当時のお話をいろいろ聞かせてくださった。

ご自身の著作もあり、気になって取り寄せて読んでみたりもした。かつて娘さんとブルガリアに住んでたことや、旦那さんが有数のエスペランティスト(※)であることなど色々お話してくれた。

(※エスペランティストというのは世界共通言語として作られたエスペラント語を巧みに話す人のことで、かつての知識人や有名なのは宮沢賢治や井上ひさしなどもエスペラント語に夢中になっていたそう。)

なのでたまに通るたびに、お元気かな?と少し気になっていたのだった。

しかし何度もお話ししてても、わたしのことは毎回忘れてしまうようで、仲良くなれた!と思っても、毎回はじめまして、からはじまる。
「とても助かったわ。また今度お礼をしたいから遊びにきてね。」といってお別れする。

元気なもの同士でも「またね」といって別れて、次に会えるかなんて保証はないが、このおばあちゃまとの「またね」はとくにせつない。

家に戻り風呂場で湯船に浸かりながら「忘れる」ということを考える。忘れられて、手放せて助かるということもあるだろう。しかし、さまざまな知や経験をもっているおばあちゃまのような方が持っている連なりがそのままなくなってしまうのは、残念なことだと思う。なるべく覚えているうちに色々お話を聞いておきたい。
本などで学ぶことはできたとしてもやはり生きている人から直接聞いて学ぶことに勝るものはないのだろう。

しかしおばあちゃまが持っている知の経験をどうにか聞き出せる方法はあるのだろうか。

近所にいながらにして、どうにも近づけないその方へのアプローチがわからない。
そして咳はいまだ止まらない。花粉よ、去れ…!

綿野かおり /北白川文化研究員 no.2
保護猫といつか暮らしたい大学職員
北白川歴:5年


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