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ペリカンのまどろみ

小林紗織さんのこの絵のタイトルは本当は「ペリカンおばけ」。

それを私が勝手に「ペリカンの夢」に改題しさらに「ペリカンのまどろみ」にしてしまった次第。この絵を眺めていると過ぎ去った日々が心地よいまどろみとともに思い出されます。


鼻眼鏡のおじいちゃんの正体

 意外と真面目な学生さんでした、この私。
昼は小平にあるムサ美へ。そして夜は吉祥寺の武蔵野美術学園へ。
真面目というより、楽しい学生生活を送っていたといってよいでしょう。
だって美校に吉祥寺ですよ。当時としてはお洒落。
 さて武蔵野美術学園第一日めです。探検好きの当方、古い建物の中をウロウロ。あの教室この教室のドアを開けては犬みたいに臭い匂いをかぎまわります。実はこの時、ある男性と奇跡的な出会いをいたしますが(イカちゃんに非ず)
そのお話はいずれいたしましょう。
 1階の暗い廊下のどん詰まりにとってつけたような扉がありました。
管理者の札などかかっておらず、なんとはなしに不思議感を漂わせていました。それは開けなくちゃね、と扉を開けると薄暗い空間出現、とともに黴臭いような埃臭い様な臭いが漂ってきました。
 なんだ、ここは。倉庫か?
 と黄色い裸電球に照らされた夥しい棚を見まわしました。小汚い生活雑貨、なんだかわけのわからぬ物たちが整然と並べられていました。随分と奥行きのある部屋で、そのどん詰まり(また使ってしまった)に黄色い電球のついた古いといっても安物のスタンドに照らされた鼻眼鏡のおじいちゃんが書き物(多分)をしていました。
「お嬢ちゃん、なんの用?」と言われたのとおじいちゃんの存在を発見したのが一緒だったかな。
 びっくりしましたが、皺だらけの顔はにこやかだしお声もとても優しかったので、恐ろしいということはありませんでした。
 なんだかネバーエンディングストーリーの出だしみたい、です。
「よかったらゆっくり見ていっておいで」みたいなことを言われた私はこんなのみてもなあ、と思ったのですが、おじいちゃんがあまりに雰囲気の良い人なので、いかにも興味があるふりをしてウロウロと「倉庫のような処」を歩き回りました。
 おじいちゃんと何を話したか残念ながら覚えていませんが、3回ほどこのおじいちゃんの倉庫にお邪魔しました。おじいちゃんはいつも私を「お嬢ちゃん」とよんでくださいました。
 笑顔はそれはそれは素敵でその笑顔に釣られたのかもしれません。
 それから1年経ち民俗学を履修し教科書に載っていた写真でそのご老人がなんと宮本常一先生だったと気がつき私は口に両手をあてて「え~」と叫んでしましました。
 わわわ!、私は宮本先生に「お嬢ちゃん」とよばれたのだ。よばれたのだよ。
 宮本常一先生は教壇に立たれることのない名誉教授であられました。私はその教え子の田村先生に習ったわけです。
 * * *
 後日、それも30年ほど経っての超後日、私を可愛がってくださった先生(ムサ美の恩師)が武蔵野美術学園の学園長になられたので、この話をしたところ、先生は学園の奥にそんな部屋があったことをご存知なくて、事務さんにわざわざ確認されれるという「薫ちゃんは信用できないからね」問題勃発。
 結果。
「いやー、知らなかったなあ、学園の奥にそんな部屋があったとは」ですって。
 鼻眼鏡のおじいちゃんの黄色い灯りにてらされた顔は深い深い皺に刻まれたフィールドワークに徹した方のお顔でしたね。
 それもこれも今、思えばです。
とにかく笑顔の素晴らしい方でした。


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