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お金を関係(縁起)として考える1(日本仏教者の立場からMMTへ言及)


 お金は全てそれ自体が貸借関係であり、一つのモノとして捉えると本質を見誤ります。 関係である以上、片方に債務、もう片方に債券が発生しており、両方を足すと必ずゼロに成ります。 現金自体が、政府と持っている人の貸借関係そのものなのです。
 貸借関係はツケと言っても良いですし、MMTだとIOU(I owe you )と表現します。 お金はモノでは無いので単品では決して成り立ちません。必ずどこかにプラスと同量のマイナスを発生させるのです。
 例えば僕個人が鉄板が欲しいと思って頼むとすぐに現金で支払ってくれと言われるでしょうが、会社名義で頼めば、ツケで買う事が出来ます。この時、材料屋とうちの会社との間で貸借関係が発生しているので、お金(通貨では無い)が出来ています。
 この鉄板を使って仕事をし、元請けに納品したら、ここでも貸借関係が発生するのでお金は出来ます。ただし材料屋の時はうちに債務が発生しましたが、元請けとの場合はうちには債権が発生するのです。
 この債権に対して、元請は約束手形で支払ってくれました。これは元請が「手形を持っている人に借りています」という証明書であり、誰に渡しても良いですというものです。 約束手形に成ると誰かに回すことが出来るので、通貨に近づきます。
 この約束手形をうちが受け取った時、あくまでうちの会社と元請けの貸借関係の証明書に成ります。これを材料屋に渡すと、うちと材料屋の貸借関係は消えて(裏書があるので完全ではないけど)材料屋と元請けの貸借関係に変化します。 その後、製鉄会社にまでこの手形は回っていきます。
 この約束手形は6ヶ月で国の通貨に変換しますという約束でしたので、元請は6ヶ月後、製鉄会社に国の通貨を渡します。 国の通貨も金匠手形から変化した「決済できない貸借関係」ですので、製鉄会社と国との貸借関係に変化した訳です。
(参考https://note.com/kitanokazuhito/n/ne3ea5cc2291d

 経済とは貸借関係を変化させて行く行為です。自分が有利になったり、安心出来る状態を作ろうと、相手と努力しあいつつ、貸借関係を変化させていっているのです。お金を儲けているとは債権を多く持っている状態であり、必ずその裏に同量の債務が存在しています。
 今の日本の企業部門は金融資産の内部留保を溜め込んでいますが、これが、国家部門や家計部門の赤字を作っているのだとも言えます。僕はこれが社会的に良い状態だと全く思いません。企業より借りられる国家部門の赤字は、そこまで悪いことだと思いませんが、家計部門を赤字にする原因にもなっているからです。企業ならば金融資産で持つより、土地や設備、人材や技術力などの、使用価値を高めることが出来る実物で持つべきです。企業は「債権」を、集めることに血道を上げるべきでは無く。実物を動かす力や使用価値を高める力を持つことに必死に成るべきでしょう。お金は債務と債権を足すと必ず0に成る関係であり、社会的富では有りません。実物を動かす力の方が本質的な社会的富なのです。企業は利潤追求するなら債権集めよりも、実物を動かす力という本質的富を増やす努力の方がずーっと重要です。そもそも今の日本の財政赤字がGDP費で大きくなってしまっているのも、民間企業の借り入れ不足が原因と考えたほうが正しいと思います。
 ちょっと脱線しました。僕個人が鉄板を買う時にはそれを使って、稼ぐことができるかどうか、材料屋は予測しづらいのですが、会社名義の場合は人数もいますし、過去の実績から、鉄板を使って稼げるだろうと予測したのです。現金をよこせと言ったら、販売機会損失に繋がると考え、ツケ買いに同意した。
 うちの会社が元請けの仕事を先にやって債権(ツケ)を作ったのも同じです。相手が小店舗や個人の直受けの場合など、現金を要求することもあります。 大きな元請の仕事は規模が大きな仕事であることが多いということもありますが、会社の規模の大きさや実績から予測し、ツケを許容したのです。
 ツケは相手の能力や案件を審査し予測して、貸借関係を結びます。逆に言えば将来実現能力の高い相手(集団)や案件には貸し(ツケ)を作りたがるとも言えます。実物は使用価値が人によって大きく変化しうる存在ですので、物々交換のような取引は、実際の現実では困難を極めます。(人類学者たちが物々交換が盛んだった社会は歴史上存在していなかったという主張が、真実でしょう)そしてお金とは全て貸借関係である以上、より強い相手(集団)や未来実現能力を持った相手(集団)に債務を持たせ、自己の債権を作るという方法が健全なのです。個人や家計などに大きすぎる債務を持たせることは危険です。特にCDSのような負債に負債を載せるような形では与信審査の代わりには絶対に成りません。サブプライムローンのようなCDSで与信審査無しで、弱い家計や個人に貸し付けまくるのは悪質極まるのです。
 材料屋がうちの会社のツケより、元請の手形を選んで受け取ったのも、製鉄会社が材料屋から手形を受け取ったのも同じであり、不確実性がより少ない元請けとの貸借関係を選んだのでしょう。製鉄会社は満期まで持って現金(国との貸借関係)を受け取ったのも、現金(国との貸借関係)の方が不確実性が低く、将来実現能力が高いと判断したしたからでしょう。
   結局、個人(家計)よりは会社、小さな会社より大きな会社、大きな会社よりは国家、小さな国家より大きな国家の方が借りる(債務を持つ)ことが出来るのです。債務と債権は足すと必ずゼロですので、強い存在が借りることをあまりに禁忌し続けると、この世の中からお金が無くなってしまいます。不況とは強い立場の存在である国や大企業が借りることを禁忌し過ぎて起こっているんだと思います。官と民を対立させ、お金だけを見、失敗するから政府は何もするなという主張を繰り返す、主流派経済学の主張は明らかに間違っています。官と民がきちんと協力し、必要とされる新しい実物を生み出す大規模で長期的な計画や政策を政治家が、作り出していくことが非常に重要なのだと思います。
 また脱線したので、元に戻します。うちの会社と材料屋とのツケも、通貨である日本円も更にはドルも本質的には貸借関係ですので、同じものです。片側に債務ともう片側に同量の債権が出来上がっている関係なのです。金匠手形が非常に人気が出て、金(ゴールド)よりも受け取って貰える人数が増えた(信頼された)。それが国家に取り入れられ、国との貸借関係となり、ついには決済されない不換紙幣と成っても、誰もが受け取って貰える 大人気のツケと成った。基軸通貨であるドルは世界で最も人気が高い「ただのツケ」とも言えるのです。悲しいことにうちのツケは材料屋以外ではあまり受け取って貰える相手がいないので、回ることがなかった。ただしドルという最強の基軸通貨でも、うちと材料屋の貸借関係でも、本質はツケですので未来予測という不確実性が必ず入り込むのです。
 人間は完全に正しい未来予測能力は持てませんので、この不確実性は絶対に無くせません。人間は「不完全な未来予測能力(生死の迷い)」と共に生きる以外は手が無いのです。人間社会全体でもあるいは個々人でも不確実性にしっかり向き合い続けながら、無限に努力し続ける必要があります。

(参考https://note.com/kitanokazuhito/n/n6ec2e2cca3f4
  MMTが目的としているのは、この貸借関係そのものに含まれた不確実性をなるべく減らし、社会を安定化させる為の普遍的なシステムの模索なのだろうと思います。あくまで現在の状況の中で具体的な政策を模索しているのではなく、一種の理論的概念であり、普遍性の模索を行っているんだろうと思います。とてもMMTは優れた内容だと思います。特にビルトインスタビライザーを重視する点などは、物事を全て時間を含んだ流れとして捉えられており、仏教の思考法に非常に近いです。累進課税やJGなどの政策は動的平衡を目指すモノとしてとても良いと思います。(この動的平衡の問題はサプライチェーンの問題などともう一度、考えてみたいと思います。)
 ですが、国債廃止の主張など、今の世界情勢では解決が非常に困難なものまで含まれています。金利そのものが格差形成の原因という主張には頷けますし、そしてインフレ時に国債の利上げ政策が問題を起こす場合が多いという主張には賛成します。理念としては正しいことは認めますが、現在の世界情勢で安全に国債廃止を行う具体的手順を示さないまま、国債廃止を主張することは極めて危険だと思います。
 さらには現在の日本の経済問題より、より普遍的な経済問題をターゲットにしており、そのまま今の日本で実施を目指すべきものではないです。日本社会の体質としてインフレが非常に起こりにくく、デフレによって自分たちの社会を傷つけてしまいやすい傾向があることなどが考慮に入っていないからです。日本ではMMTのレンズを使い、日本の社会的コンテクストを踏まえて具体的政策は別途、創る必要があるはずです。
 同時に仏教の立場から考えるとMMTがシステムづくりばかりに注力することに対しても、強い違和感を感じます。仏教では人のより良い生き方とは何かを考えることに最も注力したように、社会全体の不安定性(不確実性)は一人一人の倫理観によっても大きく左右されます。例えば、僕は仏教がいう「勤労の精神」(食と睡眠まで労働と考え向上心を持って取り組む)などはとても重要な項目になると思います。システムばかりを考えて、人間一人一人の修行心や倫理について考えないのは極めて危険であることは警告しておきたいと思います。
 今回はミンスキーモーメントやサプライチェーンと動的平衡の問題にまではあまり深く言及できなかった。私自身がまだまだ学び思考を深めねばならい部分が多いのだろうと思います。一応「お金を関係(縁起)として考える2」を予定をしていますが、違う形で表現するかもしれません。


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