シンガポール−ボストン 雑記帳(2)
ハーバード・フィルム・アーカイブ(HFA)を訪ねてみた。
土地土地にある映画館に訪ねるのは映画研究者だからこその愉しみであることはすでに記したとおりだ。なかには、やれ名の知れたあの映画祭に出かけたのだの、この貴重な上映イベントに参加できたのだの、とことさらに語る人たちもいるが、そういう場に招かれたこともないので羨ましいとは思いつつも、そういう報告はあまり好きではないので、ここでのものはそうういう意図ではない。選ばれし者とでもいいたげな、なにほどかの特権性を醸し出していることに自覚的ではない文章からはできるだけ距離を置きたいからである。有り体にいえば、シネフィルとはまるで縁がない方向で、筆者は映画研究は学んだし、いまもそれにかかわっている。
そういえば、筆者が学んだ映画研究は、1990年代のニューヨーク大学大学院のそれだが、そのときのゼミや授業で大きくとりあげられていた実験映画作家に、ホリス・フランプトンがいる。HFAで、彼の短編映画集『Hapax Legomena』が上映されるというのだ、出かけてみないわけにはいかない。
HFAは、キャンパスの中心にあるハーバード・ヤードの東側、ちょうど大学がもつ美術館の隣にあるカーペンター・センターという、コンクリートでできたコンプレックス型の建物の地下にある。劇場自体はここでもやはり、日本でいえば200席あっちこっちの単館に似た上映施設である。
正直をいえば、前日に、知り合いの中国の映画研究者に誘われて、ホン・サンスの最新作『In Our Day』(2023年)を観に来ていた。昨年、カンヌ映画祭でかかった作品だ。こういう、一眼見ただけでも、画面や編集にかかわる技や実験的なストーリーテリングがみてとれる作品をさらりと上映してしまうあたりに、この劇場のこだわりがうかがいしれる。
そうであるので、1970年代のフランプトンの実験映画が上映されたりしても、ごくごく普通のことかもしれない。
それにしてもだ。半世紀ほども前に作られたフランプトンの作品群の上映に、しかもまとめて3時間半以上はつづく上映に、100人近くあるいはそれを越えるほどの観客が客席を埋めていたのにはびっくりした。よほど熱狂的なファンでないと、これほど実験的なつくりの、ひどい言い方をすれば、映像と音が相当グッチャグチャな映像があれやこれや、ひたすらに押し寄せる作品だらけなのだ。たまったものではないだろう。それでも、途中で座席を離れていったのは、たぶん5人から10人くらいだ。
(ついでにいうと、映写機のトラブルで、最後の短編をかけることができなかったのだが、幾度かの挑戦のあと断念しそれを報告するスタッフに、観客がねぎらう拍手を送ったことにもびっくりした。筆者は日本で、さる実験映画の上映に間接的にかかわったことがあるが、映写技師がレシオを間違えてかけてしまったことを、シネフィルらしい観客が受付でスタッフを大声で罵倒し罵り出ていったことを目撃したことがあったりもしてだ。映画を愛しているとは、どういう人たちのことをいうのだろうか。)
とまれ、よくもわるくも、へんなものを面白がる余裕がこの大学、そしてこの街にはあるということなのだろうか。
自分なりに文脈を探っておこう。
きわめて難解で知られるものの、半世紀にわたって現代美術界に圧倒的な影響を及ぼしてきたジャーナル『オクトーバー』の創刊号には、M・フーコーの「これはパイプではない」やR・クラウスのビデオ論ありリチャード・フォアマンの演劇論とならんで、フランプトンのエッセイが掲載されていた。急いでつけ加えておくと、N・バーチの日本映画論ともならんでだ。『オクトーバー』が、創刊当時、ただの美術批評誌ではなかったことがわかるラインナップだ。
今次の上映にあたってのアーカイブスタッフによる紹介でも、フランプトンは、映画史というよりも、むしろ美術史においてとりあげられることが多い作家だという具合だった。
『オクトーバー』といえば、クラウスがマイケル・フリードの教えを受けた大学でもある。
そういえば、隣の大学美術館は、少し前に訪れていた。その豪華なコレクションには目を奪われるばかりだった。ほぼ観光地と化しているハーバードスクエア近辺にあって、旅行者がわんさか集まる名所となってもいる。だが、筆者が感銘を受けたのは、美術作品に付されたキャプションのクオリティの高さでもある。いまの美術研究の成果をしっかりととりこんでいるように見受けられた。
むろん、専門外(筆者は、無謀にも芸術理論についての本も出したのだが、日本のさる美術研究者やさる美術雑誌から、映画研究者が書いた代物といった体で返り討ちにあったりした)なのではあるが、『オクトーバー』や『クリティカル・インクワイアリー』をはじめ好きであれこれ頁を繰ったりしているので、なんとなくはわかる。
横に並んでいるHFAが、同じくクオリティの高い思考をもって仕事をしているだろうと推測してもおかしい話ではない。
でも、HFAのリーフレットによると、文脈はもっと、刺激的なものだ。
じつは、今次のハーバード・フィルム・アーカイブでの上映は、1970年に創刊され一定程度の影響を放った、イギリスの映画誌『Afterimage』に集まっていた先鋭的な評論のうちの代表的なものが、2023年に編まれた『Afterimage Reader』(edited by Mark Webber, The Visible Press)の出版を記念して組まれた企画の一角を占めるものだった。
映画誌『Afterimage』の位置付けはなかなかむずかしいようだが、ざっくりいってもこういうものだったようだ。(筆者のここでの「映画研究ユーザーズガイド」でも抜け落ちていたあたりだ。)ネットでもちょっと調べてみた。
フランスの『カイエ・デュ・シネマ』がジャン=ルイ・コモリらによってラディカルに政治化した1968年を(明示的には記していないものの)受けて、はじまったものらしい。他方、イギリスにおいては、すでに創刊され長らく経っていてアカデミックな映画評論誌として定着していた『スクリーン』が、同じく『カイエ・デュ・シネマ』の政治化に呼応して、そのきっかけとなった論文「Cinema/Ideology/Criticism」の英訳を1971年の春号に掲載し、よく似た方向性に転換していったことも知られている。『Aafterimage』は、その『スクリーン』の方向性については、フランスの路線に追随しすぎであるとしてきわめて批判的な姿勢を堅持したという。
しかも、執筆陣には、ピーター・ウォーレン、ノエル・バーチらがいて、ひとつの号ごとに特集が組まれ、実験系を中心に映画作家と批評家を煽り続けたよ。誌面を飾っていたのは、評論ばかりでなく、フランプトンをはじめ、ゴダール、R・ルイーズ、P・シャリッツ、Y ・ライナー、L・マルヴィ、D・ジャーマンらのインタビューやエッセイも載せていたとのことだ。
とりわけ、ピーター・ウォーレンが実質的な編集にあたったといわれる第4号が「新しい映画」という特集を組んでいて、ウォーレン自身による『東風』(ゴダール)論とともに、シャリッツとフランプトンのインタビューを載せていて、大きな話題となったらしい。
大西洋の両岸でのこうしたとんがりまくっていた知的状況のこうした一端を振り返ってみるだけでも、フランプトンがいかに、現代思想を摂取した批評と、そのイメージにおける実践の交わるところで、最重要視されていたのかがわかるというものだ。実験映画と、現代美術、現代哲学が激しくぶつかり合う場に、もっとも深く入り込んでいる作家/アーチストだったのである。
フランプトンの盟友にマイケル・スノウがいるが、21世紀が明けたくらいからのスノウの、とりわけフランスでの再評価にはすさまじい勢いがあるが、その逆輸入も盛んなようだ。そうした文脈もあるのかもしれない。
事実、今次の上映でも、スノウがナレーターを務めたことでもよく知られている『Nostalgia』(1971)が筆頭を飾っていたし、冒頭の紹介でもそこは強調されていた。
この上映を観に来ていたのは、映画研究の充実ぶりが目覚ましいこの大学の学生たちなのか。美術研究に携わる人たちなのか。はたまた、メディア考古学を比較文学専攻に集う者たちか。いやいあや、往年のシネフィルが、物見遊山で実験映画に足を運んだのか。
筆者は大学院生の頃、アネット・マイケルソンのゼミに出ていたが、『Nostalgia』が題材に取り上げられたことがあった。イメージと記憶の関係をめぐるあまりに先鋭的な探究であるともいえる、この作品に足がすくんでしまった覚えがある。
デジタル映像が跋扈する時代に、映像とは何かという問いに対して実践的かつ批評的に深く探求したフランプトンが再考されているのかもしれない。そして、そういう動きがあちこちですすんでいる。そんな気配を感じた、ちょっとうれしい気分の夜だったといっておこう。
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