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市立札幌病院の歴史~斉藤龍安

関寛斎のことを調べていて、あることがわかった。
寛斎がなぜに、医師としての成功と財産をなげうって北海道の未開の地に入植したのか疑問であった。札幌農学校に学んだ息子又一のために来道したのではなく、自ら北海道の新天地をもとめて入植しようとしたのであって、その決意をもたらした人物がいたのではないか。(出典根拠ないから仮説である)
札幌市立病院の前身とされる札幌本府仮病院の第一号医師である「斉藤龍安」という医師の存在である。
龍安は徳島で医学を教えた者たちの一人「良助」であり、寛斎が一番面倒を見た。唯一の弟子とも言える。奥州「出張病院」に彼を伴って従軍医療活動に従事している。
「日本一寒い町」陸別町の「開拓の祖」と慕われる関寛斎は千葉県九十九里に生まれ、佐倉順天堂の佐藤泰然に師事し長崎医学伝習所のオランダ医師ポンペに医学を学び徳島藩御殿医ながら、庶民の医療にあった人である。明治維新の戊辰戦争で官軍の医師として東北出張病院で戦傷者は敵味方の区別なく手当てにあたる。日本における赤十字活動の草分けと言って過言ではない人である。

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