「運命の出会い⁉」ー偶然と必然の話
ポーランドに来て、早くも1か月が経ちました。正直、アッという間の感じです。そんな中で、色んなことを改めて考えるようになりました。
その中で特に考えたこと、というか感じたことが孤独。ルームメイトともうまくいっているし、毎日誰かと話すし、物理的に孤独なことはほとんどありません。それでも感じるのが孤独。なんというか自分だけがアジア人だし、母国語じゃない言語で気持ちを伝えることにも結構まだ限界がある。毎日が正直、戦いのような日々です。実は家族も自分の留学のことを知らない人もいるし、、、。日本から遠く離れた異国で精神的にポツンみたいな感じがします。
そんなとき、馬鹿みたいに考えるのが「ああ、恋人いたらな」みたいなこと。ふと、恋人がいたらなんというか精神的に落ち着くのではみたいなことを思います。
とか思いながら、自分は自分に恋愛禁止を決めています。これは色んな事情があります。その一つが親の離婚の経験。それと自分の恋愛での苦い経験。まだ自分には早いと考えています。まずは、しっかり人と関わる、関係を作ることを大切にしています。
こんな自分が今、考える「運命の出会い」について今回は書きたいと思います。あの、この運命の出会いは、西野カナとかをはじめとする恋愛ソングでよく出るあれです。
※今、読んでいる人が自分と同じ親の離婚を経験した人なら。離婚家庭の子供の恋愛に関して悲観的な情報が溢れており、不安になることもあるかもしていません。自分はこの不安を恋愛から目を背けることで素直に向き合っていません。この不安に苛まれそうな人はこんな人もいるんだなくらいで読んでください。これは、絶対の答えでもありません。自分も考えが変わるかもしれません。決めつけはしたくないのでどうか気軽に読んでください。または気軽に読まないでください。
偶発的計画性理論ー必然的に偶然
偶発的計画性理論は、キャリアに関する理論。この理論が正しいとかこの応用の仕方が正しいとかは別として、この理論の考え方が好きだ。キャリアの8割は結局、偶然性によって引き起こされているという考え方。どのように行動することでそのその偶然性というか、運命みたいなもの引き起こすかみたいなことが、この理論の面白いところ。気になる人は、ググるとよりわかります。とにかく、僕は偶然は偶然だけど、この偶然性を引き起こすみたいな考え方が好きだ。そう考えると、偶然も必然のような気がして、その運命に感謝しながら、出会いを大切にできるような気がするから。
今、できているかどうかは別として、謙虚で誠実に人と向き合いたいと考えています。こうした人との出会いが、何よりも自分にとって財産だから。謙虚さを忘れさせるような出来事は、時に自分の自信になるけど、怖いという感情の方が強い。 その中での人との出会い。そして自分を認めてくれる人との出会いに真面目に感謝したい。そんな人に出会えたことがとてつもなく運命的なこと。恋人とか友達という枠組みを超えて、そうした人に出会えたことすべてが運命的な気がするんです。西野カナ的な運命の出会いだけでなく、すべての人との出会いが運命的で、その偶然性に謙虚に感謝したい。これが僕の暫定解。
留学前に、自分を空港まで送りに来てくれた親友を例にちょっと考え見たい。彼は、僕が最も尊敬している人の一人。留学先で、なおさらに彼のすごさを感じ、より尊敬している。
彼との出会いは、2020年の9月に彼が同じ寮に引っ越してきたとき。彼はもともとアメリカに留学していたが、コロナの影響で無念の途中帰国。半年実家で過ごした後に、自分が住んでいた寮に引っ越してきた。オンライン授業で被っていた授業があったから、存在は知っている程度。ここで一つ目の偶然。彼はコロナで帰国することがなければ、ほとんど存在を知ることもなかったかもしれない。コロナがなく、彼が留学を予定通りしていたら僕たちはあっていなかったかもしれない。コロナがなければ、彼が帰国する頃に僕が今度は留学へ、みたいな感じだからほとんど話すことはなかったかもしれない。こんな言い方をすると、炎上するかもしれませんが、コロナのおかげで会うことができて、時間を同じくすることができたんだと思う。同じ寮に住んで、同じゼミに所属する僕たちは、普通に生活をしていても濃厚接触なので、しょっちゅう会って色んな話をした。
いや、待てよ、、、。前に書きましたが、僕はいわゆる合格浪人している人。もし、そんなことしないで合格した大学に行っていたら、彼とは合わなかったかもしれない。親に離婚しろとか言わなければ寮に引っ越すこともなかったかもしれない。そんなことを考えると、大学の友達や、寮に住み始めてから仲良くなった人、出会った人ってめっちゃ運命的な出会いな気がする。もちろん、留学先で出会った人達は、世界中であらゆる偶然が重なって出会うことができた人達。これってもうすごいことだと思う。
彼と出会えたことは、こうした日常の中で起こる偶然の積み重ねだ。でもこうやって整理してみるとなんか、会うべくして会ったという必然性の気がしなくもない。
ある意味、運命的ー友達を想う
西野カナが歌うような、運命の出会いはあるっちゃあるのかもしれないけれど、僕にとってはすべての人との出会いが運命的な気がする。その意味で、運命の人と出会って、結ばれてみたいな話は一種のおとぎ話だと思う。もちろん、恋愛って素敵なものだし、それを否定する気は全くない。でもきっとすべての出会いが、運命の出会いだ。まず、それを前提に人と関わりたい。
そんなことを考えているからしばらくは恋人はできない気がする。でも、しばらくはこれでいい気がする。恋人というある意味特別な存在とどう向き合えばいいのかわからないし、ちょっと怖い。自分が人と向き合うときに大切にしているこのことを、薄れさせてしまう気がするから。だから何かあれば、その時に考える。今の自分には、恋人に出会うことより、普通の人との出会いを大切にする方が重要な気がする。だから「暫定」解なんだ。
そう考えると、人との出会いに謙虚になれる気がする。毎日、フツーに色んな人にであうけれど、それはあらゆる偶然が重なって起きている。でもその道筋をたどると、なんか必然的な出来事のような気がしなくもない。そんな不思議な感じを忘れたくない。そうすれば、普段会う人に感謝できる気がするから。その人に全力を尽くせるから。たとえ、それが一回ぽっきりの出会いであっても、いつか分かれるときが来たとしても、こう考えればポジティブになれる気がすうし、後悔も少なくできるから。
とりあえず、これが恋愛禁止中の僕の暫定解。これにすがるのは良くないけれど、しばらくはこの暫定解と共に生活することが目標。今日も、偶然性を大切にしながら、生きていきたい。
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