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「南風吹く頃に」

第一部       9・混成競技

清嶺高校との合同練習で、上野先生は本格的な陸上の練習を経験させてくれた。

「彼女たちは今、4台のハードルでインターバルを刻む練習してる」
上野先生の説明が始まっていた。
「この子のは中学の時からハードルやってるから、もう十分リズムが身に付いてる。次の選手を見ていて」
1年生の小林未紗希がスタートした。
「1台目まで8歩で行って、抜き足を横から回して、着地した足のつま先の方向に持ってくることが大切。そうすると直線的にインターバルの3歩が走れる。ここで抜き足が着地した足の外側に降りたり、クロスして交差した位置についてしまったりすると、軸がぶれてスピードは落ちるし、3歩で踏み切れなくなってしまうんだよ。この抜き足の動きが第一のポイントだからね。そこをよく見ていて。」

野球でピッチャーの踏み出し足が外側に開いたり、内側にクロスすると上体がついてこないのと似ていた。ピッチャーだとこれで肩や肘を傷めることが多いし、腰に負担がかかりすぎることにもなる。踏み出した足に体重を載せて前に進むように投げるランニング投法というのと同じ原理のようだ。小林未沙希は、3台目で踏切の方向が高くなってしまうようで、着地してからのスピードが極端に落ちてしまった。

「もう1度、北野が行くよ。」
最初に跳んだ3年の北野恭子さんがスタートした。右足で踏み切った時の右手のリードがしっかり取れていた。かなり遠い位置から踏み切り、ハードルを越えるとすぐ近くに着地していた。着地するのを待っているのではなく、ハードルを振り上げ足で後ろに倒すような振り下ろしの動作をしているようだ。これは、午前中に練習したスプリントドリルのひざ下の振り下ろしの動作と同じだ。ハードルを跳んでいるというより、ハードルを間にはさんで腰の位置を高くして走っているような感じだ。この振り下ろしの動作が抜き足にスピードを与えているに違いない。

「あの、着地する足は振り下ろす感じみたいですね」
「そう!よくわかったね。いい目してるよ。」
上野先生が喜んでくれた。僕の見方が間違いではなかったようだ。
「インターバルを3歩で行くのに、どうしても着地を遠くにして距離を稼ごうと思っちゃうんだけどね、そうすると次の足が前に出てこなくなるんだよ。それよりもかえって、着地を手前にして、抜き足を高い位置から叩きつけるように前に持ってくるとリズムが取れるの」

右投げのピッチャーだと、左手をグラブの重さを利用して強く引き付けることで右腕の振りを強められるのと同じことかも知れない。

「難しそうですね、走ってる時そんなこと考えられるんですか?」
「慣れればね。そのために練習してる。インターバルの3歩が広く感じてるうちは速く走れない。インターバルを小さくリズミカルに刻めるようになると一流になれるよ」
もうひとりの1年生がスタートした。ハードル間を4歩で跳んでいる。
「この子はね、体が小さいしスピードがまだないから4歩でインターバル跳んでるの、毎回踏切足が変わるから器用なんだね」
4歩で跳ぶことは見ていてスピードに欠けるが、安定したリズム感があった。でも伸ばす腕が交互になってしまうのでちょっと違和感があった。

「一般的にはね、振り上げた足と反対の腕を伸ばしてベントするとバランスが取れるし、ランニングのリズムも崩れなくて済むんだけどね、最近はね両腕振り込みの選手も結構いるんだよ。その方が体を倒しやすいし腕振りのリズムにアクセントをつけやすいらしいんだけど、ちょっと特殊な動きになってしまうから、まずは普通の動きをするといいよ」

「やってみる?」
上野先生がからかっているような言い方をしたが、早くそう言ってくれるのを僕は待っていた。
「女子用だから、ハードルも低いし、インターバルも短いけど、練習にはいいかもね」
「やってみます」
「スピードをあげないでやりなさい。詰まっちゃうから」

スタンディングからスタートして1台目、歩幅を無理して合わせてジャンプすると思いのほか高くとびあがってしまった。右足で着地。左、右と慎重に足を運び次の左で踏切った。が、膝を伸ばした振り上げ足を意図的に引きつけて振り下ろすことも、左足を横から回して高く引き付けることもできない。パタンと右足のすぐ近くに降りてきた左足が次へのエネルギーを吸収してしまったようで、前に進む力はがくんと落ちた。3台目は越えられなかった。男子用のハードルに比べるとかなり低い高さに設定されていても、目の前のハードルはやはり「障害」として僕の前に立ちはだかっていた。障害を越えられない恐怖のようなものを感じた。手でハードルを抑えて立ち止まった。
「難しい!」
清嶺高校の3人から笑い声が聞こえてきた。

 実践はそこまでになった。まずはハードルを越える動作のストレッチを教えてもらうことにした。振り上げ足になる右足を前に伸ばし、抜き足をまげて左手を前に出す。その状態で顔を前に向けたまま上体を前屈させる。3人の女の子達はさすがに体が柔らかくなんでもないようにスムーズに前屈させている。うまくいかない僕の背中を2人がかりで押してくれたのだが、僕の上体は比較にならないほど硬い。
「背中の筋肉すごいよね!」
北野恭子さんが言い、2人の1年生がクックッと笑った。その後、ハードルの横に立っての抜きの練習を何度も繰り返し、あすからの練習に加えることを教えてもらい、砲丸投げに移ることになった。

 高松菜々子という3年生が1人で砲丸のサークルに入っていた。
直径2.135mのサークルは競技場と同じようにコンクリート製で、外枠も鉄製のリングで囲ってあった。白い木製の足止め材もちゃんとつけられていて、競技場と同じ雰囲気で練習できる。これも南ヶ丘のグラウンドにはないもので益々気分は高まってきた。

清嶺高校は伝統的に長距離とリレーが得意な学校だった。駅伝の他400mと1600mのふたつのリレーが強く、フィールド競技の人数は少なかった。そんな中で高松さんは砲丸と円盤の両方を得意としていて、去年の新人戦では砲丸投げで優勝していた。4キロの砲丸で12m台の記録を持っている。彼女は今グライドをしてからの突き出しの練習をしていた。
「高松、2、3本投げてみて」

上野先生の言葉に頷き、高松さんがサークルに入った。後ろ向きの姿勢から右手の砲丸を頭上に高々とあげ、あごの下に構えるとすぐに左足を大きく振り出して、右足の蹴りと合わせて前方へ素早く移動して投げた。まっすぐに伸びた右腕の手首がきれいに返り、スナップが効いた投げになっていることがはっきりとわかった。砲丸はかなり高い弧を描いて飛んだ。

「君は野球やってたから、腕を振ってボールを投げていたと思うけど、砲丸はね、直線的に腕を突き出して投げること。あごの下に構えたら、そこから胸を張るようにして目の高さまで押し上げるようにするといい。ステップは、あー……グライドって言うんだけどね、今の高松のを真似してみるといいよ。高松はステップ上手だから」
「やってみます。」
「投げ終わってからはね、サークルの後半部分から出るんだよ。白線が引いてあるから、試合の時はね。」
教えられた通りに砲丸を構えててみる。冷たい鉄の感触があごの骨にまで伝わってきた。

「あっ、ちょっと待って。高松、持ち方教えて」
高松さんがもうひとつの砲丸を持ってきて右手に乗せた。
「こうやって、中指の付け根のあたりに重心が来るように乗せて」
向かい合ってみると高松さんはかなり背が高い。上野先生が高かったのであまり目立たなかったが、170㎝以上ありそうだ。手足も長くて、バスケットボールやバレーボールの選手のようだ。清嶺高校はバスケもバレーも強豪校なのだから、きっと勧誘されたに違いない。

「親指と小指には力を入れないで支えるだけにして、砲丸が落ちないようにすればいい。腕が伸びきった時に手首のスナップが効くように。そう、そう、そんな感じ」
言われたように腕の動きをやってみてからサークルの後ろに行って構えに入った。ピッチャーの投球と同じように左肩が開かないようにすればいいのだろうと想像は付いた。右の膝を深く折って力いっぱいステップした。左の肩と腕を大きく回して、顎から直線的に、最後はスナップを効かせるように放り投げた。

4キロの砲丸は低い放物線でハーフライナーのように飛び出し、グラウンドの上をずいぶんと転がっていった。
「えー!」という高松さんの声と
「あらー!」という上野先生の声が重なった。
走り高跳びの助走練習をしていた山野沙紀が砲丸を拾って持ってきた。その後からタクと川相智子が続いた。
「ずいぶん転がるんだ。野田くん? 投げたの?」
「どのくらい出てる?」上野先生が高松さんに聞いた。
「14から、15m、くらい行ってますね! こんなに飛んだの初めて見ました!」
「4キロだけど、やっぱ力あるね! 今の投げ方でこれだけいってるものねえ!」
「6キロだと、どのくらいですか?」
高松さんが聞いたが、上野先生は黙ったままだった。

「右足の蹴りすごいね! やっぱり野球かな? ピッチャーだった?」
「ピッチャーもしてました。でもセンターが多かったです」
「砲丸投げやるの?」
なぜか心配そうに山野紗希が言った。
「いや、沙紀ちゃん、この人砲丸だけじゃもったいないみたいだよ。明日からあなたたちで、ハイジャンプの跳び方教えてあげて」
上野先生はなぜか難しそうな顔をしている。

山野紗希の目がいつも以上に鋭くなったように感じた。
川相智子は不思議なものを見たような顔をしている。
タクはいつもの子供っぽい表情のままノダケンを見つめていた。

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