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「南風の頃に」   第二部 4・試 練

第二部 4・試 練


 
突っ立っているだけの坪内航平の視線の先には、大迫勇也の左足首が大きく腫れ、水風船のように膨らんで見えていた。湿布薬の上からきつくテーピングされた彼の足は、もうこれ以上競技には参加できないと叫んでいた。
 
昨日の400mリレーの前に行われた走り幅跳び予選では、予選突破記録の6m45㎝を一発でクリアーする6m96㎝を跳んでいた。優勝候補の一人と思われていた大迫勇也は自信をもって今日の決勝に臨んでいた。追い風を背にした助走はかなりのスピードに乗り一本目のジャンプが期待された。昨日のリレーの走りから自分自身でも調子がいいように感じて思い切った助走からフルスピードに乗った。踏切版がいつもよりちょっとだけ遠くに感じて最後の一歩が少し広がってしまった。踵から踏切版に入ったときに強烈な痛みを感じたが、そのまま踏み切った。跳び出しが今まで以上に高く感じた時にはもうすべてが手遅れになっていた。彼は跳びあがってすぐに足の違和感とともに砂場に「落ちて」しまった。

ゴムの助走路と踏切板とのわずかな段差に踵がはまってしまったようだ。いつもより少しだけ広がった踏切足の角度が、いつも以上にスピードに乗った体重を全て左足首で受け止めることになってしまった。追い風に乗って気持ちよくスピードが上がって、いや上げすぎたことが必要以上の力みにつながり、局部的に大きすぎる負荷がかかってしまったのか。いずれにしても、大迫勇也の全道大会はこの瞬間に終わった。いやこの大会だけではなく、彼の高校生としての競技はすべて終了してしまった。
予想以上の重傷だったのだ。遅れてやって来た沼田先生が養護教諭の方から状況を聞き、付き添いで病院へと向かった。そして、結果が午後遅くなってから判明した。左足首靭帯に損傷部分が何か所かあることが分かり大迫勇也の左足首はすぐにギプスで固定された。応援に来ていた母親も大変なショックを受けていたが、自らの運転する車でそのまま札幌へと連れ帰った。
戻って来た沼田先生は緊張した面持ちで、恐らく今シーズン中の復帰は無理だろうとみんなに説明した。エントリーしていた100mも当然出場できない。残った部員たちの動揺は大きかった。南ヶ丘高校陸上部のエースである大迫勇也の大怪我なのだ。昨年に続く全国大会への出場もなくなってしまった。

同じ日の午後、菊池美咲の七種競技はあまり伸びなかった。
砲丸投げは10m20㎝で543点しか獲得できていない。一日目最後の200mは26秒37で765点と少しだけ盛りかえした。それでも、一日目の合計得点では2809点。5000点越えを目指す菊池美咲としては、平均750点獲得を目指したいのだ。北海道の高校記録は5073点。その更新を目指してやってきた。昨年の全国大会では4900点を越える結果を出しているのだ。単独種目の大会でも5つの種目で昨年の記録を更新してきた。それだけに指導する先生ばかりでなく北海道の陸上関係の方たちは皆その実現を感じていたはずだった。
 
走り高跳びの時と同じように、午後からも集中できない感じがますます募っていった。昼食をはさむことで改善するはずだった気持ちの整理が、……全くダメだった。午前中よりもなおさら……。
母は、いつもと違って励ます言葉も少なく「明日もまた応援に来ようね」と何度も妹の美穂に言うばかりだった。

大迫さんが病院に行ったのとほとんど同じ時間に始まった800m準決勝でもうひとつの「アクシデント」が南ヶ丘高校陸上部に起きてしまった。最終コーナーを回っていたトップ集団の中で、内側にポケットされた状態の隠岐川さんがスパイクされ転倒してしまったのだ。
隠岐川俊が蹴り上げた踵に後ろの選手のスパイクが引っ掛かり、倒れた時に走路とフィールドとの境になっている縁石に膝をぶつけて立ち上がれなくなってしまった。後ろにいた二人も折り重なるように倒れ、さらに後ろの走者の何人かのスパイクが倒れている三人をよけきれずに踏みつけてしまった。
 スパイクされた右の踵あたりからの出血に加え、境界のブロックに膝をぶつけた傷が深い。倒れた時に膝頭をかなり強く打ち付けてしまっていた。残り100m足らずでゴールできる位置まで来ていたが、もうそこから追いかけることはできなかった。混戦になった時の中距離走では、スパイクされることも転倒することも珍しいことではないが、このケガは大きすぎた。

隠岐川俊は救済措置で決勝に進む権利を認められた。だが、次の日は14時5分から800mの決勝、そして15時25分からは1600mリレーの予選が組まれている。彼のひざのけがはかなり深かった。周りのみんなその怪我の具合から800mも1600mリレーも出場は難しいだろうと感じていた。

北海道大会 第3日目
七種競技の走り幅跳びが10時から始まった。昨日の乗り切れない調子を何とか挽回したかった菊池美咲はいつもより少し早くからアップをはじめ、顔見知りの出場者とたくさん話をすることにした。旭川以外の出場者にも何人か共に戦ってきた人たちはいる。他校の監督さんや競技役員さんたちにも敢えて歩き回って挨拶を多くした。
 この大会ではいろいろと自分のことを考え過ぎた。いつもと同じ状態で競技に向かえていないのは、自分の心がいつもどおりにはたらいていないから。それは十分すぎるほど分かっていた。今日は、この通いなれた旭川花咲陸上競技場で自分の三年間の総まとめがなされる日だ。なんとなく始めてしまってはいけないと考えたのだ。いつも以上に時間をかけゆっくりとウォーミングアップした後に、一本だけ全力で助走を走ってみた。踏切版への足合わせだけで踏み切ることなく砂場を駆け抜けた。
 昨日男子の走り幅跳びで、南ヶ丘の大迫という選手が大怪我をした話は聞いていた。彼はこの種目で去年の高校総体全国大会へ出場していたことも知っていた。踏み切り板と助走路のゴムとの段差なんてほとんど存在しないんだけれども、踵に滑り止めの溝パターンをつけた走り幅跳び用のスパイクだと、踵の角度によってはビタッと止まってしまうことはある。昔の土の助走路だった頃には試合の進行が後半になると踏み切り板の手前が掘れてしまうことがあるんだと聞いたこともあった。でも、どちらにしたって普段通りの踏切角度でいけば「踵がはまってしまう」なんてことはありえないはずだった。とはいっても、優勝候補の一人でもある彼は技術的にも優れていたはずだ。そして、これは昨日現実のものとしてこの場所で起こったことなのだ。
 菊池美咲は何時もと同じ長さの助走距離にマークを入れて中間地点のマークもいつも通りとして助走を走ってみた。踏切も高く跳び出すことよりも走り抜ける感覚を大事にして走ってみたのだ。だいじょうぶ。いつもの感覚と変わりはなかった。
「いつも通り。何も特別なことなんかない。ここの助走路は今までに何百回も走って来たのだ。いつもと同じ感覚でいい!」
そう自分に言い聞かせて一本目の助走を開始した。風は無風状態。いつもより少し柔らかく感じる助走路はしっかりとスパイクのピンをとらえ体を自然に前へ前へと送ってくれた。ハードルの時と同じように右ひざから振り上げた脚を空中を歩く感覚で一回漕いでから着地姿勢に入る。前に伸ばした両足が砂場に着地すると同時に膝を曲げ体を前へと送った。砂場から出て振り返った時、監察員の白旗が上がった。
 足に付いた砂を手では叩き落としながら天幕だけを張った待機場のあるスタート地点に戻る途中に「5m42㎝」という表示が掲示板に現れた。得点換算表に照らしてみると「677点」であることが分かった。目標の750点越えはならなかったが、もうパスすることにした。このまま続けることになんだか嫌な予感を覚えてしまったのだ。昨日からの乗れない部分を取り返そうと無理してしまうと思わぬことも起こりえるからだ。自己記録まではまだかなりの開きはあるけれど、ここは無理するところではない。

隠岐川駿は800m決勝を辞退した。昨日のケガはやはり簡単に治るものではなかったのだ。ところが彼は16継には出ると沼田先生に食い下がった。大迫勇也の怪我を目の当たりにしたばかりの沼田先生にとってはつらい全道大会になっていた。昨年から全道で注目されてきたエースを怪我で失ってすぐ、次のエースになるはずの隠岐川駿まで怪我をさせてしまった。しかも全力を出すなんてことは無理とわかっていながらリレーには出ると言い張っている。
 隠岐川駿の性格を知っている部員たちには大きな驚きとなった。中学校の頃から仲間と一緒に何かすることよりも自分一人で楽しむことばかりを選んできた隠岐川なのに。仲間とつるむことを嫌い、むしろ一匹狼的な生き方をかっこいいと言い張っていた隠岐川だったのだ。

「800はむりでも、400なら何とか持たせて見せます」
「距離は半分だけど、そんなことしたら後々大きなリスクを背負い込むことになるかもしれないぞ。16継は補欠も二人登録されてるんだからな、ここで無理することないだろう。お前は来年もあるんだ……」
「先生、来年なんて、どうなるかわかんないっすよ。大迫さんがああなっちゃたんで先生方も大変だってことはよくわかりますよ。でも、俺は800決勝よりも16継でみんなと走りたいんです。こんな落ち込んだ雰囲気のまんまで札幌に帰るの嫌じゃないですか」
「だけどお前、現実の問題としてさ、走れるのか?」
「大丈夫です。新記録出せるとは言いません。でも、全力で行けます!」
初めて聞くことになった隠岐川駿の熱の入った話し方に沼田先生は覚悟を決めた。
「そうか。わかった。その代わり1走で行くぞ。アンカーは野田にする」
「そうすか。いいっすね。野田のアンカーはぴったりですよ。そして、俺は冷静に走れってことっすね」
「そうだ。但し、いいか前もって言っておくぞ、もし間違って予選突破してもな、お前の走り次第では替えるからな」
「もしじゃないすよ先生。大丈夫、絶対準決行きますから。きっと、またノダケンがびっくりする走り見せてくれそうですよ。俺たちが出し尽くさなくっちゃ、その後の女子がかわいそうでしょ」
「お前、最近なんか変わったんな」
「そうっすか。……それって、誰かの影響かもしれませんね」
そういう隠岐川駿は怪我で落ち込むどころか、むしろすっきりとした顔をしていた。

14時40分から始まった七種競技のやり投げは選手ごとの力の差がかなり大きかった。30mに届かない選手が何人もいるのだ。やり投げという競技が一般的に広がっていないことと、女子高生にとっては野球のように肩を回して物を投げる動作になじみがないことが原因だと考えられている。腕をいっぱいに後ろに伸ばして左足の踏ん張りと腰や肩の回転を調和させるという動きはなかなか短時間で身に付かないものらしい。
菊池美咲はこの種目3番目の記録で39m85㎝を投げ664点を獲得した。5000点突破を目指すにはこの種目で何とか得点を伸ばしたいところだった。16時45からの最終種目800mは得意種目の一つだったが、この点数では今回5000点突破は難しくなってしまった。それでもここまでの合計では4150点でトップとなった。全国大会への出場はほぼ確実になりほっとした気持ちが半分、うまく自分をコントロールできていなかったことに落胆したことが半分。でも、最後までしっかりやろう。ここで気持ちを切らしてはいけないと自分自身に強く言い聞かせて最終種目に向かって準備することにした。

15時25分からの1600mリレー予選に隠岐川駿が出場すると知り、南ヶ丘高校陸上部員は皆沼田先生の決断に疑問を持つことになった。800m決勝を欠場したのにそのすぐ後に行われる16継に出場させることの意味を理解できずにいた。
「それはね、あの隠岐川駿がね、南ヶ丘の陸上部で活動する中で生き方が変わって来たということじゃないのかな」
 山口美優さんと一緒にやって来た上野先生の言葉だ。

「そうですね。隠岐川君も一匹狼じゃなくても良くなったって感じたんですね」
「さすがだね、ミス山口……」
上野先生がしばらくぶりに「ミス山口」と呼び始めた。
「隠岐川君も帰国子女として突っ張ってきたからねー。もうちゃんと南ヶ丘の中にどっぷりと浸かったってことだろうね。ミス山口にはよくわかるんでしょう、そのあたりのこと」
「そうですね、私は兄貴がいてくれたからまだたいして苦労してないんですけど、隠岐川君は一人っ子ですしね。弱み見せたくなかったでしょうね」
「ねー! そういうことなんだろうねー! やっぱミス山口、心理学者一直線だよー!」
この二人は本当に心理学者なのかもしれなかった。

16継が始まる時間になった。部員たちはみんなでトラックの周囲四か所に分散して応援体制を作った。スタンドの最前列には出場各校の応援団が鉄柵にびっしりと並んでいる。女子の16継メンバーは集合場所から声援を送る準備をしている。

一番外側のレーンからスタートを切った一走の隠岐川駿は、力をセーブしているような走りに見えていながらスピードに乗ったきれいな走りをしている。200mが過ぎてもその走りは変わらず、見ている誰もが怪我をしていることを疑ってしまうような動きをしている。これは大丈夫なのかもしれない、いつもと同じでここからまた一つギアが上がるだろうと思っていた。第三コーナーから四コーナーにかけてのカーブを周る彼の姿を見た沼田先生と上野先生はほぼ同時に顔をしかめた。カーブで左足に大きな力がかかり始めると彼は足をほんの少し引きずり始めた。普段の彼の走りを見ていない人にはわかりづらい程度だったが、二人にはすぐにそれが分かってしまった。直線に出た時に隠岐川駿の走りは全く違うものになっていた。もうすでにここまでが限界であることが感じられた。顔がゆがんでいる。腕の振りが必要以上に大きくなった。足が動かない分上半身でカバーしようとし始めたのだ。天才隠岐川駿らしくないバランスの悪い走りになってしまった。

「山野!! 一番後ろまで行け! バトンもらいに行け!」
珍しく沼田先生が競技中に大声で指示を出した。
完全に後ろ向きでバトンを待っている山野憲輔が両手で大事にバトンを抱えて走りだした途端、隠岐川駿はその場に倒れこんだ。昨日とは反対に一番外側のレーンに腹ばいで倒れた彼は左足を曲げて両手で抱え込んでいた。

バトンは3番目くらいで渡り山野憲輔が全力で前を追った。第二コーナーでオープンになると南ヶ丘を含めて4校で三番手争いになっていた。先頭とはたいして差がなく持ちタイムも拮抗している選手が多いようだ。コーナーを回る山野憲輔はさっき隠岐川駿が苦しみ始めたあたりから逆に力を全開にした。ペース配分をしっかりと考えた頭脳的な走りだった。三走の工藤純基にバトンが渡った時にはやはり三番手のままだったが、持ちタイムの一番いい二校に続き4番手を5mほど離して走り切った。
走り終わった山野憲輔さんは僕に満足そうな表情を見せた。走り終わった後の彼がこんな表情をしたことはなかった。

工藤純基は全市大会で自分のタイムを大きく伸ばし、自信をもってこの大会に臨んでいた。それでもやはり全道大会の上位校とは個人の持ちタイムにかなりの開きがあった。各組上位二校のタイムは南ヶ丘よりも2秒から3秒も速いのだ。上位二校の三走はいずれも40秒台の記録を持っている。札幌圏よりもむしろ函館地区や室蘭地区などはリレーに力を入れている私立校がたくさんあるのだ。
全力を出し切ることだけを考えていた南ヶ丘のメンバーはあまり順位を気にせずにいたのだが、大迫勇也と隠岐川駿の怪我もあって、期待していた結果を目にできていない仲間を意識し始めていた。何としても自分たちの足跡を残していきたかった。隠岐川駿の走りがさらにそれに油を注いだ。

 工藤純基さんは上位二校に離されながらもしっかりと三番手の順位を守り切った。この予選は三着+3で準決に進める。この位置をキープすれば準決だ。僕はまたまたアンカーに指名されてしまい、全市大会以上の重圧の中にいた。大迫さんが抜けてしまい全く結果を残してきていない南ヶ丘高校最後のチャンスなのだ。しかもここで準決に行けなかったら、無理して出場した隠岐川さんの気持ちが台無しになってしまう。16継で決勝まで進むのは力の差がありすぎるので誰もそこまでは望んでいないにしても、何とか準決まで進んで南ヶ丘高校陸上部の名前を残したかった。

一着を争っている室蘭と函館の高校までは10mほどの差が開いていた。4位以下はほとんど一線と言ってよいほどで南ヶ丘とは3mほどの差。この差は400mでは無いに等しかった。
この時、大きな責任感とともに待っていた野田賢治は、バトンとー緒に後ろの高校がー気に押し寄せてくるような気がして必要以上に気負ってしまっていた。いつもなら両手で確実に受け取っていたバトンを半身になりながら片手で受け取ろうとしてしまった。持っているすべての力を出し切っていた工藤純基がいっぱいに伸ばしたバトンは大きく揺れ、先を急ごうとすることだけしか考えられなかった野田賢治の手からバトンが落ちた。

「ええええ!」
「あーー!」
悲鳴にも似た応援生徒の声が長く尾を引いた。
観客席にいた人たちみんなが一斉に声を上げた。

野田賢治の左手にはじかれた黄色のバトンは走路のゴムに斜めに落ちて向きを変えて跳ね返った。そして足を止めようとした工藤純基のつま先にぶつかって転がった。

最初から全力で行こうとスピードを上げかけていた僕が急停車して後ろを振り向くと、そこになんとかバトンを拾った純基さんが汗にまみれた顔で「ほら! いけー!」と膝を折り曲げ、前傾姿勢で叫んでいる。
「16継のバトンはな、落とさなければいいからな……」
全市大会て山野憲輔さんに言われた言葉が僕の耳の中で大合唱し始めた。

やってしまった。一番最悪のことをしてしまった。純基さんが拾ったバトンをもらった時には、後ろにいたはずの4校がもう5m以上も前で3位争いをしていた。
「やばい!!」

「賢治、あのな『やばい』なんて言葉はな、昔の香具師だとかテキヤだとか言われていた連中がよ、隠れてやってたマズイことをな、警察なんかに見つかりそうになった時によ使う言葉なんだぞ。だからよ、『ヤバイ逃げろ!』とかな『ヤバイ隠れろ!』ってな時に使った言葉だ。お前たちが面白がって使うもんじゃねえんだ……」
岩内にいたらまたこうやってたしなめられてしまうだろうけど、今は本当に「やばい」のだ。

このままで終わったら、もう……。
「野田! 大丈夫! 行ける行ける」
「お前の力の見せどころじゃん。めいっぱい行け!」
憲輔さんと隠岐川さんがトラックのすぐ横まで来て叫んでいる。

とにかく体中の筋肉を総動員させた。走り方も何も関係ない。力を全部出し尽くすしかない。右手に握りしめたバトンを目の高さまで大きく振って、膝を前に前にと突き出すよう走り始めた。

沼田先生は、このバトンの失敗は自分が作り出してしまったものだと思い始めていた。大迫の怪我から始まった悪い流れを、隠岐川の16継に結びつけてしまった。あのバトンミスは混戦の中で起きたわけでない。隠岐川の代わりに野田をアンカーにしようとしたのは自分自身の大失敗だった。野田賢治に過大なプレッシャーをかける結果になってしまった。持っているポテンシャルの大きさゆえに「できるはず」と思い込んでしまっていたけれど、あいつは陸上を始めてまだ3か月にもなっていないのだ。失敗だった。この代償は大きいかもしれない……。沼田恭一郎は今後の南ヶ丘陸上部の進む先を探り始めていた。

上野悦子はこのバトンミスがもう一度野田賢治にスポットを当てるきっかけになるだろうと考えていた。自分の旦那は今きっと大きな後悔をしているだろうけれど、野田賢治はきっとこの状況を挽回してしまうに違いないと思った。この子が本当の力を発揮したらこんなのはどうってことないはずだ。一日目の4継での追い込みは尋常でなかった。彼の前を走っていたのは、皆各校のエースたちで、10秒8~9の記録を持っている選手たちなのだ。それをあの子は5mもあった差を逆転してしまった。もしあと10mもあれば二位に食い込んでいただろう。あの子の公式記録は11秒4~5だけれど、持ってる力はきっとそれより1秒も速いに違いない。怪我をしてしまった大迫勇也もすごい選手だったけれど、何か次元の違うところに野田賢治はいる。鋭いフォルムと研ぎ澄まされたシャープな大迫勇也に対して、武骨な外観からは予想できないほどの熱いハートと大排気量のエンジンを積んでいるのが野田賢治なのだ。この子に当たり前の結果を予想してはいけない。それは必ず覆されてしまう。
コーナーを回って直線に出た時に上野悦子は自分の考えが当たりであることを確信した。

第二コーナーを回って直線になると前にいた四人はすぐ目の前になった。野田賢治には400mという距離を考える余裕はなかった。とにかく全力で前に追いつくしかない。
「ノダー!行けー!!」
坪内さんの声だ。バックストレート側の観客席は通路が9レーンのすぐ近くまで迫って造られているので声援がはっきりと聞こえてくる。
直線になってすぐに外側に膨らんで一気に三校を抜いてしまった。先のことなど考えていなかった。ほとんど100m競争に近い走りだった。このままの走りでは最後まで持つはずがないと部員たちも見ている人たちも思ったに違いない。確かに第三コーナーのカーブに差し掛かったところで野田賢治のスピードは落ちてきた。前にいる三校は陸上の名門校で400mのペース配分も十分心得ているランナーたちだ。三番手にいる帯広の高校がターゲットだったが、この選手も400mを専門にしていてまだ力を蓄えているように見える。
野田賢治はこのコーナーの頂点まで来た時に自分の限界が近いことをはっきりと感じた。腕を意識的に強く大きく振ろうとしてもなかなか足の動きに結びつかなくなってしまった。

第四コーナーに位置した南ヶ丘の応援団が強烈な大声で叫んでいる。その手前のウオーミングアップエリアでは次の競技の選手たちが体を動かしている。
「ノダケン!! がんばれ!! ノダケ~ン!」
清嶺高校の何人かが手を振っている。そしてその先には菊池美咲がメガホン替わりに口に手を当てて叫んでいるのが見えた。そして、そしてなんとそのすぐ後ろには、妹の菊池美穂と「その母」が一緒に応援している。コーナーの頂点からはちょうど正面に見える位置にいる三人はそろって口に手を当てて叫んでいた。
「ノダケン がんばれ ノダケン!!」
いろんな人たちの声に交じっていたが、確かにそう叫んでいた。
「ノダケン! がんばれ! ノダケン!」
姉の美咲が、妹の美穂が、そして二人の母が……叫んでいた。
僕に向かって叫んでいた。
この旭川で初めて会うことになった三人が……「ノダケン」と叫んでいた。「頑張れ」と叫んでいた。

コーナーを回り切った野田賢治の目にはもう三人の姿は映っていない。けれどもいつまでも三人の声が自分を追いかけて来た。そしてその声は強烈な追い風に変わり自分の背中を押してくれた。力を使い果たしたように見えた野田賢治が帯広の選手を交わしたのはゴールの30mほども前のことだった。1着と2着の選手が着順で通過したことを確信しスピードを落としたこともあり、野田賢治はこの二人のすぐ後からゴールを通過した。三着で準決勝に進出が決定した。タイムも3分29秒台が出た。決勝へは3分20秒前後のタイムが必要なのでそれはなかなか難しいことだが、初めて全道大会で準決勝に進出したのだ。

隠岐川さんが純基さんの肩につかまってやって来た。山野憲輔さんが頭の上で両手を叩いている。それを見た僕はもう動くことができずにその場に両手をついた。

沼田先生は大騒ぎの部員たちの中で大きく息を吐いた。

上野先生は清嶺高校の生徒たちと一緒に跳びあがって体中で喜びを表している。

菊池美咲は七種競技最後の800mの準備をしながら野田賢治の「異常な」走りを目にしてしまった。4継の時よりもはるかに強烈な印象をもたらす「爆走」だった。もうそれ以上の言葉が見つからないような走りだった。すぐ後ろにいた母と妹の美穂もその走りに魅了されてしまった。
「昨日会ったお兄ちゃんが走ってくるからね。一緒に応援しよう。いい『ノダケン、ガンバレー!』って言うんだよ。言える?」
「うん、わかった。ミホね、ノダ、ケン、ガンバレー って言うからね」
「そうだね、何時もの様にね、手でこうやってメガホン作って言おうか」
「うん、メガホン、作れるよ」
自分から言い出せなかった母は、少し気持ちを楽にしたみたいだ。
目の前を走っていく野田賢治の姿は、見ているもの全員に凄まじいまでの迫力を感じさせた。知り合いであろうとなかろうと彼の走る姿はすべての人を巻き込んで声を上げさせ、心を震わせた。

菊池美咲は自分たちのいる場所を通り過ぎてゴールに突進していく野田賢治の後ろ姿を追い続けているうちに、あふれる涙を止めることができなくなってしまった。心が揺れていた。声を出したら嗚咽になってしまう。彼が、自分の弟だということ以上にこんなにすごい存在になっていたことに言葉で表すすべを持たなかった。振り返ると、母は下を向いてハンカチを使っている。妹の美穂はまだ拍手を止めていない。三人で一緒に彼の走りを目にし、しかもこんなに大声で応援できるなんて、ついさっきまでは想像もできないことだった。
彼がバトンを落として心臓の止まるような思いをした母と私。そこからの走り……。もう、自然に声が出て手が動いた。母もそうに違いない。あんなに大きな声で、あんなに力を込めて手を振る母なんて見たことはなかった。妹の美穂は分からないながら跳びあがるように応援を続けている。

 大会一日目から迷い続け、自分の競技にも集中できないまま来てしまった。そして最後の種目が始まる前に野田賢治の走りに出会えた。もう、何もいらない。この大会が高校生活最後の地元での大会となり、同時にこれからの自分の人生に大きな転機をもたらすことになったのは間違いなかった。私はこの最後の800mで自分のすべてを出し切って見せる。それが今目の前を走り抜けていった野田賢治に対する返事だし、応援してくれているすべて人への私の返事になるはずだから。

「美咲ちゃん、ミホ、またメガホン作って、ガンバレーって言うからね」
「うん、ちゃんと美穂が見えるように先頭でここまでやってくるからね。しっかり見ててね」
「美咲、良かった。ありがとうね。最後なんだから頑張ることより、楽しんで!」

800mのスタート地点に向かう途中で上野先生が言葉をかけてくれた。さっきまで自分の学校の選手について動いていたのにわざわざ声をかけるためにやって来てくれたようだ。
「いやー、菊池さんラストだね。楽しんで。記録なんてさいつでも狙えるからね。あんたならきっと次の試合でやれるよ。ほら、まだこの辺にノダケンの熱気が残ってるから。あんたもきっとね、あのエネルギーでだいぶ充電されたはずだしね」

ほんとにこの先生は、相手の気持ちを測れる人なんだと改めて感心させられた。野田賢治もこの先生の影響を受けているに違いない。私もぜひそうなりたい。
「ありがとうございます。頑張ってきます。いやあの、楽しんできます」
「OK!! そうそう!!」

800mはスタートしたときの体の動きで自分のコンディションが分かる。スタンディングからのスタートで早く体を予定のスピードまで上げてしまいたい。でも、そのために力を必要以上に使うのはマズイ。軽い動き出しでスピードに乗れるときは結果に結びつく。4レーンからのスタートは恵まれていて、コーナーの出口に設置されたオープンになるブレークラインを良い位置で越えインに入ることができた。今日は幅跳びとやり投げだけしかやっていないのでたいして体にきつさも感じない。そしてこの種目は割と得意な方で単独種目でも入賞したことがある。
バックストレートの直線を軽快に走り、コーナーの頂点に向かうところで母と美穂の姿が確認できた。二人とも楽しそうだ。母が本当に珍しく大きな声を上げ、美穂もそれに負けないくらいの声援をくれた。一周目は割と楽に走れたのでまだまだ余力はあった。他の選手はこの種目を苦手にしている選手が多いのでかなりきつそうな動きに変わっている。ラスト一周の鐘が鳴り、札幌啓明高校の阿部陽菜とともにスピードを上げた。彼女とは三年間ともに競い合ってきた。他は誰もついてこれない。彼女はいつも後ろについて最後のスパートで逆転する作戦で走っている。第三コーナーに差し掛かると阿部陽菜がスパートをかけ外側に膨らんだ。それは十分予想してたことだったので自分もしっかりとピッチを上げた。美穂が手を振っているのが見えた。
「ミサキー!ガンバレー!」
二人の声がしっかり聞こえた。きっとこの場所で野田賢治も私たちの声援を受け止めていたはずだ。

 七種競技最後の種目は気持ちよく走り切ることができた。最後の直線でも苦しさなんか感じなかった。腕を大きく動かし、しっかりと膝を前に送る。ゴールまで二人で競いながら走り切れた。会場からも役員さんたちからも大きな拍手をもらった。2分24秒72はベストではないがまずまずのタイムだ。761点を獲得し合計4911点で優勝することができた。記録的には去年のインターハイと変わらないけれどこの二日間は自分にとってずっと、これからもずっと、ずっとずっと忘れられない日になるだろう。

全道大会最終日
10時30分から16継の準決勝が始まり、2組目に登場した南ヶ丘高校は3分31秒44で5着になり決勝へは進めなかった。隠岐川駿は昨日の状態がもう限界を超えていたため出場を取りやめ、二年生の高野和真を三走にして臨んだが決勝に進む最後のチームは3分23秒で差は歴然としていた。

女子の16継は昨日の予選を突破できず、南ヶ丘高校陸上部は走り高跳びで4位になった山野紗季だけが入賞者となった。

午後になってスタンドの最上段で菊池美咲とその母に会うことになった。今日はもう美咲の出場種目はなかったので美穂は連れていなかった。
彼にとっては正装となっている学生服に着替え約束の場所に向かったが、二人と向かい合った野田賢治には話す言葉がなかった。何を話していいのかもわからず「ども」とただ頭を下げた。
「すごかったね昨日のリレー。あんなの誰もできないことだよ。本当に力があるんだね」
美咲の笑顔はスタジアムの上に広がる初夏の青空に溶け込んでしまったようだ。
「いやー、菊池さんの、七種もダントツ、じゃないですか。全国大会頑張って下さい」
野田賢治の言葉はぎこちなさ過ぎた。
「あなたも、混成やっているんだって?」
彼女の笑顔がさらに透き通っていった。
「いや、あの、全然、ヘタクソなだけで……」
「上野先生と沼田先生って二人とも混成の経験者だから、教え方上手でしょ」
「そうみたいですけど、僕がよくわかってないもんですから……」
「すぐ上手になるよ! いつか一緒に練習できるといいよね。上野先生にお願いしとくからね。」
「……はい……」
野田賢治は自分で何も話題を提供できないことに情けない思いをしていた。
二人の話を黙って聞いていた「母」がバッグの中からスマホを取り出して写真を画面に映し出した。
「これ……」
とだけ言って見せてくれたスマホ画面には僕がどこかの球場で野球をしている姿が映っていた。このユニフォームは小学校の時のものだ。

「……どうして、なんでこんな写真……」
母は次々と画面をスライドさせた。美咲もこれにはとても驚いたようで大きな目をさらに見開いて母の顔を見ている。
「えっ、どういうこと? 知ってたの?」
次々に移り変わる写真は大会に参加している試合の時のものらしい。札幌であった大会のものが多い。一番新しいのは去年の中体連前に行われた軟野連(軟式野球連盟)主催の大会のものだった。札幌の美香保公園野球場で行われたもので、相手のクラブチームのユニフォームに見覚えがあった。

「お母さん……これって」
「あのね、ノダケンさんとお婆さんがね、ケンジ君の近況は教えてくれていたの。特にね、野球を始めてからはね、大会の日程なんかも教えてくれていたんだよ……」
爺さんも婆さんも僕にはそんなことは全く言っていなかった。
「……だからね、ケンジ君の試合があるときはね、何度か見に行く機会があったんだよ。札幌の高校に進学したことも陸上を始めたこともみんな教えてくれた。お婆さんはね、私にとってはね、すごく優しいお義母さんだった。だから入院してからも小樽まで行ってきたんだよ。うれしかった。ほんとにうれしかった。でも、ノダケンさんが……」
母はそこまで言うともう話せなくなってしまった。
菊池美咲は予想もしていなかった母の「秘密」にただただ驚くしかなかった。
しばらく三人は黙ったままだったが、美咲の「ねえ、写真撮ろう」という言葉に母が顔を上げ涙を隠さずに目を細めた。
僕は何も言えなくなっていた。あまりにも自分の予想外のことばかりが起こってしまうこの旭川の大会は、今までの自分を大きく変えてしまうきっかけになるのだと思い始めていた。

美咲は母のスマホを借りて三人を入れた自撮り写真のシャッターを何度も切った。最後に「姉弟」二人だけの写真を撮り、それらを僕のスマホに転送してくれた。

「いつでも、これからは会えると思うよ、ね……」
母の言葉に美咲が続いた。
「ノダケン。あんたはノダケンを継いだんだね。きっとこれからも会う機会はいっぱいあるからね。それとね、陸上やってたら必ず大会でも会えるから、いつでも待ってるからね」
「……はい……」
また何も言えなかった。「姉」という言葉も「母」という言葉も使えなかった。それでもこの二人が自分のことを本当に思い続けてくれていたことは十分に伝わって来た。言葉を出せないまま「うん」と「はい」ばかりの自分を二人はどう思っていたのか。自分の言葉の未熟さや表現の拙さが今更ながら情けなかった。

「あれ、今になって気づいたんだけど、南ヶ丘って私服でしょう?! なんで学生服なの?!」
菊池美咲は今までで一番驚いたような顔になっていた。
「いやー、ちょっと、あの、服選ぶの、なんか、面倒で……」
美咲は大きな声をあげて笑った。
「あんたはやっぱり、ノダケンなんだね」
母の笑顔が真っすぐに僕の方に向かっていた。

陸上部員たちの移動に合わせてその場を去った野田賢治は何度か振り返って二人を見たが、彼女たちはいつまでもこちらを見続けていた。

「菊池さんとお母さんなんだって?」
大きなバックを背負った山野紗季が唇をちょっととんがらせて聞いた。今日はこのまま駅に向かうため、宿泊先から荷物をすべて持ってきている。
「やっぱり、岩内で一緒だったの?」
川相智子がなぜか心配そうな言い方をしている。
「うん。……昔、近所に住んでいたらしい……」
「菊池さんがさ、昨日コーナーのあたりで応援してただろ。あのお母さんと小さい女の子もいたよな。妹なのかな。お前が一番危なかったあたりにちゃんと居て声かけてた。お前が復活したのはその後だ。ちゃんとわかってんだよな、やっぱりよー」
隠岐川さんはまだ足を引きづるような歩き方をしていた。
「わかってるって?」
山野紗季の口がまたとんがり始めた。
「ポイントが分かってるってことさ。彼女は一流なんだよやっぱ。自分の800mの時だってさ、お母さんと妹があそこにいたもの」

旭川駅から列車に乗り込んだ南ヶ丘と清嶺高校の生徒たちは、一つの区切りがついてしまった虚脱感のようなものを感じていた。そして同時に「仲間たち」と一緒だった四日間が終わってしまう寂しさをも感じていた。でも今はそれ以上に、何度も一緒に練習をしてきた仲間たちと、こうやって同じ列車内でとりとめのない会話に盛り上がれることが楽しかった。一つの車両をほぼ占領してしまった両校生徒は、楽しかった修学旅行が終わってしまうのを少しでも先延ばしにしようとする生徒たちの様に、札幌へと近づいて行く車窓の景色など見ることもなく夢中になって話をし続けた。
そんな中、野田賢治は一人車窓に流れる景色に目を向けていた。彼は旭川での四日間の出来事が、今になっても現実のものとして自分の中に落とし込むことができずにいた。

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