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口切りの炭手前

名残りを過ぎて陰極まり陽の精緻を極める行事である炉開き、茶人にとっては一陽来復の盛儀であり、茶人の正月と云われます。その正月を迎えて最初に行われる茶事が「口切り」であります。無事に新年を迎え、親類縁者を招く節振舞いに近い意味があり、客は正月の拝賀と同様の心構えでにじり口をくぐります。古くより、口切りの茶事に呼ばれることは、茶人として認められた証と言われています。


羽箒

初掃を合図に客は炉に寄ります。
三枚の羽を重ねて根元を竹の皮で包み元結で括った物が羽箒であり、炉縁・炉壇・五徳・釜の蓋を掃き清めます。
鳥の羽は塵や埃に染まることなく清浄な物とされております。ですから羽箒は清浄な箒であります。「箒」は、清掃が目的の道具ですが、祭祀用の道具でもあります。宮中の玉箒では蚕の床を掃き、能では「高砂」の夫婦、「田村」の田村丸は箒を手にもち神聖な存在を表しています。意識すれば羽箒の扱いは重くなる筈です。

梟を不苦労と書き、苦労知らずと捉えて、縁起をかつぐのも茶人の正月らしい取り合わせです。


客は鐶を手に取る事はなく、目にするのは釣釜や常鐶以外に炭手前のみであります。拝見の所望もできますが道具鑑賞に趣をおいてしまうと口切りの趣旨がずれます。行き過ぎない取り合わせをしなくてはなりません。
鐶は鍛造品で徳元・明珍・埋忠などの武具師の作が喜ばれ、砂張や南鐐などは書院や広間に映り、祝事を意識して七宝や宝尽の象嵌でればご馳走であります。侘びた小間には石目・鎚目など、収穫を意識し大角豆鐶や縁起物として松葉もご馳走であります。


火箸

箸は原始時代に火を使うことに始まり、弥生末に祖先の霊や神に食物を供える祭器として定着し、日本では八世紀頃から人の食事のために使いはじめます。語源は口と食との「橋」、神や人の魂が宿る「柱」から来ており、箸は食に用いる箸と生命や神をみる神器との二つの意味を持っているのです。火箸は後者にあたります。
この時期、瓢・織部・伊部の「さんべ」は一番の取り合わせと言われます。「べ」は火伏せの意味と解釈されており、それを重ねることで「火」に念を入れているのです。羽箒で座を清め最初の所作が下火を直すことです。火の扱いは独特な文化性や精神性を育んでいることを忘れてはいけません。


ふくべの炭斗

初夏に摘んだ葉茶を半年ねかせ、初冬に茶壺の口を切り、茶臼で挽き、その茶は目覚めます。炭手前では普段以上に、湯の煮えが付く火相を心がけます。
炭斗は新瓢を使うのがしきたりでありますが、古宗匠の直箱書付、由緒、伝来のある物も差し支えなく、むしろご馳走となります。高さ大きさはその年の出来栄えと亭主の好みで決まり、亭主が翁であれば手の付いた瓢の炭斗を用いたりもします。瓢は口切りの取り合わせを引き締める存在であります。


伊部の灰器

灰器は風炉より大振りで真夏に作った湿し灰を沢山入れて用いります。釉薬が掛かっていない楽の焼抜きや素焼、南蛮・備前・信楽・伊賀といった無釉陶で渋い味わいがある物が喜ばれ、その中の備前焼は鎌倉時代から備前国の岡山県和気郡伊部町付近で焼かれていることから伊部焼とも呼ばれ、遠州時代には黄褐色の灰釉をかけたもの、胡麻肌・榎肌を伊部手ともいいました。口切りには備前をさんべの一つ伊部と称して用いることがご馳走であります。


灰匙

炉の灰匙は火箸と同様に熱の伝導を防ぐ為に熱の伝わりにくい木の柄付きを用いります。風炉には唐物・高麗・島物の匙がありますが、炉は殆どが国産で好み物であります。火の気を意識して付いた木の柄ですが、そこには侘びへの意識を感じます。囲炉裏文化の日本だからこそ炉に侘びた風情の炭道具を取り合わせてきたのです。


織部の香合

炉になり炷物は練り香となり、香合は陶磁器となります。
口切りで喜ばれる織部には幾何学模様と祭礼を飾る物や神霊の依り代の意味をもつ文様が表現されています。桃山時代から受け継がれた文様は、時に風流な景色とだけ解釈されて来ましたが深い意味があるのです。古く吊し柿といわれていた物も注連縄・みちきり・勧請縄と見直されています。織部は風流な美意識と精神性を意識しなくてはなりません。
形物香合番付には交趾・青磁・染付・祥瑞・呉州・赤絵と唐物が並び、和物は頭取に並びます。その中で織部の香合は菊兜香合と青分銅香合の二つがあり、気高い菊と神具の分銅を象っている文様が選ばれています。


茶臼の引く音を耳にしながら祝膳の懐石を頂き、干し柿・勝ち栗を口取りとして添えた菓子の後に中立となります。後入では床に花が入り茶壺は紐が結ばれ床に飾られます。濃茶の取り合わせは可能な限り格の高い端然とした趣を心がけます。厳粛な空間で茶を廻し出すと席中は挽き立ての茶の香りに満ちて、鮮やかな緑を目にしながら味わいます。後炭になり緊張感は和らぎます。初炭では見られなかった練香の姿が匙香で伺え、茶の香りから香の香りに変わります。薄茶では半年間濃茶の回りを詰めた茶が日の目を浴びます。後炭でしっかりと炭をあらため、客が退席のときまで松風の音で響くように火相は保たなくてはなりません。
一年を通じて最も大切な茶事と言える口切り、茶に対する火相は客に対する火相でもあります。最後まで気を抜かずに余情残心を生み出さなくてはならないのです。

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