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かっこいい写真が撮れた!


この前、コンパクトフィルムカメラで友人カップルを撮った。そしてこの写真↓

現像した36枚の中で、個人的に一際目をひく写真だった。

なんかすごい!

遠くの背景が鮮やかにはっきりと映し出されている違和感が目をひく。

なぜこんなに全てくっきりしたのか。

あまり深く考えずにシャッターを切ったけれど、よく考えたら面白い状況だったのかも。

まず、この被写体との距離感でフラッシュを使えばカメラに近い左の被写体に光が集中するはずなのだ。しかも彼女は白い服・白い肌でフラッシュの光をたくさん受け止める格好で眩しい格好だ。
その上こんなに開けた場所なら、奥の木々やマンションにはコンパクトカメラのストロボの光量なんて豆粒ほども届かない。(豆粒ほどって表現なんか間違ってる気がする)

カメラには、ラチチュード(デジタルではダイナミックレンジ)というものが存在する。カメラの光の寛容度を表す言葉だ。
映し出す明るさの幅には限度があって、暗い部分に露出を合わせると明るい部分は飛んでしまうし、逆に明るいものに露出を合わせると暗い部分は潰れやすくなる。

(てか、これは人間の視界の話なのだけれど「光が強いほど影が濃く感じる」のってすごく面白いな。周囲が明るいから瞳孔が閉じてしまい「そう見えちゃう」ってことだ。これももっと考えていきたいな。こうやっていつも脱線していく。)

だから、この状況なら被写体だけがくっきりと映し出されるはずだった。
しかしそれはフラッシュを使うべき場面(フラッシュを使わないと暗すぎて写らない場所・時間帯)で撮った場合にそうなるだけ。

つまりこの写真は

結構明るい時間帯(フラッシュを使わなくても良い時間帯)に撮っていた!

それだけじゃなく、

フラッシュを使うべき場所で撮っていた!

自分で書いといてよくわからなくなってきた

どう言うことか、描いてみる↓

絵で説明って難しい…

大雑把に言えば
「被写体が木に囲まれかなり暗い空間にいたうえに、逆光だったので、被写体の顔を潰さずに写すためには、フラッシュを焚いた方が良かった」
ということ。

そして曇りの日だったので、奥の木々やマンションにかかる光が、直射日光ではなく弱い日光だった。その結果パキッとしすぎず、暗すぎず、鮮やかに映し出されたのではないかと思う。あと、晴れた日だと日陰も明るいのでフラッシュはいらなかったかもしれない。

などなど考えながら昼過ぎに、高校時代の友達に会った。
この写真を見せたら「絵みたい〜」と言われてハッとした。

そうだ絵みたいなんだ!

たとえばフィンセント・ファン・ゴッホの『星月夜』のように、全てに筆跡が行き届いている絵画のようなのだ。
ルネ・マグリットの『光の帝国』のように、背景は日光、手前は街灯の灯りが光源といったふたつの要素が共存している絵画のようでもある。

ようにって打ちすぎた。睡魔にも襲われ、日本語として合ってるかわからなくなってきた。

わからないけれど、とにかく「絵画みたいな写真」ってすごく興味深い。

現実を切り取ったのに現実を超えていくということじゃないか。ワクワク。

映り方ばかりが気になって、全く触れなかったけれど、この写真の奥行きのある構図やふたりの配置と動作も含めて、面白い写真なのかもしれない。

絵画みたい、かあ。もう少し考えていきたい!



はじめてnoteを書いてみました。といってもこれは、いつもの書きなぐり日記をただ投稿したに近く、整理されていなくて読みにくいかもしれません。すぐに脱線するし…
日記でいいのかもしれないけど、自分がいつもワクワクしていることを少し共有していきたいと考えております!


おやすみなさい〜。

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