スプートニクの恋人

理解は常に誤解の総体に過ぎない。

この一文、あまりにも素敵でした。
主人公のすみれだけでなく多くの人のささやかな世界認識の一つなのではないだろうか、と。

私は友達や知り合いの好きな本を読むことで、その人を理解したいと常日頃から思っているのですが、
これも結局、私の誤解の総体にすぎないだろうし、かなり傲慢なことかなと思っています。(そもそも人の気持ちは大して分からないのが世の常)

でも、その人を理解したいという気持ちは、なるべく驕らずに持ち続けたいと思っていて、なんというか、その気持ちを少し応援してもらえたような気がしました。

すみれがミュウに対して下心があったにせよ、彼女の気持ちを理解したいという思いが、ミュウにとっての一つの救いであり、癒しであったと思うから。

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