高妍『緑の歌』―どこか村上春樹を思わせる台湾まんが

先日書いた『守娘』と一緒に誠品書店で買った高妍(ガオ イェン)の『緑の歌』。
やや忙しい時で、ゆっくりと読んだのだけど、ちょっとずつの読み方が合っていた。

緑(リュ)という女の子の、音楽と恋の青春の物語。
第一話の出来事が象徴的で、後でたびたび思い出される。そして緑を苛む。
それは、見知らぬ人が死んだことだ。
ある日、珍しく高校の授業をサボって海岸にいた緑は、男の人が岩礁の上で寂しげに佇むのを見る。写真もこっそり撮る。翌日、その海岸は封鎖される。緑は誰にも確認したりしないが、恐らくその男が身を投げたのだろう。
ひとこと、緑が声を掛ければ、そんなことは起こらなかったかも知れない。以来、海岸で聴いていた音楽とともに、彼の最期の姿を思い出し、あるいは夢に見てしまう。実際にはそんなことなどなかったのに、夢の中で彼は振り向き、緑はその眼を見る。
やがて大学進学とともに台北で一人暮らしを始める緑は、そこで一人の音楽青年 南峻(ナンジュン)と出会い、惹かれていく。夢の中の男はその南峻に変わり、違う意味を持つようになる。

という青春物語なのだけど、海岸での出来事に度々苛まれるというのが村上春樹っぽいなと思った。そんなに読んでいるわけではないのだけど、どことなく。
実際、海邊的卡夫卡(海辺のカフカ)というカフェが出て来たり、南峻が『ノルウェイの森』の登場人物の名前を使って、緑(リュ)のことを日本語でミドリと呼ぶなど、作者の高妍が村上春樹を好きそうなことが伝わってくる。
でも、そういった明示的な暗示(?)が無くても村上春樹を思わせる。

その村上春樹っぽい雰囲気で「あの日の光景」を繰り返し、そしてその意味を変えていくことで語られる青春物語なのだけど、視点とか、注目する所が生活の細部なのが特徴に感じられた。
初めて南峻の部屋に行く時のアパートの階段を上がる場面では緑の顔が描かれず、カメラが彼女の視点に近くなる。アパートの入り口を通ると見える階段、次に階段を上る時の南峻と緑の靴から裾まで程度、そしてノブを握る南峻の手とその周囲数センチのドア、と、そういう所を見ることしかできない緑の緊張が伝わるようにコマを割っている。
海岸で亀の死骸を見付ける場面では、甲羅に触れるのに、立っているコマとしゃがみ込んだコマだけでなく、膝を折り曲げている途中まで描く。そのゆっくりさが、読者に訴える物がある。

そういった所が好きなまんがだった。

実は、書店で綺麗な絵が目に留まって手に取ったものの、読者を置いてけぼりにして自分の好きな人を描くことのありそうな「〇〇の△△」パターンのタイトルに怖気付いていた。でもその感覚は飽くまで日本のまんがに対する物だし、せっかく誠品書店に来たわけだし、と巡り合わせという理由でむりやり自分を説得して買った本だったのけど、結果、読んでよかった。とても好きな作品だった。
高妍の新作は追い掛けたい。(ブックライブで作者をフォローした)

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