小峱峱『守娘』―女性の「物扱い」が苦しい台湾の伝奇もの

(通販で届くのを待たずに)すぐに読み始めたい本があって各書店チェーンの在庫検索をしていたところ、幾つかの書店とともに有隣堂の「誠品生活日本橋」なる店舗にあることが分かった。あれ、誠品って、台湾の企業グループじゃなかったっけ? と思ったら、やっぱりそれで、コレド室町に入っているらしい(仕入れとかを有隣堂がやってるってことなのかな)。誠品書店はディスプレイの評判のいい書店だから、どれどれ日本ではどういう風になっているんだ、見てやろうじゃないか、と思って冷やかしついでに行くことにした。
店内はやっぱり日本のチェーン店とはちょっと違ったディスプレイで、棚を低めにして段差も作り、奥の方にある棚やコーナーも目に入るようになっていて、あそこも見てみよう、移動してまた、あ、こっちも、と店内を巡りたくなるようになっている。のでふらふら歩いているとまんがのお勧めを並べている棚があって、目を惹く表紙の作品を二つ買った。高妍(ガオイェン)『緑の歌』と小峱峱(シャオナウナウ)『守娘』だ。両方とも台湾出身のまんが家の作品で、うまく乗せられた感がある。


まず『守娘』を読んだ。
清の時代の台湾を舞台にした伝奇もの、のような作品。

主人公の潔娘(ゲリョン)はまあまあいい家の若い娘で、毎日街に出掛けたり自由に過ごしつつも、家のルールや結婚を望まれるプレッシャーには抵抗を覚えていた。
ある日、街で人だかりに出会う。それは川から上がった女性の死体を囲む物で、やがて役人が現れ、霊媒師が成仏の為の儀式をする。その日の夜、潔娘はベッドの上で、自分の足に不思議な痣が出来ていることに気付く。小さい子供の手の形をした痣だ。更に、川の中から赤ん坊の手だけが出て来る夢まで見る。

一旦はよくある自殺として片付けられた女性の死の真相に潔娘が巻き込まれていくことで物語は進んで行く。その中で、家や社会のしきたりに縛られるのを好まない潔娘が、ロールモデルとして、また自分の不思議な体験へのアドバイザーとして冒頭の女性霊媒師を頼って交流を深めていく。

この作品を読んで強く印象に残るのは、当時の台湾の(或いは清朝全体の?)女性の扱いの悪さだ。有名な纒足をはじめ、当時の様々な「常識」が描かれる(主人公の潔娘は纒足をされていない。その点で変わっているし、謗りも受けてきた)。
潔娘は義姉から折に触れ「そんな振る舞いだと嫁に行けない」「行って苦労する」といった、嫁に行って夫の家に仕えるのが当然という社会習慣を背景としたプレッシャーを受け、それで結婚にいい印象を持たない。しかしその義姉自身がその習慣に苦しめられている。社会的に、男の子を生むプレッシャーが非常に強く、女の子しか生んでいない義姉はそのことに苦しんでおり、男の子を生むための呪いなどに精を出しているくらいだ。そもそも潔娘の兄が義姉と結婚をしたのも、父のために男の子が欲しいと思ったからだった。
その他にも、女児が生まれたら殺す習慣があるだの、女性を売買する市場の存在(これが事件に関わってくる)だの、女性を物としか考えないような制度・習慣が描かれていて苦しい気持ちになってくる。
特に辛いなと思ったのが、自分を悩ませる女性の悪霊が何故悪霊になったかというと、現世では権力が非常に低く(裁判は自分で起こせず親族の男性を代理人にしなければいけないほどだ)、何かを訴えるには、そして無念を晴らして成仏するには悪霊になるしかない、と主人公が気付く所だった。ある背景・記憶・人格を持った悪霊という風には描かれておらず、匿名の「一般的な悪霊」で、つまりどんな女性も、そうするしかない、ということだ。社会が非合理的に出来ているが、その非合理な社会の中で合理的に安らぎを得るためには、悪霊になるしかない。ここを読んだ時によしながふみの『大奥』を読んだ時と同じ苦しさを覚えた。

『大奥』は江戸時代を描いた作品なのだが、出産という物が大事な軸の一つになっている。
この作品では男女の役割が入れ替わっており、将軍をはじめ重役には女性が就くことになっている。そんな中、ある将軍(女性である)が、子供を亡くしてはまた作って生む、ということをしなければならない自分を「これでは女は子供を生む機械ではないか」と嘆く場面がある(ように思ったのだけど、見付けられない……)。
『守娘』はそれと同じ苦しさを覚える作品だった。

主人公の、習慣や制度を仕方ないと諦めず自由を求める精神にも、家庭環境という理由があり、女性霊媒師の過去や「正体」といった心情に関する部分が事件の根幹と結び付いていたりと、よく出来たまんがとして楽しみつつ、そういうまんが外のことにまで思いを巡らさせられる良作だと思った。
翻訳作品なのにこの値段で手に入るのもありがたい。

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