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対話道の探究(15、逃げる)

先日、ドラマ「コード・ブルー」の劇場版が
テレビで放送されていた。

登場人物やストーリーについてはどこかで
書かれているのを調べていただくとして

記憶にのこった場面はいくつかあるけれど

子どもは親を選べない
子どもが身の危険を感じたり、
どうしようもない親の振る舞いに耐えられずに
家から逃げる(家を出る)ことを選択した、
という話が出てきて

それを選んだ子を責める家族と
逃げた自分を責めている子の葛藤に

医師から
「よく決断した」「勇気のある決断だった」といった
言葉がかけられたシーン。
(↑↑複数シーンにかかっている話で
一部だけをかいつまんで取り上げているので
興味ある人は観てご確認あれ)

「逃げる」ことを選んだ人を否定しないそのセリフ
のちのシーンでその医師にも
かつて似たような葛藤があったと判明するのだが。

「逃げる」が人の行為となった場合
ネガティヴなイメージになることがあって

◎その場に向き合っていない
◎頑張りが足りない
◎我慢できないのは良くない
等々、周りから批判や、裁きに似た判断を受けるかもしれない。

いや私の場合は、今思えば、
実際にそう言われたとか、裁かれたわけではなく
そう思われるかもしれないという、
私の強い思い込みがあっただけなのだけれど。

私が個人的に心配だと感じるのは

自分がここを逃げ出すと
「誰かを困らせることになるかもしれない」
「自分が頑張れば、なんとかなるのかもしれない」
「もう少し、我慢できるかも」
などと考えてしまい、
その場にいることを選択すること。

誰かの目、世間の目は
あなたの現実を知らないし
都合良く事実を解釈するもの。

当事者たちにしか、その場の事情はわからないし
そのときの経験や感情は当事者の中にしかない。

生きることを最優先するために
今いる場所から「逃げる」が最善の選択のことがある。

今回の映画は命がけの逃げる選択に近かったけど

日常においても、逃げることを選ぶときがあってもいい。

その場を一旦離れる
逃げ場をもっておく

それは、自分の領域を守るために、
自分の平静を維持するために必要だと思う。

怒りや苦痛を覚えたときは
その場を離れて深呼吸。

度重なるときには
本気でそこを離れて逃げてほしい。

そういえば、映画の中では
子に逃げられた自分を責める親のシーンもあったけど

一旦関わり方を変えることで
がんばり方を変えれば
周りの状況も変化する可能性がある。



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