見出し画像

今は存在していなくても、どこかで生き続けている。

今日は、かつてお世話になった方の命日だ。

その日が訪れるとわかっていても
そのことを知った瞬間はとてもショックだった。
(同じ年に、他にも知人が亡くなっていたので
よけいに辛かった)

コーチングを受講生として学んでいたとき、
そのパワーや発言には、影響を受けた。

その後、コーチ活動をはじめたとき
贅沢にも私は、
そのあり方を近いところで体感させていただいた。

もちろん、私が見て感じていたその姿は、
ほかの場面や別の人と一緒のときとは
違うものなのだろうけれど。

いずれにしても
生き方やコーチとしてのあり方、
コーチングを伝える者としての伝え方
他者との関わり方・・・
教えてもらったことや、励まされたこと、
気を遣ってくれていたこと等を
今もよく思い出す。

たくさんの人とご縁のあった人だから
今もきっと、
多くの人の中に、どこかで生き続けていることだろう。

ただ、それは
故人と全く同一のものとして、ではない。

誰かの思考に、言葉遣いに、生き方に・・・
人によっては、
その生前の願いを引き継いだうえでの活動として
生き続けているというか。。

自分の人生は自分で選んでいるけれど
誰かとかかわっている限り、
他者から得る知識や情報で、
自らの思考や行動を選んでいるのって、ゼロではない。

誰かの人生の瞬間に
その人が生きていた証?みたいなものが
つながっているような感じ。

家族でも、友人でも、ペットでも。
出会ったことがない本の著者でも
そういうのってあるな・・・

なんか、そういうイメージが浮かんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?