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名前をつけてやる(スピッツではなくてミスチルの話)


10代の頃から私の王子様バンドであるミスチルの新譜を聴いた。私は、特に彼らの9枚目のアルバム「Q」が大好きで…。好きだから、考えた。


「Q」の頃のミスチルと、このところのミスチルは、私にとって一体何が違うのだろうか。天才プロデューサー・小林武史が抜けたことは置いておいて、だ。「Q」をもう一度聴いて、新譜をもう一度聴いて、自分なりの結論が出た。彼らは、枯れるタイミングを逸しているのではないだろうか。
私は、人が時代を経てどんどんその年齢なりになっていくのを素敵だと思う。自分もそうありたいと思う。許せないことがだんだん絞り込まれて確立されたり、美しい日本語なんて意識してしゃべるようになったり、一方で適当になって、若い男の子っていいなと思うようになったり…例えばそういうこと。ミスチルは、おじさんへのジャンクションにうまく切り替えられないまま疾走しているように、私には見える。だから、聴いていて少し苦しいのだ。そこまで考えて気がついた。そうか「Mr.Children」だもんな。名前って、大事なんだな。

私の名前をつけるとき、両親は、いまとは違う漢字をつけようとしたが、一応神主さんに相談したところ「その漢字を使うと、男をたぶらかす人生になる」と言われて変えたのだそうだ。その甲斐あって私は、小学生男子が24時間ぶっ通しでドラクエの攻略を目指すようにゴリゴリ一途に好きな男子を追いかける人生になった。たぶらかす暇も、たぶらかされる隙もないくらいの鬼気迫る(?)恋愛人生だった。なので、たぶらかし女子を見ると、いいぞもっとやれ、と思ったりする。

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