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ウニヒピリのおしゃべり 吉本ばななさん×平良アイリーンさん講演会 前編

30代のしんどかったとき、ハワイの「ホ・オポノポノ」というクリニーング方法を本で読み、やってみたことがある。4つの言葉を唱えて、自分のなかの記憶をクリーニングするという(ざっくりとね)方法だ。当時私は自分の欲しか見えておらず、そのやり方も理解していなくて、苦手な人や自分のものになってほしい相手に向けてその4つの言葉をぶつけていた、力いっぱい。結果、苦手な人はいつまでも苦手だったし、自分のものになってほしかった相手のことはもう思い出したくもないハゲ。

吉本ばななさんが平良アイリーンさんと共著を出され、講演会があった。
私は「ホ・オポノポノ」を久々に学ぼうかな、とりあえずばななさんに会えるから行こうっと。みたいな気持ちで行った。書籍のタイトルでもあるウニヒピリとは、内なる子供のことを指すのだけど、以前の私はたぶんここがピンときていなかった。今回「ウニヒピリは体だ」と翻訳したばななさんの言葉で分かるかも!と思ったのだ。
私は社会に出てからずっと、体を無視していたと思う。社会人らしいことが全くできない自分がその場にいることが申し訳なく、お詫びとして体の希望は無視して働きますから、ひどいことを言ったりするのをやめてください、と言う気持ちで働いていた。また友人たちに対しても、私は人のいいところを見つけてそれを言葉で伝えることは得意だから、辛い人や寂しい人の声は聞きます、ひとりになりたくないから、という気持ちだったといま思う。そして自分のまわりに極端な人が集まるのは、そういう人なら、自分から離れていかないと思っていたのだと思う。どれだけ寂しかったのだろうと目の前が暗くなりながらこれを書いていたら突然PCも落ちたよ。がんばろうじゃないか。

ここ1年ほどで、私は体と急速に仲良くなった。パニック障害が治ったのも仲直りのしるしだと思う。理由はいくつかあるが、はっきりとしたきっかけの日がある。3年位前のことだ。私はトークショー終わりのばななさんに会って少しだけお話をしてもらった。本当はサインをもらおうと思って何度も読み、書き写しもした小説もバッグに入れていたが、お話をしただけで満たされ、守られたような感じというか共鳴というか、その力で何かが(今思うと)壊れ始めた。目が覚めたというか「ここから動くわ、わたし」と思った。すごい人のそばにいるとそれだけで覚醒する…みたいな話ありますけど、ああいう感じなんでしょうかね。その直後に引っ越し先が決まり「やっぱり!」と思った私は即、自分の「なんだか全然違う」状況を整理し、その理由を前田社長ばりにメモって、分析した。動くタイミングがやってくる、まずは仕事だと準備をした。何が違うのか、どうすれば幸せなのか、何を捨てなくてはいけないか、妥協できる点はなにか、給与は下がってもいいのか、上げる方法があるか、家族(夫)にも納得してもらえるように話せるか。

それがいいご縁につながっていま機嫌よく働いているわけだが、体の変化もその日から少しずつ自動で進行していた。ある日、ばななさんがおすすめする整体院がうちから自転車で行ける距離だと知り(自転車にはあまり乗れないのだが)行ったら体が存在感を一気に出してきた。ぐんぐん回復してきた。明らかに喋り始めた(としか言いようがない。すごく意外なことを言ってきたりする)。いまも月に1度すみさんにお世話になるたびに、心身が喜ぶのを感じる。私は豹変した体をカラダちゃんと読んで、少しずつコミュニケーションを試みることにした。最初はおとなしかったが、カラダちゃんは徐々に、私の友人関係にメスを入れてきた。
カ「なんであの人、毎回1時間近く遅刻して、さらに不機嫌な感じで入ってくるの」
らに「遅刻をするってことの罪悪感なんだと思う」
カ「で第一声が、らにが待ってる場所がわかりにくい。ってなに? なんで謝るの」
らに「まあ、謝ることで挨拶のかわりとするっていうか。謝られるよりはさ。」
カ「正気?」
らに「すみません」

相手に対し嘘というか不自然というか…なにか無理やりな力というか、それを感じると私の体はぐっと固まった。
・褒めを要求されること。そのために呼び出されたと気づいたとき
・会いたいと言われたのに、その手配をいつも全て任されていると気づいたとき
・誘いに対して「義理の両親との予定がある」と断ったら「そっちをサクッと調整して」と言われたとき、それに対して謝っている自分を見たとき
ほかにも、「そのままじゃない人」「これを目指してるから(たとえばカリスマ的な自分)そのように見てください、という人」を見るとぼうっとほかのことを考えながらその人との時間を過ごすようになってしまった。

相手は変わっていない。昔からそういう人たちだ。
私が変わってしまった。私がわがままになってしまったのだと思った。
強く言えない。ノーと言えない。ギャグで逃げる。笑って逃げる。そうやって人との気まずい空気を回避してきた私に体が物申してくるようになった。断れと。怒れと。
これじゃ私、友達がいなくなるよ、どうしようと思った。
私はいつも「いつかひとりになってしまう」という恐怖があったのだ。

でも、講演会で平良ベティさんの正しさを目の当たりに見て「自分がいま不安に思いながら、カラダちゃんにつっこまれながら進んでいる道は大きく外れていないのかもしれない」と思った。
ベティさんは即断でノーと言うし、その場から去る。去ってくださいとも言う。だけどそこに罪悪感や引きずる怒りがないので、その話を聞いても涼しい風が吹いてくるような気がする。こわいひとだと、一瞬も思わなかった。あそこまではできないけど(本読んでください、すげーから)もう少しマイルドになら私もできるかも、と思った。それで十分、今の自分の限界は突破する。クリーニングするのは(ひとまず)苦手な人ではなくて、その人を見て固くなる経験を持った私の体(記憶)なんだろうなと理解した。

講演会などでの楽しみのひとつが、質問コーナーである。私はばななさんが人の質問に答えるところを見るのが大好きなのだ。質問者の思い詰めた感じ(なかなか直接質問なんてできないから無理もないのだが)を解く、つい爆笑しちゃう発言や、質問している何秒かの間になんちゅう深いところまで潜られたのか、と思う真理を差し出す瞬間は鳥肌が立つ。今回も素晴らしかった。ツボにはまったところをふたつ書きます。
ひとつめは質問者さんが泣きながら(すごい気持ちわかるよ〜)ばななさんの見る世界の美しさに救われたと言い、ばななさんがいま良いと思っているものと人を教えて欲しい、という質問をしたときの答えとして、前者はNetflixのデビルマン、後者は2ちゃんねるでモスバーガーの食べ方を下手くそに教える人とまわりで反応する人、と答えていたこと。(2日後私もモスでそれを思い出し2ちゃんねるを見てほんとだこの人たち最高、そして何度読んでも食べ方全然わかんねえよと笑った。)
ふたつめは「ウニヒピリは相手のことをすごく求め、頭はやめておけというんです」という質問に対して「両者は逆ではないか」と答えたところ。マジでかっこよすぎる。私が20人いたらウェーブをしていたところだ。

サインもしていただいた。名前を覚えていてくださっていて感涙…。


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