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大阪の怖い場所の話を書こうかと思って~水の都・船場島之内~

 大阪は水の都といわれているけれど中世には上町台地のあたりだけが使える地面で後は砂洲であり海であったのです。

 水路を張り巡らせた水の都ができたのは豊臣秀吉の時代以降。

 秀吉の時代に盛んになった「水路」を掘ってその分の砂を盛り上げたところを陸地にしていくという初歩的な埋め立てを江戸時代にどんどん進めることで大阪の地面が増えていきました。さらに川をつけかえるという一大事業を成し遂げることで水路があり、ある程度使える場所のある水の都大阪ができ上ったといえます。

 大阪では人工の水路である小さな川のあるところは昔砂洲だったところ。上町台地には水の都といえるような水路はあまりありません。

 水路のあるところでは流通が盛んになります。商都大阪はそんなふうに様々なものを受け入れては流すというサイクルを回して栄えた場所です。船場島之内はその中でもエネルギーが高くて優雅なところでした。

 昔は上町台地のあたりには武家屋敷や寺社が多く、砂洲だった水路のある船場島之内あたりで流通系の商売が盛んでした。都市の成り立ちとしてもそうですが、都市のエネルギーの流れでも固定させるものと動かすものの配置として理にかなっていたのではないでしょうか。今でも心斎橋のあたりには高級な商品を扱う店舗が並んでいて流通する消費財を扱うのにふさわしいエネルギーに満ちているのを感じることができます。それは少し南側の場所より優雅なエネルギー。

 定住者はそこで商売をする人たち。あとは人も物も流通させていくことで栄えていく場所。それが水の都。

 近代化が進むと自分の記憶にある限り地面だった場所が200年ほど前には海だったとは考えません。ましてや固定させるより流動性がある方がエネルギーが落ち着くとは思わないでしょう。

 流れなくなったら腐っていくのが水路の特徴です。そして流すだけで受け入れなければ枯れていくのも水路の特徴。うまく流動性を持たせなければ大阪という地そのものを腐らせたり枯らしたるすることでしょう。砂洲だった商売の地はそんな怖い場所。エネルギーの流れの良いものを置くべきところ。

 古い都市の怖い場所にはそのエネルギーに相応しいものを置いておかねばならぬのです。


 

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