作業興奮を知っていても、決断疲れのせいで作業に取りかかれない
やる気があるからやるのではなく、やるからやる気が出るのだ。みたいな現象を作業興奮と呼ぶ。
似たような話に、「文章を書く秘訣ための最大の秘訣」などがある。
何を書くかというアイデアは、「考えているとき」ではなく、「書いている最中」に浮かぶということだ。
Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法 23Pより引用
考えるより、行動しよう。
この言葉、何故ちょっと意識高い立派な言葉に聞こえるのか? それは単純に考えるよりも行動するほうが難しいから。
やる気がないのにやるのは言うは易くの典型
言うは易く行うは難し(イウハヤスク オコナウハカタシ)
グリコのカフェ・オーレよりも、炭酸入りミネラルウォーターのほうが身体に良いし安い。つまり、よほど栄養が足りてない限り炭酸水を選ぶのが選択肢として正解。
しかし身体に悪い物はなんでも美味しいので、我々は前者を選んでしまう。
正解がわかっていても、間違ってるほうを選ぶ。
つまり普段の私達は、対戦ゲーム万年低レートエンジョイ勢のように、正しい選択を選ぼうとするより、やりたいからやるほうを優先しているわけだ。
どうしてなのだろう?
決断すると疲れるからカフェ・オーレを飲む
次に言うことは、格闘ゲームをやり込んでいた経験がある人なら、100%絶対に体験しているはずだ。
「相手の起き上がりに技を重ねたら、試合が終わるまで対戦相手はガードしなかった」
彼は何故ガードをしなかったのか、選択肢を選ぶのに疲れてしまったからだ。
起き攻めは仕掛ける側よりも、仕掛けられる側のほうが疲れる。前者は慣れているけど、後者はプロゲーマーでもない限り慣れていないからだ。自分の使えるキャラは対戦前から決まっているけど、対戦相手のキャラは決まっていないので、どうしても難しい。
どうやら普段の我々は、あの時のノーガードマンと同じ状況になっているらしいのだ。
強硬な姿勢をみせていこう
あの村上春樹は、起きた瞬間に文章を書き始めるそうだ。
朝早く起きて、文章を書き始めて、その後に朝食を取って、また書き始める。
でも一般人は、やったほうが良いし、毎日やっているようなことにも悩む。
実際に我々は、月曜日や夏休み明けに何故か学校に行くか行かないか迷っていた。死ぬほど嫌だってわけでもないし、体調が悪くないのに休むというのが許されるわけではなかったのだけど。
・ 特別な理由がない限り学校に行くのは決まっている
・ 決まっていることをやるかどうか悩む
・ エネルギー・時間の無駄
・ もっと言えばそういった癖自体が無駄
我々が柔軟なのはどうして?
単純に、普段の人間関係で強硬な姿勢はうまく働かないからだろう。
歪んだ信念を持った人とでも言うのだろうか。なんでもそういった姿勢だと困ったことになる。
自分の信念が絶対に正しいわけではないし、人間色々な人がいるからだ。
だから人間関係や生活では、極一部分くらいしか確固たる信念というのは見せられない。
終わりに
人付き合いにおける信念と違って、カフェ・オーレが炭酸入りミネラルウォーターより身体に良いわけがないので、「今日はどっちにしようかな」と悩むのは完全に無駄である。
カフェ・オーレが水よりも優れている状況は、山で遭難した時くらいだ(高カロリー)。
選択肢をおさらいしてみよう。
・ カフェ・オーレを買う
・ 炭酸入りミネラルウォーターを買う
・ 両方買う
・ 両方買わない
4択になるので、起き攻めの選択肢としてはバリエーションが豊富であると言わざる得ない。
つまり、上手にさばくのは難しい。
逆にパターンが1つしかないなら、認知力を使う必要が全くない。
消費はゼロだ。
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