大分県別府の名前の由来について
◯別府っていつから呼ばれ出したの?
別府は昔、朝見郷(アサミゴウ)と呼ばれていました。
別府と呼ばれだしたのは、今から約700年前。1200〜1300年ごろから、呼ばれだしました。
◯別府と呼ばれだした時の時代背景について、、、
人口減少!から〜の、土地の管理制度が変わる?から〜の、別府??
昔(別府の八坂神社ができた時代)は、疫病が流行し、人口が減りました。
その頃は、別府はまだ朝見郷(アサミゴウ)と呼ばれていました。
疫病により国全体で田畑を耕す人が減った事により、税としておさめられていた作物が減り結果として景気が悪くなりました。
当時、国を納めていた朝廷(天皇)は厳しく土地を管理(土地国有制)し、役人が税金として作物を集めて(賦課課税)いましたが、とにかく土地を耕してもらわないと作物もとれない、税金どころではないぞ!!という事で頑張って土地を耕した人には、安く土地が持てる制度に改めました。
その制度で国から認められた土地を『荘園(しょうえん)』とよびました。
今までの制度では自分の土地を持つ事ができませんでしたが、この新しい制度だと土地を耕せば"荘園"を持つ事ができるようになります。
今までは、収入に比例した税を払っていましたが、土地代だけ払えば良いお得な制度です。
だから、貴族や大寺、役人達は、自分で耕していない元から持っていた土地も"荘園"にかえました。
"荘園"には、朝廷の許可証が必要でした。
許可証をもらった土地の一部を追加で耕すと、許可証とは別の紙(符:ふ)をもらう必要があり、それを"別符"(べふ)と呼びました。
なので、例えば、土地の名前を呼ぶ時に、石垣が荘園の場合、石垣に追加して申請した土地の事を石垣別符(いしがきべふ)と呼んでいたそうです。
この別符(べふ)が別府(べっぷ)となり、それが、いつの間にか地域全体を別府と呼ぶようになったそうです。
◯おまけ✴︎別府市になる前の名残の境界石(キョウカイセキ)
昭和10年に、石垣村・朝日村・亀川町・別府町などが合併して、別府市になりました。
昔、石垣村と別府町の境目だった事がわかる境界石が、翔青高校:ショウセイコウコウ(元、青山高校)の境川:サカイガワの道路脇にひっそりとあります。
街の移り変わりをしんみりと感じさせてくれます。
※【境界石:キョウカイセキ】とは、土地と土地の境目を示す石。
◯別府市になって100周年!
2023年の現在。
別府村から、別府町になり、別府市になって100年
ひっそりとたっている『境界石』は、100年以上の歳月を経ているんですね。
別府の100周年記念
気になる方は、チェックされてみて下さい。
◯おまけ✴︎別府の地名:朝見(アサミ)の由来
朝見は、『暑い水』が訛って、あさみになった説と、敵をみるという意味の『あたみ』が訛ったという説などがあります。
ちなみに、熱海温泉(アタミオンセン)の地名の由来も暑い水が訛ったといわれているそうですよ。
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