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【光る君へ】悪霊左府・藤原顕光のついてない一生(前編)

 2020年12月4日。
 その日、平安オタク以外の知名度は低かった一人の平安貴族が一気にトレンドを席巻しました。

『顕光殿、お目覚めを!』

 そう叫んで宝具(必殺技)を発動させたのは、この日スマホゲーム『Fate/Grand Order(FGO)』に新規実装されたサーヴァント、蘆屋道満あしやどうまん
 人の真心をもてあそび嘲笑う極悪法師陰陽師として、また安倍晴明というまぶしい天才に届かない手を伸ばす悲運の秀才として、また奇矯な振る舞いを見せる大きなネコチャンとして実装前から人気を博していた道満がついに手に入れられるようになったのです。
 蘆屋道満は晴明を称える逸話に悪役として登場し、また史実での実在は確認できていませんが、よく似た名前の道摩どうま法師という人物が歴史の影から時折顔を覗かせています。

 道満の実装発表の際に流れた宝具名と発動ムービーに、私はざわめきました。
 明らかに平安オタクの知っている固有名詞が聞こえた!
 しかも思いっきり私の履修範囲内!!

 道満の宝具名は、『狂瀾怒濤きょうらんどとう悪霊左府あくりょうさふ』。
 そのモチーフは『悪霊左府』と呼ばれ藤原道長を恐れさせた悪霊として知られた、道長の従兄・藤原顕光あきみつです。
 
 顕光が道摩法師を雇っていた逸話があることから、FGOではその縁をたどって式神のような形で登場しています。
 道満は外国の神も我が物顔で使役していて、本来雲の上の人である左府(=左大臣)を利用することくらいは朝飯前というキャラクターになっています。

 現在既に何十万人ものFGOユーザーが宝具で顕光を叩き起していますが、顕光はゲームのみならず大河ドラマ『光る君へ』でも活躍を始めました。

『光る君へ』の顕光

『光る君へ』で顕光を演じられているのは宮川一朗太さん。
 キャスティング発表の際には、

『僕が演じる藤原顕光。(略)「無能者」「仕事のできない男」として歴史に名を残しているじゃありませんか!(略)40年も政権内にいられた、顕光なりの魅力、信念があるはず。それでも失敗してしまう姿や道長との関係がどう描かれるのか、僕も楽しみです』

 と、コメントを述べています。
 https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=40565

 現在のところ、出番は朝議の場で黒い束帯を着た公卿たちの一人であり、ほぼモブに近い役回りです。他のモブ公卿たちと区別のついていない視聴者も多いでしょう。
 しかし顕光は、すでに他の公卿と一線を画した言動で個性を発揮し始めています。
 7話で花山天皇の威光を笠に着て政をほしいままにする藤原義懐よしちかを弾劾する場面では、他の公卿たちが「許せん」と語気荒く言う中顕光は「わかりません……」と気弱につぶやいています。
 8話の兼家が倒れるシーンでは遠巻きながらも「大丈夫ですか?」と心配しています。
 無能ではあっても気立てはいい顕光ですが、11話の一条天皇の即位に伴う人事異動が発表された時は、己を飛び越えて権大納言に任じられた従弟の道隆に驚愕と嫉妬の表情をあらわにしていました。

 今後、顕光は徹底的な運と要領の悪さを存分に発揮していきます。
 何をやってもうまくいかない顕光の物語を知れば、胃の痛くなる人間関係と戦がないゆえの人の残酷さを描く『光る君へ』の解像度がより上がるのは間違いありません。

失敗を全部書くと筆がすり切れる?

 藤原顕光は944(天慶7)年に、関白・兼通かねみちの長男として生まれました。
 兼通は道長の父・兼家と同母兄弟でしたが仲が悪く、政治的優位を巡って激しく争っていました。
 同母の長兄・伊尹これただが亡くなると二人は関白の座を奪い合い、最終的に円融天皇へ「摂関は兄弟順に」という母后(兼通の妹・兼家の姉)の遺言を突きつけた兼通が関白の座を手に入れました。
 同時に兼通は弟・兼家を徹底的に冷遇し、息子の顕光を公卿の一員・権中納言に引き上げました。
『光る君へ』の物語が始まる前後の話ですが、兼通が亡くなって解放された兼家は娘・詮子せんしと円融天皇との間に懐仁やすひと親王を生ませ、大納言から右大臣に出世します。
 兼家にとって確執のあった兄の子など憎しみの対象でしかなく、顕光は長く権中納言のまま留め置かれます。
 その間に顕光は兼家の息子、従兄弟にあたる道隆・道兼・道長の三兄弟に官位を抜かれる屈辱を味わいました。

 この停滞は、しばしば『顕光が無能であったため』と語られます。
 それは主に、堅物日記おじさんこと藤原実資さねすけが日記『小右記』で顕光のことをけちょんけちょんにけなしているからです。
 実資は『光る君へ』ではロバート秋山竜次さんが普段のふざけた芸風と正反対の正論堅物キャラを怪演して話題になっていますね。

 当時の男性の日記は自分のために書くものではなく、子孫に儀式のやり方やしきたりなどの有職故実ゆうそくこじつを伝えるためのものでした。有職故実は同時代人の参考にもなるので、書写や回し読みもされていました。
 実資は『小右記』で幾度となく顕光の無能さをあげつらい、『顕光の失敗を全部書き留めたら筆がすり切れる』とまで言っています。
 もちろん後述の通り、実際に直情的な面もあるのは確かなのですが、本当に顕光が無能だったと判断するのは早計です。
 実資の家系と顕光の家系は、祖父の代で枝分かれしました。
 後世の我々は『藤原氏』を大きな一枚岩の一族だと思いがちですが、実際は我々と同じように血筋が離れればその分、同族意識は薄れます。
 実資の家・小野宮おののみや流と顕光の家・九条流も自然と有職故実が異なってきました。
 顕光が九条流で行った儀式を「なっていない」とdisるのは、小野宮流の領袖・実資としては当然のことです。
 また実資は筋を重んじていたため人格的にも高潔と思われていますが案外人間的で、気に食わない人の悪口をよく書いています。
 例えば道長の異母兄・道綱を『自分の名前の漢字しか書けない』と書いたのも、出世で先を越された腹いせという説があります。
 道長が顕光を「至愚之又至愚也(バカの中のバカだ)」と言ったという話が残っていますが、これも『小右記』の記載に依っています。
 プライドも高かった実資が生涯一度も官位で勝てなかった顕光を悪く言うのは、心理として無理もないでしょう。
 実際の顕光は少なくとも大きな失敗はせず、亡くなるまで実資を制していました。

 
以降「光る君へ」のネタバレ注意
ここから先は、史実に基づいた『光る君へ』のネタバレが描かれています。
史実なんだからネタバレも何も……というご意見もあるかと存じますが、戦国や幕末と違い知識はそこまで共有されていませんし、『龍馬伝』の時に「龍馬が殺されるなんて知らなかった! ネタバレ踏んだ!」と責めた人がいたという都市伝説もあるので……。

 純粋にドラマを楽しみたい方はご注意ください。

一条天皇の後宮争い

 兼家は986(寛和2)年に花山天皇を出家・退位させて孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させ、摂政になりますが、その4年後に亡くなります。

 当時の天皇の仕事のひとつは、血を繋げることでした。そのために、後宮に多くの女子を入内させて子作りをします。
『源氏物語』の書き出しの「女御にょうご更衣こういあまたさぶらひたまひける」というやつですね。

 この平安恒例入内レースで、顕光は最終的に大恥をかいて脱落してしまいます。

 一条天皇は以下の五人の女御を入内じゅだいさせました(カッコ内は入内時の満年齢)。

  • 藤原定子ていし 990年入内(13歳) 道隆むすめ

  • 藤原元子げんし 996年入内(17歳?) 顕光女

  • 藤原義子ぎし 996年入内(22歳) 公季きんすえ

  • 藤原尊子そんし 998年入内(14歳) 道兼女

  • 藤原彰子しょうし 999年入内(11歳) 道長女

図1 一条天皇の女御たち

 顕光の娘の元子だけは生没年が詳しくわかっていませんが、このことには理由があります(詳しくは後編にて)。

 真っ先に入内したのは兼家の長子道隆の娘・定子でした。
 一条天皇と定子は『光る君へ』でも幼馴染みとして育っていた描写がありましたが、実際に深く愛し合っていました。その仲睦まじい様子は清少納言の『枕草子』に繰り返し描かれています。中宮に立った定子の権勢の前に他の家の娘は入内できず、実質一夫一婦の状況にありました。
 しかし道隆は関白として権力の絶頂にいた995(長徳元)年に満42歳で逝去。跡を継いだ弟の道兼も一ヶ月足らずで亡くなり、その弟の道長と道隆の嫡男・伊周これちかが跡目争いをすることになります。
 伊周は翌996(長徳2)年2月(旧暦1月)に、痴情のもつれと誤解から花山法皇に矢を射かける事件を起こし、失脚します。道長は左大臣に昇進し、名実ともに朝廷のトップに立ちました。
 定子は磐石の後見を失い、道長の娘の彰子はまだ8歳ですぐには入内できません。
 他の家にもチャンスが回ってきました。

 顕光はさっそく、同年冬に娘の元子を入内させます。
 この時点で元子に皇子が生まれれば、定子の皇子を押しのけて即位させ、外戚の顕光が摂政・関白になれる可能性は充分にありました。実際、道長が後にそうしたように。
 そんな父の期待に応えて、元子は翌997(長徳3)年に懐妊の兆しを見せます。
 彰子の成長を待つしかなかった道長は、さぞ気を揉んだことでしょう。
 顕光は皇子誕生を願って派手に加持祈祷をさせます。しかし臨月になった元子が破水しても水が出るばかりで、結局赤ちゃんは生まれませんでした。
 今で言う想像妊娠だったとされています。
 お腹がふくれたにもかかわらず赤ちゃんが出て来なかったという珍事は貴族から庶民にまで知れ渡り、顕光父子はすっかり都中の笑いものになってしまいました。
『光る君へ』の直秀一座のように、散楽でも演じられたかもしれません。

 夢見ていた明るい未来が煙のように消えてしまい、大恥もかいた顕光ですか、彼を襲う不運はまだまだこんなものではありません。
 そのことをいっぺんに書くと『筆がすり切れて』しまうので、一度ここで切って後編をご覧いただければと思います。

【光る君へ】悪霊左府・藤原顕光のついてない一生(後編) 

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