7年間の感謝
今回の部員日記は、商学部4年の北川寛二が務めさせていただきます。
年が明けて早くも1ヶ月がたち、気づけば新社会人への足音が近づいて参りました。
今回は最後の部員日記ということで、自分自身の総括としてこの4年間、ソフトテニス部で僕が何を考え、どう過ごしてきたかをありのまま綴らせていただきたいと思います。
長く柄にもないような文章になってしまうと思いますが、どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。長いので、4年間の振り返りは興味ないと思う方はぜひ飛ばしてください。
振り返り
そもそも何故体育会に入部しようと思ったのか。
それは高校時代の不完全燃焼からだった。
高校時代
時はさかのぼって2018年5月、高校2年生の時、1個上が県予選の個人戦で優勝しているのを目撃し、強い憧れを抱くと同時に来年も自分はこの場所に絶対立ちたいと心の底から闘志が燃え上がった。
代変わりし、自分たちの代となり、本気で関東・インハイの上の舞台を目指しがむしゃらに練習に取り組んだ。
翌年3月には、大学生に志願して、異例ともいえる1か月間練習に混ぜてもらい、必死について行って吸収した。
春先も調子が良く、自信を深めた中で迎えた最後の関東予選とインハイ予選。
しかしながら結果はいずれも2回戦負けだった。
大学生の先輩方から折角教わった技術は何も出し切れなかった。
特に関東予選では、小学校からの同級生、高校から競技を始めた同期、1個下の後輩たちが関東大会を決めた。決めた瞬間は、チーム的に見たら喜ばしい事というのはわかってはいたけど、個人としては素直に喜べるはずもなくとてつもなく悔しかった。結局大学生との練習に参加した中で、自分だけが関東・インハイの上の舞台に立てず、大きな挫折経験になった。
この不完全燃焼の悔しさが自分を体育会に導く。
1年生
2020年、入学と同時に世間では新型コロナウイルスが流行し始め、6月までは完全に自宅自粛、思いもよらない学生生活の幕開けだった。
この先どうなるんだろうという不安を感じる一方で、練習のできないこの期間は他校との差を埋めるチャンスだと思った。
暇があっては動画研究し、色んな人のプレーを初めて自分事に映してソフトテニスの試合を見るようになった。と同時に、チームの選手層が薄くなる中での危機感を覚え、今すぐにでもパワーアップしなければと強く感じ、自分の武器は何で、何が通じて何が通じないのかを日々試行錯誤しながら取り組んだ。当時の振り返りは下記である。
これによって、六大学では後のインカレ覇者とファイナルにもつれる試合をでき、いい意味で勘違いをした私は勢いそのままに冬に行われた関東選手権ではベスト16の成績を残すことができた。この成功体験は自分の中で大きな礎となった。
2年生
オフ期間もモチベーション高く練習していた私だったが、シーズンが始まってから肩を痛めてしまった影響もあって中々調子が上がらず、実力も伴っていない中で、上番手の方とペアを組ませていただいたが結果を出せず、とにかく自信を失くしていた。リーグが近づくたびに、自分は何番に出て何勝しなければならないという勝手なプレッシャーを必要もないのにかけてしまい、そのたびに自信を徐々に失っていた。
昨日の岡田君の部員日記の言葉を借りるなら、馬鹿になりきれなかった。
下級生だったからこそ現実を受け入れすぎず、もっともっとがむしゃらに行くべきだったなと1つ後悔が残っている。
3年生
なんやかんやコロナの影響が続き、入れ替えのない緊張感の薄い試合しか経験していなかったが、この年から入れ替えが復活となった。
迎えた5月の春リーグはまさかのコロナが部内で蔓延し、リーグ戦欠場。そして3部1位との下入れ替え戦に進むこととなった。入れ替え戦に勝利し、なんとか2部残留を決めたいという思いを胸に秘めて入れ替え戦に臨んだ。しかし結果は1-3負け。自分が負けて3部に降格した。死ぬほど悔しかった。
残留のかかった大事な1戦で、振り切れるほどのメンタルを持ち合わせられなかった。勇気が出なかった。高校時代の負け犬根性が蘇ったような、何やっても点を取れる気がしなくて、それぐらいひどい試合だった。
9月のインカレも出場させてもらったが、岡田の足を引っ張り敗戦。試合中に修正できる余力がなく、完全に負のループに陥っていた。
迎えた10月の秋リーグ、次年度を見据えて、自分は絶対に結果を残すという強い使命感を持って臨んだ。どのくらい練習したかは覚えていないが、前より確実に上手くなっているという根拠たる自信をつけて、試合を迎えた。
結果として3部全勝、入れ替えも勝利することができ、初めてチームに貢献できた嬉しさを感じることができた。
そして、代替わりに伴って私が主将を務めることになった。
4年生
ラストシーズンが始まった。代替わりしてから、週報制度を取り入れたり、1人1人と面談して目標からの逆算を行ったり、チームとしていい方向に向かえるように自分なりに懸命に努力した。けれど、それが甘かったのは春リーグを持って体感することになる。
冬休み春休みの地獄のようなスケジュールを経て春リーグを迎えた。けど春リーグはあんまり思い出したくないぐらいひどかった。就活によって練習量を確保できなかった事に起因する潜在的な不安感を、小手先でごまかしきれず、蓋を開けてみれば2部全敗。チームとしても25戦で4勝しかできなかった。今までのプロセスがいかに甘く、自分たちにとって不十分だったかを思い知らされると同時に、結果を出さないとそのプロセスが認められない勝負の世界の残酷さを改めて思い知った。
この時期は、個人として結果を残せなかった焦りから、チームをしっかり見ることも出来ていなかった。歴代の主将たちと違って、自分はこんなにも無力なのかとすごく悩んだ。インカレも16を目指すという言葉が1人歩きして、結局初戦負け。チームとしての軸も不安定だったと思うし、頑張る理由が分からないと部員に言われた時はかなり堪えたし、その通りだなと痛切に感じた。
インカレ後、同期3人でミーティングをして2部復帰を大きな目標軸にした。というか絶対的な使命だった。
ラスト2か月は人生で一番部活にリソースを割いた。後がないから。後輩に少しでも何か残せるように。この1年のプロセスを正解にできるように。とにかく必死だった。
迎えた10月末の秋リーグ、過去最高にテニスを楽しめた。結果としてチームは3部優勝・個人としても全勝でき最高の瞬間だった。入替戦も、自分は負けてしまったが頼もしい後輩たちのおかげで何とか2部で襷を繋ぐことができた。本当にありがとう。
後輩に向けて
長々と自己満な振り返りをしてしまって申し訳ないですが、1点だけ、体育会活動をする中で後輩に伝えたいと思ったことがあるので、上からで申し訳ないけど伝えさせてください。
それは「慶應らしさ」を体現するという伝統を止めないことです。この一言に尽きます。
慶應らしさ
「慶應らしさ」を体現する。僕が愛してやまないソッカー部の部員ブログによく登場する言葉です。
慶應らしさって何だろうって感じですよね、とっても曖昧です。けど、日々練習に本気で取り組んでいる人なら何となくわかってくれると思います。
自分は、より高いレベルでの「文武両道」を目指すことだと解釈しています。
別にそんなことする必要ないじゃないかって思う人もいると思います。至極当然です。だって辛いから。
慶應にはスポーツ推薦もないし、他大の競争相手は全国レベルで活躍しているのが当たり前の所謂スポーツエリート達です。僕たちは幼少期から勉強だけはできたかもしれないけど、その相手達の土俵で、スポーツで戦わなければいけません。辛いに決まってます。
努力したら勝てるようになるのか、そんな保障ないです。
給料が出るのか、大学スポーツは別にプロリーグなんかでもないし、そんなインセンティブ一切ないです。
ただ、1競技において、自分自身が持てる全身全霊をかけて、プライドをぶつけ勝負し合うというのは、今だけにしかできないことですし、この勝負(結果)に至るまでの様々な努力(プロセス)が自身を成長に繋げてくます。ここに体育会活動をする大きな意味があると思うのです。
自分自身がこの慶應らしさを体現するよう、後輩に見せれていたかは微妙かもしれませんが、自分は常々この高いレベルでの文武両道を目指して、自身がやれるだけの事はやったと胸を張って言えます。
競技自体の楽しさに溺れ、楽しくワイワイやっていた中学時代から、結果をどんどん追い求めていく高校・大学になるに連れて苦しい事の方が圧倒的に多かったけど、その分何かを達成できた時の嬉しさは本当に格別でしたし、高校時代じゃ考えられない成長を実感できています。
だからこそ、後輩たちには、結果だけが求められる世界で、自身が選択してきた様々な選択肢・プロセスを正解にできるよう、中途半端な努力で妥協しないでほしいと心の底から思っています。
みんなが主人公になれます。けど、チャンスはどこにでもありますが、自分から迎えに行かなければ掴むことはできないと思います。より高いレベルでの「文武両道」を目指して、成長を目指し続け、この伝統を繋いでいってほしいです。
これからは一OBというより、慶應のファンとしてみんなの活躍を心から応援させてください。
最後に
重ね重ねになりますが、この4年間は人生で一番成長できたと言っても過言ではないくらい沢山の経験をさせて頂きました。負けられないリーグ戦の舞台に立ち続けられた事・チームの主将をやらせてもらった事、いつも可愛がってくれる頼りがいある先輩方・かけがえのない同期・頼もしい後輩に出会えたこと、ここに書ききれないくらいすべてが大きな財産です。
この競技を通して学んだことを次のステージへと繋げたいと思います。
塾高時代から7年間本当にありがとうございました。
北川寛二
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