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ひとみしり

以前、「人見知り」と言うと、自分の意思で人を選別しているみたいでカッコ良さげに見えて、人見知りと言ってた時期がありました。
というか、人間関係が上手くいかないので、人見知りした方がいいのかと思い、そうしてみたり、そう思ったりしていました。

ですが、どうも、自分は人見知りではないようです。
むしろ、人見知れないタイプのようで、大抵の人は難なく接してしまうようなのです。
相手からすると、これは、無頓着であったり気遣いがなかったりということになるわけですが。

しかし、人見知りというのは、どういうものなのか、ということが、やっと、分かる時がやって来ました。

息子が人見知りなのですが、いったいなにが、人見知りになる定義なのか、と、ずっと話して来たのですが、人見知りでない私と人見知りの息子の人見知り度を何で測ればいいのか?という事が課題でした。
お互いがそこのところがわからず、人に対しての態度で、意見が合わない事がありました。

ある日、息子がその指標を見つけたのです。
「初対面で受け入れられないって感じがするのよ」と。
ああ、それは、私もあるよ、と。
もしかすると、私とあんたの、「受け入れられない」範囲がちがうのかね?というと、どうも、私は受け入れられる範囲が広いようで、息子は警戒心が強くて簡単に受け入れられないようでした。

え、そんなもんじゃないの?と、思われそうですが、旦那も人見知りなのですが、彼の場合はそういう自分を上手にブロックして失礼のないように誰とでも打ち解けたようにしていますが、実は、本当に打ち解けるまでには何年もかかっているのです。

私の場合は警戒する人のレベルが30人に対して1人に対しているかどうかのところ、彼らは30人に対して、25人は警戒するようなのです。
その分、出会いも少ない、だけど、人間関係のトラブルは少ないのです。

私はとにかく人付き合いが下手だとずっと思っていて、本当にどうにかならんもんか、と思ってきたのですが、最初の警戒心がほとんどないので後に、あら、この方合わなかったわ…という事がままあるのです。

息子から言わせれば出会いの数の分母が自分たちとは違いすぎると。
そうなると、難しい案件も増えてくるのは、当たり前という。
自分たちからすれば、好かれることも、嫌われることも多い。
受け止めるのは一人だからそりゃ、しんどいよねと。

最初に戻れば、それなら人見知りになろうかと思ったのですが、でも、人との出会いが自分の世界を広げてくれること、自分にはない考え方、感じ方をたくさん知る事が出来るというのは、自分の大きな強みであるのでは、と、考えるようになりました。

まあ、人見知りの人からすると私みたいな人は、めんどくさくて仕方ないと思います。
だけど、私にも人見知り部分はちょっとだけあり、人見知りの人が最初どう感じているか、というところがわかったので、もし、今話している相手が人見知りの人だったらそれなりに距離をとれるようにできるかもしれません。

それも、これまでたくさんの人に出会ったからわかったことでした。

しかし、なぜ、我が家には2人も重度の人見知りがいるのか、そして、なぜ、旦那は人見知り度が極端に低い私と結婚したのか、またも新たな謎が生まれたのでした笑

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