関 数男物語〜つながる希望01〜
「1学期、本当に助かったよ。」
高木も数男の労を労う。渡辺の事故により、高木は急遽担任代行となった。教務主任として学校全体に関わる業務を遂行しつつ、担任の業務も行えたのは、高木の経験によるところが大きいのだろう。その苦労は微塵も感じさせずに、1学期を乗り切った。
もちろん、数男の預かり知らぬところで高木は苦労をしているのだろう。実際、教頭と高木から相談を受けた「職員伝言板ツール」については、話題にこそ出たものの、結局、学期末まで何の進展もしていなかった。数男自身も、いくつかの候補は挙げたものの、忙しさにかまけてうやむやにしてしまっていた。そんなことを思いながら杯を傾けていると、高木がいきなり切り出した。
「関くん、例の伝言板、来週中に整備するよ。」
数男は、ビールを吹き出しそうになった。
「えっ?どういうことですか?」
思わず高木に尋ねる。手付かずのままだと思っていたプロジェクトが予想以上に進んでいたのだから当然だ。
「実は、先日、流田くんに会って、具体的な段取りまで決まった。管理職の許可もとってある。週明けには、職員PCにインストールできるはずだ。」
なんということだろう。あれだけの激務の中で、そこまで準備を進めていたとは。数男は、心の底から驚いた。デジタル伝言板が導入されるメリットは多い。
口頭伝達では、伝えたつもりになっていても内容が落ちていたり、相手が聞き間違えたりしてしまうこともある。実際、1学期中にある職員が「翌月に予定されていた会議を21日に変更したい」と口頭で伝えたところ、相手が「11日」と聞き間違えてしまったため、余計な日程調整作業を行うことになってしまったという事例もある。
ならばメモを配付すればよいのではないかという意見もある。しかし、いちいちメモを人数分用意するのが手間だ。また、職員の中には、荒れ果てた机上の人物もいて、メモの埋没がしょっちゅう起こっている。
デジタル伝言板が導入されれば、口頭伝達のデメリットはほぼ解消される。また、一度に複数名に発信できるので、手間も大幅に削減できるのだ。もちろん、デメリットもある。最大の問題は、「パソコンを開かない職員がいること」だろう。しかし、数男には、この問題に対する解決策となる案があった。もちろん、試してみないことにはわからないことの方が多いのだが。
そんなことを思案しながら、残り少なくなってきたジョッキを片手に手持ち無沙汰にしていると、養護教諭の中島美紀が追加のジョッキを運んできた。
「関くん、相変わらずの酒豪ね。」
確かに、関はアルコールに強い。運動会の打ち上げで、体育主任として職員から労われ、大量のビールを飲み干したことが噂に拍車をかけているのかもしれない。とにかく、表計算小では、「6年担任酒豪コンビ」として名を馳せていた。
「1学期は、お疲れ様!」といって、グラスを掲げる彼女に合わせて、数男もジョッキを掲げる。正直、彼女には謝らなければならないことだらけだった。数男のクラスには、不登校傾向の子がいる。
その子は、その子なりのルールに従って生活している。しかし、1学期の間に数男が彼女のルールを把握することはできなかった。結果、「遅刻します。」と連絡があった日に、結局、欠席したり、連絡なしに2時間目から登校したりすることもあった。数男は、できる限り彼女の生活リズムや思いを尊重したいと思っていた。しかし、そこで、事務的なトラブルが起こっていた。学校に存在する「出席簿」が壁となっていたのだ。
学級担任は、朝の会で、出欠や出席児童の健康状態を把握する。事前に、欠席連絡が入ることもあるのだが、そもそもその時間帯は出勤時刻よりも前なのだ。出勤時刻ギリギリに出勤する数男は、彼女の母親からの連絡を直接受けることは稀だった。
朝の会で、記録した出席状況は、養護教諭がデータとして記録し、感染症などの罹患状況と共に報告することになっている。ところが、この不登校傾向の子に関しては、何時に登校するかわからない。そのため、出欠状況については、「遅刻」ということにして報告している。そして、一日の終わりに出席したかを確認することにしていた。中島は、一日の終わりに全学級分の正式な出席状況をまとめる。
この中島がまとめたデータは、月毎の出席統計に反映させるための資料にもなるのだが、数男は、毎日の出席状況の訂正をしそびれることがあった。そのため、毎月、月末になると「2日は、彼女は登校しましたか?」「そういえば、13日は、午後から登校できた。」などというやりとりをすることが多かった。
数男自身も一日出張のため、出席状況を把握できなかった日もある。そんなときは、学年主任の明子や管理職の記憶を頼りにするしかなかった。結果、中島には多大な迷惑をかけているという自負があった。
数男は、この問題もなんとか解決したいと思っていたところだったのだ。
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