僕は死刑囚なんじゃないかって話をします。
僕は”死”に非常に興味がある。
大学生の時、おばあちゃんが亡くなったことによって、より調べたりすることが多くなった。
死後の世界は誰も知らない。
それってよく考えるとすごくない?
あんなに科学が進歩してるのに死後の世界は誰もわからない。
いつか科学の進歩で、死後の世界がわかる日が来るのだろうか…。
今日は僕がよく考える”死”のお話をしたい。
哲学者かなんかの言葉であったと思う。
どこで見たかも忘れたその文は、僕の脳裏から離れなくなった。
曖昧でごめんなさいだが、このような言葉であった。
”生きるものは全て、いつ死ぬかわからない死刑囚だ。”
(ニュアンスこんな感じだった。)
おいおい、ちょっと待ってつかんさいよ。
死刑囚だなんて人聞きの悪い。そんなこと言わんとってくださいますー。
てな感じになった人もいるかもしれない。
しかし、僕はこの言葉を非常に興味深い言葉だと思った。
僕はこの言葉に出会った時こう思った。
「俺って…人生の死刑囚だったんだ!人生、生きづらいの納得ーーーーー!」と。
北林さんはまず寝たほうがいいです、とアドバイスをくれる読者さんもいるかもしれない。自分が死刑囚だと認識して喜ぶ人はそういない。
しかし、このマインドを持ってから、僕は生きることが少し楽になった。
「生きることはめんどくさい」
ドラマ『逃げ恥』で津崎役の星野源が言ったセリフだ。
本当に的を得た言葉だと思う。
だって、生きていたら洗濯せなあかんし、働かなあかん、お風呂とか入らんとあかんし、満員電車にも耐えなあかん。
それに加え、理不尽なことも起きたりする。よくわからない俳優事務所にお金を騙されたり、深夜中立たされたり、相手のミスなのに殴られたり…。
ちょっと、例えが具体的になってしまったが、時に辛いことが重なって生きづらいと思う瞬間もあるかもしれない。
そんな時に思い出す言葉が、
”生きるものは全て、いつ死ぬかわからない死刑囚だ。”
なのであった。
この言葉を自分なりに解釈した、文を発表する。
僕は所詮、人生の死刑囚という身分であり、特別な人間ではない。
辛いことも当然あるし、意味不明なことで被害を被ることもある。
それは僕が、いやみんなが(僕が勝手に思ってることだけども)、死刑囚という身分であるが所以。
しかし、悲観的になってはいけない。
人生の死刑囚なら死刑囚なりに頑張ってみようじゃないか。
誰よりもかっこいい死刑囚であろうじゃないか。
そしてもし、自分が誰もが憧れる人物になったとしよう。
指を鳴らせば、土地も金も女も手に入るような影響力が半端ない奴になったとしよう。
しかし、驕ってはいけない。なぜなら、どんな人でもいつか死の判決が下されるただの死刑囚でしかないからだ。
だから、みんな同等に接し、思いやる。
だって、みんな同じ死刑囚なんだから、上から物言う意味ないもんね。
以上だ。
”生きるものは全て、いつ死ぬかわからない死刑囚だ。”
一見、ネガティヴな言葉にも聞こえるが、僕はこう解釈した。
僕たちは言葉や出来事に対して、反応の余地がある。
出来事は変えられないが、反応は変えられる。
はい、出ました。名言です。
良い感じで締められそうなので、今日はこの辺で。
また次の投稿も死をテーマに書いてみる。
次は死と高校の期末テストを比べた記事をお送りしたい。
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