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故・山内昌春先生を偲んで…

突然の訃報

昨年(令和4年)の3月5日、新型コロナウイルス感染症の影響で3回連続でリモート開催となった琉球放送主催「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」の翌日に思いもよらぬ知らせが入った。

「山内昌春が死んだ」

それも時の流行り病に屈してしまったとのことである。信じられなかった。

1月に読谷村楚辺の民謡スナック「一番友小いちばんどぅしぐゎー」閉店の知らせを聞いた際は、いよいよ一度もお邪魔できず残念に思ったものである。しかしその当時は「とても元気で、コロナ世が終わったら、あちこちに遊びに行きたいとワクワクしている」とのことだったので、機会を見て私も一度個人的に先生のもとへ訪ねたいと楽しみにしていた矢先のことだった。

民謡スナック「一番友小」
民謡スナック「一番友小」
https://www.facebook.com/satomi.fujiwara.35/posts/pfbid02kACY8VibfNuYZQpUU2bcjPbUtm3UeVV44ZHoZ8EmwHbvEeQvNFwMNYAJhbEyBukolより引用

山内昌春先生の歌情うたなさきあふれる名曲の数々に私はすっかり惚れ込んでいた。それだけに一度もお会いできないままこのような形になってしまい、ただ茫然としてしまった。社会的に多大な影響を与えたコロナに対して、私は今まで恨み言を言わないように心がけてきたが、ここに来て初めて「コロナが憎い」と思ってしまったものである。

やがて尊敬してやまない唄者を失った悲しみに打ちひしがれる中でも、「山内昌春先生の歌の魅力をもっと広めたい」と考えるようになった。

山内昌春先生の歌を継承したい

山内昌春先生の死後、私は民謡酒場のカラオケや飛び入りステージで先生の歌ばかりを歌った。店員さんや他のお客さんから、「本当に山内昌春の大ファンなんだねぇ」と半ば呆れられるくらいだった。

那覇やコザの喧騒から離れ、のどかな雰囲気に包まれる読谷村。その土地に生まれ育った山内昌春先生の歌は、そんな読谷の景色をボンヤリ眺めながら聴くとこの上ないリラックスを得られるものであった。

実際に私自身も、代表曲「赤犬子あかいんく」「一番友小」「行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや」「真玉橋まだんばし物語」の他、「花咲かさ節」や「家庭ちねぇ花心はなぐくる」などを平素より愛唱している。


しかし、そんな私が特に気に入っている山内昌春先生の歌が「ヒールーモー」である。正直そこまでメジャーな歌ではないため、曲名自体初めて聞く人も少なくないだろう。それでも、この歌に歌いこまれている、かつての伊良皆部落の情景に思いを馳せると、どこか心温まるような、はたまた切なくなるような、不思議な感情に身を包まれるのである。ちなみにヒールーモーは伊良皆の高台に存在した小字で、往年は村の青年達が毛遊びに集まる広場も存在したようだが、戦後の開発によって現在は跡形もなくなっている。

「ヒールーモー」
作詞/池原ツル 作曲・唄/山内昌春

思出うびじゃしば読谷山ゆんたんじゃ 伊良皆いらんまぬヒールーモー
友達どぅしびうしりてぃ あしどぅくる

むらなかぬ あぬヒールーモーや
二才達娘小達にせたあばぐゎたが 毛遊もうあしどぅくる

かたらん みちどぅなてぃうゆさ
昔懐んかしなちかさや あぬヒールーモーや

戦前いくさめ伊良皆いらんまや サシジャがーわく
イシジャがーながり みじちゅらさ

思出うびじゃしばまさてぃ むら面影うむかじ
年幾とぅしいくちなてぃん ちむぬくてぃ

この歌をもっと広めていきたいのだが、残念ながらカラオケには収録されていない。私は三線が弾けないので、もっぱら歌うのみなのだが、これを機に本格的に三線を勉強して自らの演奏でこの歌を弾き語れるようになりたいと意気込んでいるところである。

山内昌春先生の足跡

ここで山内昌春先生のプロフィールを簡単に紹介しておこう。ざっとこんな感じである↓

参考資料:「琉球民謡工工四 山内昌春作品・歌唱集」
山内昌春先生のデビューレコード「身なし子」

一周忌を目前にして…

山内昌春先生が旅立たれてから一年が経とうとしている。そんな中、去る2月18日に営業中は一度も足を運べなかった「一番友小」の跡地へ行った。

読谷村楚辺2056-3「池和アパート」の地下、お店は当時のままの姿で残っていた。

もちろんお店の扉には厳重に鍵がかけられて中に入ることはできないものの、私は入口前で先生の歌「行逢いぶしゃや語いぶしゃや」をスマホで再生しながら、ひざまずいて手を合わせた。

行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや」
作詞・作曲・唄/山内昌春

さとぅ云言葉いくとぅばや 湧水わくみじぐとぅ
我肝深々わちむふかぶかとぅ まてぃねらん
行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや

海山うみやまぬあがた さとぅしまかてぃ
んや唯一人ただひちゅい さびしゅさ
行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや

かしかきぬいとぅに さとぅ面影うむかじ
くいけえしげえし きてぃかた
行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや

かたてぃかたららん 胸内んにうちりしゃ
たるかたらゆが 無情むじょう恋路くいじ
行逢いちゃいぶしゃやかたいぶしゃや

…すると、どうだろう。この日は快晴で風もほとんどなかったはずなのに、歌が終わった瞬間に暖かく優しい風が吹き、木の枝がそよそよと揺れた。そして実際に声が聞こえたわけではないが、なぜだか「ありがとう」という一言が脳内をこだました。私の思い込みに過ぎないだろうが、もし仮にあの瞬間、山内昌春先生が会いに来てくれていたのであれば、これに勝る幸甚なことはない。先生には改めて厚く御礼を申し上げたい。

にふぇーでーびる!!

山内昌春先生に捧げる歌

実は山内昌春先生が亡くなる半月ほど前、私は一編の拙詞を書き上げた。奇しくも、それは完成した時にふと「山内昌春先生に曲をつけて歌っていただきたい」と思ったものである。下にその詞を掲載する。

なさきねんゐなぐ
作詞/仲濱会人

なさきねん無蔵んぞに うちりてぃ我身わみ
朝夕落あさゆうてぃかん んにどぅむる
あんしかなさるむんやる あぬゐなぐ

我肝わちむあまがする 無蔵んぞが色美らさ
さやかちちに うむらさ
あんしかなさるむんやる あぬゐなぐ

たぬでぃたぬまらん 情切なさきちりやから
かなさするくくる あだにすゆみ
あんし畜生者ちくしょうむんやる あぬゐなぐ

ままならん恋路くいじ 思忘うみわしらやしが
面影うむかじどぅしゅる ちむりさ
あんし畜生者ちくしょうむんやる あぬゐなぐ

山内昌春先生の四十九日が済む前、先生の知人によってこの詞が故人の祭壇に捧げられた。恥ずかしながらも大変光栄なことであり、この場を借りて改めて御礼申し上げたい。

しかし先生亡き今となっては、曲をつけていただくことが叶わなくなってしまった。そこで先生に代わってこの詞に素敵な曲をつけてくださる方がいらっしゃれば、ご一報いただきたい。

おわりに

私は生前より山内昌春先生を尊敬しながらも、いよいよ一度もお目にかかることなく終わってしまった。しかし、せめて一度先生の墓前に手を合わせてご挨拶する機会を得たいと考えている。

本記事をご覧いただいている方の中で、山内昌春先生の親族あるいは知人がいらっしゃれば、この私に先生の墓所をご紹介いただけると幸甚である。

今後とも素敵な歌の数々を残してくださった山内昌春先生に敬意を表しつつ、先生の作品を歌い継いでいきたい。

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