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「AI写真コンテスト」で「人間が撮影した本物の写真」が入賞する珍事が発生 - GIGAZINE



さて、少し以前のソニーさんの「コンテスト」の件もありましたね。
議論や対話をしたいという、率直な意思の表れとも思えますが、世界の潮流のようですね。

僕らも、成り行きを見ているのもいいかもしれませんが、その間に本当の意味で「ガラパゴス」と同じようになるのかもしれません。それならそれで、保全するために「鎖国」するというのも、有力な選択肢ですけれど現実的でもありませんし、いかがいたしましょう。

あまり、「人間がAIに勝っている」とかいう「ニュース記事」は勘弁願いたい。現象自体の性質は「根本的に変わらない」のだから。

※2024/06/16 06:25、リンク先の文章が少々変更されていたので追記する。

「引用」
「アストレイさんは「当然のことながら、審査員を惑わすことについては倫理的な懸念があり、軽く考えてはいたわけではありません。映像業界のプロと見る側の人たちどちらも、私がAIに見舞った一撃とそれによって示された倫理的な意味合いが、見る人をだますという人の道にもとる行為に勝ると思ってもらえたらと考えました」」


なんだろう、この「倫理観」のダブルスタンダードは?
これこそが、人間としての「自然」ともいえるかもしれないけれど。
感心できないし、このような記事自体をピックアップした自分に少々嫌気がさす。自戒として、ここに遺しておくことにしよう。

今後このメディア(「ハフポスト日本版」)を読む時には細心の注意を払うようにしなければならない。「何か」を全面的に賛美するという「メディア」は、すでに「意図的に偏った報道」をするようになったと個人的には認識している。大衆迎合主義と情報操作を使った戦前報道に近い性質だ。

【2024/06/17 09:00】
元ネタを、如何に料理するか?という報道で言われる技術は、例えば現状の一般教養、良識に言われる「表現」であれば、この程度が限界点というかバランスの割と適切なあたりだろう。彼らの記事では「積極的に善悪について推奨していない態度の記述」だ、善悪についてまたは勝ち負けについて上下の階層化について偏った「報道」がご法度なのだとうが、メディアでは現在どのようになっているのだろうか?という疑問を呈して、これを記載する。視聴者や読者は、その分を間引いて「何が起きているか?」丸呑みに、本来できないし、したときに「何か」(例えば本質的な論点のすり替えなど)が歪められるのだ。

「CNN」の例。

【重要と思われる部分を抜粋】
「この企みに都合のいい写真を積極的に探していたわけではない」とアストレー氏。「むしろ考え自体は、頭の片隅に紛れ込んでいた。意識的というよりは無意識の領域だったと思う。それがこの写真を見たときに、ふっと浮かび上がってきた。こうした企みにはまさにうってつけの作品だ。あまりに非現実的な場面で、それは極めて単純かつ自然な理由によるものだから。フラミンゴという動物はお腹をかくという、シンプルな理由だ」
【抜粋終わり】

これらを総合して、皆さんはどのような解釈を自分なりに導きますか?
というのが、報道への対する態度だと、僕は考えているし感じてもいる。

※冒頭の写真はコンテスト的なイメージです。実際の場所とは関係がありません。


※従前のSONYのアワがードのいきさつ