クロスロード|想い出は流れるまま〜交差点

 空に向かい絶叫する候補者。それを距離をおいて取り囲む通行人。国政選挙日一週間前の駅前交差点は、関心というピントのずれた風景写真と無関心というケースに入ったままのフィルムのごとく私には不必要なものだらけ。
「こんなところにいると心が痛む」
 隣からそんな言葉が聞こえた気がする。それは、過去からの言葉だ。

 彼の仕事のスケジュールを確認し、休日出勤を同じ日に重ね、仕事の進捗と彼の行動を天秤にかけならがら、彼の昼休憩の時間にうまくあわせて自分も昼食にでる用意をし、昼食を一緒にと誘われるのを待つ構図をつくるのが精一杯の勇気。その勇気がやっと実った二人だけの昼食の時間。食後のコーヒーが出てくるタイミングでこの先の仕事についての話題を持ちかけたら、
「会社を辞めて、独立することにした」
 彼がそう言った。何のことを話しはじめたのかまったく理解できなかった。徐々に飲んでいたコーヒーの味が無くなっていった。社長には応援してもらえる事が決まったと、同僚には初めて話すと、今の仕事を続けていきたいから、もっと追求したいから、目を輝かせながら沢山の言葉を重ねていたけど私には「会社を辞める」という言葉からピントをずらすだけで精一杯だった。
「もしよかったら写真を撮ってほしい」
 今日、お昼に誘ったのはこのことを伝えたかっただと、ただ、彼が私の趣味を知っていたのは驚いた。そう、今の自分の姿を今の自分を知っている人の目を通した姿で残したいと言った。私は、カラーは苦手だと言うと逆にモノクロームの方がいいと言った。どうして私なのという疑問は、言い出せないまま嬉しさでかき消された。

 混乱したままお店をでた先の信号待ちの交差点。テレビ番組のロケで季節を先取りした夏の格好をした有名人がカメラに向かって作り笑顔の連発で交差点に近づいてくる。それを取り囲む通行人は増える一方。私たちは、否応もなく有名人を取り囲もうとしている通行人に取り囲まれて身動きがとりづらくなっていた。
 そんな時に隣にいた彼がぽつりと言った言葉。
「こんなところにいると心が痛む」
 そう言うと私の手を握り、「誰なの」と疑問符を投げかける中年女性の脇を抜け、インスタントカメラを鞄から出そうとしている制服の高校生カップルをよけ、蟻地獄のような交差点から無理矢理脱出した。
「これは、まずいよね」
 交差点のを渡り、直角に方向を変え、やっと止まった彼は、握った私の手を見て微笑み、そして手の力を抜いた。私は、何も言えないまま放された手を重力に任した。中途半端なぎこちない笑顔を作っているであろう自分の顔が、脈拍が早くなっている事を一生懸命隠そうとしている自分が、恨めしかった。
 彼が力を抜いた瞬間に握り返す勇気は私の中にはなかったし、何がまずいのかを問うて笑いをつくる余裕もなかった。

 写真を撮ったのは職場の近くの公園。早朝の公園は人もまばらで、過ぎ去る風も季節の割には重くない。ファインダーを通して初めて彼の顔を正視できた。私の唯一の武器、カメラを構えた時だけは不安を抱く事はなかった。
 公園から会社に行く途中であの交差点を通る。交差点で信号待ちをする彼の後ろ姿をどうしても撮りたくなって、一枚だけわがままを言う事ができた。
 彼にとっては私の居る職場への最後の出勤の姿だった。

 ふと、忘れかけていたはずのあの時の彼の手の感覚がよみがえる。時の流れに逆らうその感覚は、手を握り返せなかった淡い想いとファインダー越しでしか伝えられれなかった勇気も共によみがえらせる。
 青信号は残酷だ、否が応でも人の流れが自分を押しとどめる事を許さない。流れる人波に埋没するように私は今に想いをはせる。

蛇足

2002年11月初稿 2006年7月4日改稿

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