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食器をしぼったら自炊が楽に考えられるようになった
今年のGW中に、実は家庭内で大幅な断捨離をしました。それはもうたくさんものを捨てて整理してetc.. をやっていたのですが、今回はその中から食卓にまつわる断捨離と献立を考えやすくするための工夫の話。
ともかく雑多な食器が多すぎて自炊がしんどい
僕は実家に住んでていて、ここ一年は母に代わって家族の食卓を整えるのは自分が担当しています。
最初は実家にある食器をそのまま流用して食事を作っていたのですが・・・
いろいろしんどいポイントが発生してきました。
・誰がいつ買ったのかよくわからないお皿が結構あった
・その時は必要だったけど今はつかわないお皿やお椀が結構あった
・「数」と「種類」がバラバラな結果、洗うのもしまうのも面倒
・献立に応じてあまりに多すぎる皿を使い分けるのも辛い
おそらく子供の頃から今に至るまで、自分たち兄弟が成長するにしたがってお皿を買い足したり、逆に割ってしまったりしたものがつもりつもった結果、こんな状態になっていたのだろうと思われます。
それを気合で乗り切って自炊していたのですが、やっぱり気持ちが辛かった。特に自分の発達特性故か、バラバラすぎる形や色や大きさのものがあるのは、刺激が大きくて疲れる部分もあったようです。
大型連休に合わせて家族でなんとかしたい・・・!と思ったところでもありました。
大学の学食からアイデアを得た
そこでヒントにしていたのが、大学の学食でした。
いや、なにも選択肢がいっぱいある食事を家でしたいとかではなく・・・注目したのは食器とメニューの組み立て方でした。
【食器】
・色が1種類か2種類くらいしかないので刺激が少ない
・食器の大きさと種類がそこまで多くないので洗うのも収納も楽そう
・男性も女性も、若年者も老年者も、誰がつかってもおかしくない
【メニュー】
・決まった食器に対して、それに乗るだけの量にしている
・メニューのバリエーションがあっても基本的に使う食器はほぼ同じ
・メニューが同じでも自分で量を調節できる
こういうことが家でも当てはめて考えられそうだ・・・!と思った自分は、GW中に家族と話し合いながら、食卓と食器の再設計に取り組みました。
使う食器は5種類だけに、そこから食事を編み出す
基本的に使う食器は5種類くらいに絞りました。色も刺激も少なく、形もだいたい同じような感じのもの。別にこだわりの~とかじゃなくて、普通に無印良品で売ってたやつです。1個100円~500円くらいだったでしょうか。
あとは、これらをパズルのように組み合わせて、自炊してみました。
例えば、「ご飯茶碗」+「汁椀」+「平皿」で一汁一菜 ↓↓↓
例えば、「どんぶり」を丼に使わずに主食 兼 汁物 兼 おかずのトマトうどん
(有賀さんのレシピを拝借しました)
などなど・・・
もちろん、うまくいくときばかりじゃないし、スーパーやコンビニで買ってきたものにも頼るけど、基本的に「この5種類の食器に乗るかどうか」で食卓を逆算して考えたら、確かに考えやすくなったなあとすごく感じます。
逆にカレーとかパスタとかは、この5種類の食器に乗らないので、家では作らなくなったし、家族にもそれで納得してもらっています。そういうのは外食で食べよう、と決めておいたり。
調理にかかる時間も20分~30分くらいに減りました。(※作りおき活用ももちろんしています)
「食器」から逆算して見えたもの
そんなこんなでGWの実験はうまくいき、家族の分も含めて作って片付ける自分もだいぶ楽になりました。
家族分の食器も同様のものに変えましたし、お箸もほぼ同じものに。お皿も重ねておけるおかげで、しまうのも楽になりました。量が食べたい人は多めにもればいいし、少なく食べたい人は少なめにしたりしたって良い。
正直、「これは誰々の食器」「これは誰々のお箸」「これは何々用のお皿」って個別に覚えて全部を使いこなすのではなく、種類が少ない食器を家族みんなで使い回すとなると、考えることも手間も減りました。
自分の視覚刺激に対する特性にもマッチしていたみたいで、よくわからないお皿がいっぱいある状態よりも、ある種学食的なやり方を持ち込んだのは、刺激が少なくてホッとする部分もあったようです。
インスタとかSNSに映えるかっこいい or 素敵な食器 と食卓がもてはやされる中で、無個性な&制限された数の食器でまわす食卓は注目されにくいのかもしれないけど・・・
家庭はレストランじゃないから、多種多様な食器でいろいろな人向けの食事が提供されることよりも、制限された中で自分たち家族にとっての必要十分な満足感が得られたらいいんじゃないかなとも思うのです。
今回食器から食卓を見つめ直して、そんなことも見えた気がします。
(※もちろん、素敵な食器を使いこなす人を否定しているわけじゃないです。念の為。)
その意味で、(バカボンのパパじゃないけど)「これでいいのだ」って思えるようなシンプルなやり方は、食卓に限らず、仕事とか遊びとかでも敷衍して考えていけそうだなとも思ったのでした。
おしまい。