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はじめに:喫水線について

喫水線は昨年に出版社登録をすませたばかりのレーベルで、デザインの仕事を通して知り合った作家たちに、「自主制作で冊子をつくりたい」と立て続けに相談されたことがきっかけで立ち上げた。

2020年に同年代の小説家と写真家と共作した『震える虹彩』という本の奥付には、発行者として私と著者の2人、合わせて3名の名前が連なっている。これは出版の体裁としては「3人で行った自費出版」ということになるかと思う。だけど、このときにはすでに「喫水線」という名前で販売用のプラットフォームとしてオンラインストアを運営していた。(実はかねてより屋号として「喫水線」という名前は温めておいたのだが、そのくせ名刺に書く勇気はとてもなかった)。

その後、呼びやすかったのかなんなのか、各所で編集者や書店の方々から「『喫水線』から発行されたこの本は…」と紹介していただくことが続いた。ほんとはオンラインストアの名前なんだけどな、それにしてもこの名前は定着が早いな、と驚いていたのだけど、まあ呼びやすいほうでいいや、と流れに任せて、しばらくは屋号としてはまだ存在していないはずの「喫水線」の字面だけを借りて本の出版にまつわるあれこれの活動を続けてはいた。

そうこうしているうちに、ブックレーベルをされているようだけど、とフェアに呼んでいただいたり、声がかかることが増えてきたりしたので、昨夏、「喫水線」の名前で思い切って出版社登録をした。『ドーナツの穴は被写体になるのか?』を出すタイミングだった。一番自分が使いやすい書体の、2020年にそっけなく載せた秀英明朝(ちょっと長体かけ)が、いまもそのままロゴタイプとしてなんとなく定着している。私の体感では、出版社登録そのものはとてもシンプルで、本にまつわる問い合わせ先がフィジカルなかたちで存在するかどうかの丁寧な審査だけがあって、あとのよくわからないことは全部、電話口の担当者がなんでも教えてくれた。法人化せず、あくまでひとりの個人事業主が立ち上げた「ブックレーベル」として、いまのところ「喫水線」は存在できているようだ。


持続しなくてもだいじょうぶな仕事

基本的に私の請ける仕事は、「喫水線」での出版も含めて、誰かから依頼が入るかたちでのみ始まっている。チームの人数や構造も様々で、多くの場合再現性はない。編集者も、カメラマンも、翻訳者も、書き手も、私のようなデザイナーも、誰かによって集められ、該当の仕事にしばらく滞留し、様々なトラブルや雑談や決定や調整を経て、発送または刊行を終えるとどこかへ去っていく。

いまも二度と使われることのないだろうグループチャットがスレッドの下の方に地層のように溜まっていて、刊行物に重大な誤字が見つかったとき以外に発掘されることはないだろう。協働者たちの専門性が損なわれることなく折り重なって、思わぬ景色が見られるような楽しい仕事も、年長者に暴言を投げかけられるような決して尊敬できない人との痛みに満ちた現場も、1か月から1年もすればだいたい終わる。

私はしばしば会食の席で「流れていく仕事が好き」と言うそうで、それは逆を言うと、ひとつの仕事を継続させることの難しさを実感してきた、諦めと羨ましさに近いと思う。

予算が少なすぎることを指摘できないまま半端なものをつくってしまったり、好意で行ったことが他人の尊厳を傷つけてしまったり、たぶんそれが原因で知らないうちに関係が壊れてしまったり、何もトラブルはなかったはずなのに印刷がぼろぼろで悔し泣きしたり…と、何かを制作している人であれば誰もが身近に感じるだろう数多の失敗を経験して、私の場合、継続することを目的にしてしまうと、いい仕事ができないんだな、といつしか思うようになった。それでも自主制作であるなら、不均衡な力の関係をできる限り生じさせずに、お互いに気づいたことをフェアに指摘ができて、どうしても納得ができないことが生じれば途中であっても勇気を持ってゼロに戻すことができる。たぶん、そういう環境でなければ、屋号を持って私はものをつくれない。

小規模出版に注目が集まって久しいタイミングで、今更なにを、という感じではある。だけど、版元(デザイナー)と作家のそれぞれが個人であることを手放さないまま、本をつくる。「持続しなくてもだいじょうぶ」な気持ちで、対等な関係性だけは維持してつくった本を送り届ける。そういう気持ちで、いまのところ「喫水線」を続けています。


「喫水線」というレーベル名は、父親が働いていた港湾や自分の育った漁師町でみた船についていたマークからとった。船の側面にマークをつけておくと、その船がどれくらい沈んでいるかによって積載量をはかることができる


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