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無駄を楽しみたい

先月、親知らずを抜歯しました。上の親知らずは数年前に2本とも抜いていたので、今回は下の親知らずを2本、抜きました。

上の親知らずを抜いた時から、下も早いうちに抜いていた方が良いとは言われていたものの、面倒だし痛そうで嫌だなと思ってズルズルと先延ばしにしていて、結局最近になってようやく抜くことになった。
親知らずの抜歯は個人的に人生の中でも結構嫌なイベントだと認識していたので、それを無事に終えることができて一安心です。

親知らずは結構な確率で抜歯することになるらしいけれど、だったら最初かは生えてこなければいいのにな、と思います。

毛についても同じことを思います。今は男女問わず脱毛をするのはごく普通になりましたが、わざわざ脱毛をしないといけないなら、最初から生えてこなければいいのにな、と思ってしまう。

人間の体は無駄なものが多かったり、全然自分の思い通りにいかないことも多いけれど、逆にいうとそれが「人間っぽさ」であり、愛おしく思える部分でもあるのかもしれないな、とも思います。

私は長らくエンジニアという仕事をやってきた中で、極力無駄なものを取り除いて物事を効率化しようとする思考の習慣が身についてしまっています。
仕事をしている中で、面倒な作業や時間がかかる作業で、どうすれば無駄を排除して、効率よく作業を進めることができるか。プログラムを書く中で、どうすれば無駄がない効率的なコードを書くことができるか。そういったことばかりを考えてしまう。

仕事をしている時においては、この習慣は多分悪いものではなくて、むしろいつもそういうふうに考えている方が経験上成果は出しやすいし、評価もされやすいです。でも、日常生活においても無駄を省いて何でも効率的にやろうとばかり考えていたら、きっと人生が豊かにはならないよな、とも思います。

アートやエンタメを楽しむ感覚で、人間の体の無駄や人間が生み出す無駄を愛することができたなら、きっと人生は豊かです。

仕事をしている中でも、「この時間は一体何の時間だ?」と思うような時間が結構あります。少人数で動いている仕事なら、自分の行動でそういう無駄を排除できる場合も少なくないですが、関わる人の数が多くなるとそうもいかなくなる場面もあります。
まさに今取り組んでいる仕事の中でも、「この時間はいったい何を目的とした時間なんだろうか」と思う時間がよくあるのですが、そういう時に、「人間って美しいなぁ」と思える感覚を身につけていきたいな、と思う。

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