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成瀬巳喜男『めし』(1951)、怖くないですか

原作者の林芙美子、迷惑系YouTuber的エピソードをけっこう残しているひとですが(太宰治と良い勝負)ヒットメイカーとして当時のメディアに重宝されていた雰囲気は没後まもなく映画化されたポスタービジュアル()の惹句
「林芙美子の絶筆を10大スタアが心をこめて描く東宝美麗巨編」
からもなんとなく察せられます。
ちなみに別のポスター()には
「ほのぼのと心暖まる生活への愛を謳う映画詩!」
とあり、そのわりに原節子の表情……という感想になるわけですけれど。

映画あらすじをコピペしようかとアマゾンプライムを探したら盛大なネタバレをやらかしており、物語の先行きを気にするモチベーションに拠る作品ではないにしても、お行儀よくないねえ。とあきれました。
ところが、じゃあ、って見に行ったネットフリックスの紹介文がこっちはこっちでおざなりな印象を受け、文句をつけた末に下記はアマゾンの流用です。ただしネタバレ箇所は省略。

大阪で暮らす倦怠期のサラリーマン夫婦のもとへ、東京から華やかで奔放な姪がやって来て家庭の空気を乱すようになる。(中略)日常生活の中での些細な出来事を、心の微妙な動きと共にきめ細かく捉えた秀作。この作品をきっかけに成瀬は戦後からの長いスランプを脱し、次々に傑作を生み出していく。

いまこの60年前の作品を見ると、感想は
・原節子がキレイ
・最後はあれでいいのか
・時代的には仕方ないのかも
というあたりに落ち着きそうですが、私が連想したのは『天才作家の妻 -40年目の真実-』(2017)というアカデミー賞で主演女優賞を争った作品でした。
原題(The Wife)のそっけなさ-そりゃ「めし」には負けるけど-が示す通り、万人に好かれようという色気を捨てていて、オトナ向け。

グレン・クローズとジョナサン・プライスの夫婦、とにかく旦那が奥さんのことを何ひとつ理解していない。って話が描かれ、己が家庭を振り返って感想はないか。って問い詰められたら、って想像するそのストレスだけで死ねる。が飛行機のなかで見たときの私の感想だったのですが、成瀬の『めし』も、基本は同じ。
原節子、上原謙夫婦の認識の齟齬が描かれ、ただ、
・最後はあれでいいのか
・時代的には仕方ないのかも
って結末を迎えます。

……ってことになっているんですけど。
私、その見方には異論がありまして、なぜならずっと原節子は口に出していることばと、心情は別ですわ。ってストーリーを体現しているんです。
だから、作品の最後に彼女が採る行動の表面だけを見て「あーあ」または「しょうがないなあ」って思うのは上原謙またはジョナサン・プライス並に鈍感というべきではないのか。

私は男だから、ついうっかり「女性が本当はどう思っているかを正しく推し測ることがどれだけの難事業か」みたいなことを書きそうになりますけど、いやそれ性別関係ないですよね。本当はどう思っているか、分かった顔ができると思った瞬間から、実は自分の心を覗く労力も捨てている、そんな気がする。

なお突然『めし』を思い出したのは、下記が目に入ってきたから。

キューカー版『マイ・フェア・レディ』(1964)へのリアクションとして違和感ないのですが、作品の受容は時代につれて変わるものだ。という趨勢のなかで、それこそ公開時には「まあこの結末でめでたしめでたしだな」、60年後には「古めかしい終わらせ方だな」って受け止められている作品とされているけど、『めし』って本当にそういう話かね? という疑問を呈したかったもので。
配信サービスで成瀬巳喜男タイトルが容易にアクセスできる世の中だし、いま見てどう思うか。という感想はカジュアルに披露していくのが良いですよね。

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