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お盆のカヌーで想うこと

お盆休みを利用して福島へ行ってきた。

カヌー体験でのこと。

乗り方の説明で先生が分かりやすいように「パパ(1番力のある人)が後ろで支えてみんなを乗せてあげてください。ママ(次に力のある人)が先頭で子どもは真ん中です」と教えてくれた。

4歳の次男が不安そうに「ねぇねぇ、うちにはパパいないけど大丈夫なの??」って。

次男の不安は「この場にパパがいない」ことなので「大丈夫、1番力のあるお母さんがお父さんの代わりに後ろだよ。だからおばあちゃんは前だね」と伝えたらホッとした顔をしていた。

ただ小4の長男は…ほかの家族連れと我が家を比較していたかな。何か思うところがあったかもしれない。

パパとママがいて子どもができる。哺乳類なら当たり前のこと。

我が家に遊びに来る子どもから「パパはいないの?」という質問がよく飛んでくる。

「哺乳類だからさすがのわたしも単為生殖はできないわぁー」と伝えても笑ってはもらえない、笑。

「もちろんパパはいるよ。だけど別にところに住んでいるんだよ」とシンプルに事実を伝えるようにしている。

離婚してもうすぐ丸3年。わたしが動揺することはもうない。

外で3人でいても、誰からどう思われているか気にすることもなくなったし、飛んでくる質問にもサラリと答えられるようになった。

「兄弟全然似てないね!!」と言われて
「たしか父親は…同じハズ!!」
と冗談で返したけど、本当に父親が違う子どもを育てる母なら「似てない」という言葉にドキっとするのだろうか??

男と女がいて子どもができる。生殖機能から始まる家族の形は、そのあとは自由であって然るべきだけど、多様化する社会の中でまだまだ旧態依然とした家族の形がデフォルトで、シングルマザーとして生きる中でさらにビシビシとそれを感じる。

わたしができる小さなことは、家族の形はひとつではないこと、愛だって男女間だけではなくいろんな形があることを我が子に伝えること。知って感じてもらって、バイヤスのない目を持つ人間に育てることだと感じいった福島の夏。


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