見出し画像

聖アンデレ(1-D) イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダは、12使徒の一人です。聖書の記載では、12番目に出てきます。

出身地などについての記載は、聖書にはなく、他の文書でも、まだ見つかっていません。

イエス教団の金庫番として、財貨を預かり、出納係をしていました(ヨハネ福音書13:29)。その意味で、聖アンデレの管理下にあったとみなして良いでしょう。

年齢は不詳で、イエスの処刑とほぼ同時に死亡しています。

イスカリオテのユダと言われますが、イスカリオテのシモンの子ユダという表記もあります。

イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。
(ヨハネ福音書6:71)

(ヨハネ福音書6:71)

イスカリオテの意味については確定した解釈はありません。これを熱心党と解釈する説があります。その場合、12弟子のうち、概ね第10番目に出てくる「熱心党のシモン」(マルコ福音書3:18、マタイ福音書10:4、ルカ福音書6:15)と「イスカリオテのユダ」は親子で教団に入った可能性があります。

ユダは、父親に付きしたがってイエス教団に入ったものの、年少で布教に出すほどではないので、聖アンデレ預かりとなり、管理部門の手伝いをしていたのかも知れません。

裏切り者という汚名

ユダについては、裏切り者という汚名がついて回ります。しかし、この点については、次のような指摘があります。

もともと、一般的に「裏切る」と訳されているギリシア語動詞paradidomiは、元来「(引き)渡す」の意である。
                                                       (荒井献『ユダとは誰か』p.198)

彼はイエスの弟子の一人であったにもかかわらず、何らかの理由で師を「裏切り」、彼をユダヤ当局に「引き渡した」ことの史実性は否定できない。これは成立しつつあるキリスト教にとって、抹消することのできない「負の遺産」であった。
ただし、最古のマルコ福音書では、ユダがイエスを「引き渡」そうとした理由については一切言及されていない。これをユダの「金銭欲」ゆえの「裏切り」とみたのは、マタイ、ルカ、ヨハネの各福音書であり、「サタン」の業とみたのはルカとヨハネであった。ユダの縊死あるいは転落死については、80~90年代にマタイとルカが証言しているだけである。
                                                           (荒井献『ユダとは誰か』p.193以下) 

イエスに対するユダの「裏切り」度合いは、最古のマルコ福音書から最新のヨハネ福音書に至るまで、それぞれの福音書の成立年代がくだるにしたがって濃くなっていて、ユダの「裏切り」に対するイエスの関わりにも変化が見られた。
                                                              (荒井献『ユダとは誰か』p.141)

イエスの死刑確定後にユダが不自然死を遂げたという伝承や、彼の死を裏切りの「罪」に対する神の裁きとみなす見解が成立したのは、成立しつつある正統的教会が、ユダの「罪」を赦さず、自らの「罪」をも彼に負わせて、彼を教会から追放しようとした結果ではないか。
                                                              (荒井献『ユダとは誰か』p.204)

ユダを描いた絵画などでも、イメージの描き方に変遷が見られます。

悪役としてのユダのイメージは中世末期からルネサンス期に確立したものであり、それまでは常に典型化された悪しきイメージで描かれてはいない。逆にユダのなした罪を過剰に表現する作例は、むしろ少数派であり、ユダの姿を、福音書のテキストに忠実かつ冷静に従い、再現した作例のほうが圧倒的に多数であると言える。
イエスの死刑確定後、ユダが不自然死を遂げたという伝承や、彼の死を裏切りの「罪」に対する神の裁きとみなす見解が成立した。それは、成立しつつある正統的教会が、ユダの「罪」を赦さず、自らの「罪」をも彼に負わせて、彼を「スケープゴート」として教会から追放した結果であることに異論はないが、ユダは本来イエスに「愛された」弟子であることも動かしようのない事実なのである。
                           (石原綱成「ユダの図像学」『ユダとは誰か』p.271以下)

裏切りの接吻

ユダがイエスを裏切った(ユダヤ教徒に引き渡した)方法は、イエスへのキスです。

イエスに近寄って、「先生」と言って接吻した。
                                   (マルコ福音書14:45、マタイ福音書26:49)

ユダの後には、大祭司連、聖書学者、長老のところから派遣された人々が剣や棍棒をもってついてきました(マルコ福音書14:43、マタイ福音書26:47、ヨハネ福音書18:3)。

ここで分かることは、イエスの廻りにすべての弟子が集まっていた訳ではないこと、そして、イエスたち一行を神殿関係者が探し回っていたこと、イエスたち一行は神殿関係者たちから隠れていた可能性があること、でしょう。

何故そのような事態に陥っていたかは後で検討するとして、なぜ追われていたのか、なぜ逃げていたのか、その原因を探る必要があることを確認しましょう。

また、その後についても留意が必要です。

弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。
                                                 (マルコ福音書14:50~52)

そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
                                                  (マタイ福音書26:56)

その場にすべての弟子が集まっていたのではない以上、聖書のこの記載は、12弟子すべてのことではない、と分かります。「皆」とあるのは、せいぜい「その場にいた弟子たち」のことでしかなく、また、「その場にいた弟子たち全員」とは限らないのです。 

ダビデの受難になぞらえて

イスカリオテのユダの話を考えるにあたっては、その他にも留意点があります。

いわゆるQ資料を伝承した集団には、イエスの近くにいた人物たちであるにも関わらず、そもそも受難についての認識の重要度が低い(ほぼ認識されていない可能性がある)ことから、そもそも受難物語自体が後世による脚色によるものである可能性が否定できないのです。 

ユダがイエスを裏切った情景が、仮に後世の追加とすると、聖書の他の部分でもしばしばみられる「旧約聖書のエピソードの焼き直し」の手法が使われている可能性があります。詳述はしませんが、具体的には、サムエル記(下)をモチーフに、イスラエル王国のダビデ王をイエスに、その息子アブロサムの参謀アヒトフェルをユダになぞらえて、後世の福音書作家たちが物語をそれらしく創り出したのではないかとも考えられる、ということです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?