聖アンデレ(1-D) イスカリオテのユダ
イスカリオテのユダは、12使徒の一人です。聖書の記載では、12番目に出てきます。
出身地などについての記載は、聖書にはなく、他の文書でも、まだ見つかっていません。
イエス教団の金庫番として、財貨を預かり、出納係をしていました(ヨハネ福音書13:29)。その意味で、聖アンデレの管理下にあったとみなして良いでしょう。
年齢は不詳で、イエスの処刑とほぼ同時に死亡しています。
イスカリオテのユダと言われますが、イスカリオテのシモンの子ユダという表記もあります。
イスカリオテの意味については確定した解釈はありません。これを熱心党と解釈する説があります。その場合、12弟子のうち、概ね第10番目に出てくる「熱心党のシモン」(マルコ福音書3:18、マタイ福音書10:4、ルカ福音書6:15)と「イスカリオテのユダ」は親子で教団に入った可能性があります。
ユダは、父親に付きしたがってイエス教団に入ったものの、年少で布教に出すほどではないので、聖アンデレ預かりとなり、管理部門の手伝いをしていたのかも知れません。
裏切り者という汚名
ユダについては、裏切り者という汚名がついて回ります。しかし、この点については、次のような指摘があります。
ユダを描いた絵画などでも、イメージの描き方に変遷が見られます。
裏切りの接吻
ユダがイエスを裏切った(ユダヤ教徒に引き渡した)方法は、イエスへのキスです。
ユダの後には、大祭司連、聖書学者、長老のところから派遣された人々が剣や棍棒をもってついてきました(マルコ福音書14:43、マタイ福音書26:47、ヨハネ福音書18:3)。
ここで分かることは、イエスの廻りにすべての弟子が集まっていた訳ではないこと、そして、イエスたち一行を神殿関係者が探し回っていたこと、イエスたち一行は神殿関係者たちから隠れていた可能性があること、でしょう。
何故そのような事態に陥っていたかは後で検討するとして、なぜ追われていたのか、なぜ逃げていたのか、その原因を探る必要があることを確認しましょう。
また、その後についても留意が必要です。
その場にすべての弟子が集まっていたのではない以上、聖書のこの記載は、12弟子すべてのことではない、と分かります。「皆」とあるのは、せいぜい「その場にいた弟子たち」のことでしかなく、また、「その場にいた弟子たち全員」とは限らないのです。
ダビデの受難になぞらえて
イスカリオテのユダの話を考えるにあたっては、その他にも留意点があります。
いわゆるQ資料を伝承した集団には、イエスの近くにいた人物たちであるにも関わらず、そもそも受難についての認識の重要度が低い(ほぼ認識されていない可能性がある)ことから、そもそも受難物語自体が後世による脚色によるものである可能性が否定できないのです。
ユダがイエスを裏切った情景が、仮に後世の追加とすると、聖書の他の部分でもしばしばみられる「旧約聖書のエピソードの焼き直し」の手法が使われている可能性があります。詳述はしませんが、具体的には、サムエル記(下)をモチーフに、イスラエル王国のダビデ王をイエスに、その息子アブロサムの参謀アヒトフェルをユダになぞらえて、後世の福音書作家たちが物語をそれらしく創り出したのではないかとも考えられる、ということです。