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できれば、危険に自分で気づけるように

枯枝でドキリとしたことがありますか?
私は以前こんなことがありました。

あるとても風の強い日、講義のために大学に向かっているときのこと。
ソメイヨシノの古木の並木沿いに歩き、門の手前にたどり着きました。

すると。門に最も近い木の下枝が枯れているのが目に入る。やや太い枝です。
と同時に目に入ったのは、その枯枝の真下に心地よさそうに座って誰かを待っている男子学生の姿。

通りすがりに思わず、こう声をかけました。
「頭の上に枯枝があるから、落っこちてくるかも。今日は風も強くて危ないから、ここにいないでくれる?」と。

でも、たぶん、頭上に枯枝があっても、ほとんど気にしない。
今は、それがふつうかな、と思います。

日本は、他の国と比較すると安全な国、と言われた時代が長かった。
今はそうでもなくなっていますが、それでも、意識の切り替えは、簡単ではないですよね。

自分の身の回りの安全は、誰か他の人が責任を持って保ってくれているはず、という安心感…

けれど、安心だと思い込むことで、実は安全から遠ざかっているのかも?と最近感じるようになりました。

枯枝の話に戻ると。
枯枝の落下、というのは、比較的予測しやすいタイプの危険です。
いつ落ちてくるのか?という時期の予測はむずかしくても、いつかは落ちてくる可能性が高い、と。

だから、樹木の点検作業の時は必ず、枯枝の有無を確認。
あるときは、位置、枝の長さや太さ、高さまで記録することもあります。

おもしろいな、と思うのは、天然記念物などの文化財担当、森林関係の会社経営などの仕事をされている方と、一度でも一緒に枯枝の点検をすると、その後は、ものすごいスピードで、次々と発見するようになること。

枯枝チェックを長年仕事にしてきた人にも負けない早さなので、ちょっと競争みたいになります(苦笑)。

他の例で言えば、私の関わっている森のようちえんの方もよく見えているみたい。

で、確信したのです。
枯枝発見、というのは、慣れの部分が大きい。
そして、その重要性が腹落ちしている人だったら、それほど訓練しなくても、必ず見えるようになるのだ、と。

だから、身の回りの木に枯枝があったときには、気づける人が社会に増えたらいいな、と感じています。
それを仕事にしていなかったとしても。
で、気づいていない人に、教えてあげる。

知らない方に声をかけ、伝えるには、多少の勇気が必要です。
が、それも、安全のため、と思えば、できるようになるはず。

こういう日常の積み重ねで、少しでも、木との共存がしやすくなれば、地球沸騰化などの環境の悪化に、少しでも歯止めがかけられるのでは?と希望がもてます。

日野市の枝の落下事故は、予測のかなり難しいタイプの危険でした。
だからこそ、なんとか予測できる危険に対しては、できることを増やしていきたい。そう願っています。

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