望む未来につながる想定?
経験を重ねて、「想定外」を最小限にしたい。
これは、小さいお子さんを育てつつ、たくさんのやりたいこともやりながら、森のようちえんに関わっているあるお母さんのことば。
この言葉を聞いて、自分もそうありたいし、
社会もそうであったらいいのに、と思いました。
何か事故が起きると、責任の所在がまず問題になり、
それは想定範囲の外か内か? というのが問題にされます。
最近しばしば起きる、自然災害やヒューマンエラーなどに起因する、
トラブルや事故の数々…
だけど、改めて考えてみると、人間が予測できることって、
どれくらいたくさんあるのでしょうか?
自然相手に仕事をしていると、人間にわかる、予測できることの少なさに
途方にくれる気持ちになることもあります。
だから、起きてみてはじめて、ああ、このパターンもあったのだ、
と気づかされることになる。
昨年のキャンプ場で起きた死亡事故の報道のなかに見た
「あってはならない」できごと、とのコメント…
現実的である、というのは、作戦を立てるうえでは、
とてもパワフルだと思っています。
実際に起きてしまった事故をみて、否定的にとらえるのか、
現実とかけ離れた想定をしていたことを理解し、
その差を縮めようと努めるのか。
想定の範囲をもっと広げないと、と視野を広げ、
現実的にできることを増やしていく方が
未来の安全にはつながると思います。
木の関わる事故に関していうと、
樹木はどのような生き方をしている生物なのか?
それを知ることが現実的な力になってくれるかもしれません。
木は、枯れた枝は落とし、全体が枯れれば、あるとき根元から倒れる。
自然豊かなキャンプ場は広く、限られた人数で運営している。
危険につながるかもしれない現象の一つ一つを
拾い上げていくのは容易ではない。
樹木に関する判断には、長年の経験や知識も必要とされる。
しかも、木の状態は日々変わっていきます。
枯枝、枯木を見つけられたとしても、
それを速やかに処理することの難しさ。
それは費用の面でも、人手の面でも言えることです。
そんな状況で、森に入らせてもらって遊び、キャンプする。
いろんな要素をあれこれ視野に入れると、
危険の想定というのは
思っている以上にむずかしいことだとわかります。
だから、経験を積んで、想定外を最小限にしたい、という表現になる。
「あってはならない」という表現は、その先に自然につながっていきにくい印象を受けます。
一方、想定外を最小限に、というと、想定、予測できることの範囲が
柔軟に変化していくイメージ。
同じことを経験したとき、それが積み重なって知恵となる(知恵とする)
のか、そうでないのか?
使う「ことば」は、その先の未来を暗示しているのかもしれませんね。
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