『甦るフレーブニコフ』音読記録その5

〈 2457字 〉

『甦るフレーブニコフ』音読記録 は、
2020年末〜2021年初めに音読した毎回の感想を改めてまとめたものです。

著者の亀山郁夫先生のzoom講義(2022年12月4日(日)10時から12時、ヒッポファミリークラブ主催)がありますので、これを機会に、と思いアップしています。

12月4日までにアップし終わるように、毎日、4日分程度アップしていこうと思います。

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2020年11月12日(木)  第7章 ギレヤーーロシア・アヴァンギャルドの誕生
                 「社会の趣味へ平手打ち」(155〜165ページ)

ロシア立体未来派の、マニフェストの数々が紹介されていきました。未来のイメージが素敵です。

イタリアの未来派が、すでに起きている機械工業文明の近未来を見ているのに対して、「ロシア」はもっと夢想的なんだと思います。

イタリアの作ったモダンな美しいデザインの数々を思い、それから、ロシアの大地に根を下ろしながら未来へ向けてのびていく、田舎の、アヴァンギャルドを空想しました。

「未来派」を表すとき、
フレーブニコフは、ラテン語起源のフトゥリストでなく、ロシア語源の動詞「ブイチ」の未来変化から造語した、ブジエトリャーニンを用いました。

〈「創造の故郷は未来にある」という言葉のもっとも本質的な意味においてのみ、フレーブニコフは未来主義者であったにすぎない。〉

しびれる文群でした。。。


2020年11月14日(土) 第8章 言葉の神々の風                                           「言語の解体」(166〜173ページ)

いよいよ!って文のところに入ってきました。
亀山さんの冷静、かつフレーブニコフの凄さにしびれている文から、フレーブニコフの作り出している、おそらく完璧な回文,その一方でスラヴ語の音の構造?に完全に従属的である(つまり、ズルはなしっていうことだと思います)という、厳しさの中に生み出されている、脅威のことばを垣間見るのです。

そのネオロギズム(造語),パリンドローム(回文)は、ロシア語の性質を極度に利用したものらしいです。

きっと日本で言うなら、いろはうた、のような、誰が見てもすごいものなんだろうな、と思います(ひらがなを全てだぶりなく使い、無常観を見事に表して、咎なくて死す、という文もパズルのように組み込んでいますよね)。

しかも、その凄さが「音」のところにある、という気配が伝わってきます。 ことばが起こってくるところから発してる音を、意味という虚実体化している言葉網の目を、すり抜けさせている技も、見事なんだろうなと思います(視覚像で書いてみました)。


「創造の故郷」「創造の母国」っていう風に二通りの表現がありました。

ことばが生まれてくるところって、本当に、夢想を誘います。

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虚実体化、ってどういうニュアンスで書いたんだろう?って思いました。視覚像で書いた、は単に「網をすりぬけさせる」ということかな。(2022年11月13日付記)

2020年11月15日(日) 第8章 言葉の神々の風
                             「世界言語への道」(174〜184ページ)

亀山さんが、このロシアのアヴァンギャルド詩人のことを熱く語るのは、その普遍性に感じ入ってるからなんだろうと思いました。

驚くほどオプティミスティックに、伝達するということが言語の本義である、というふうに考えていたようです。

それが「詩人」とは思えないほどであるというところ。

フレーブニコフ理解が始まるためには、言語学者ヤーコブソンの研究を待たなければならなかった、という記述からも窺い知れます。

そして山崎も日本語話者であるにもかかわらず、この内容を理解して感じるのは、フレーブニコフの詩作が論理的なものであったから、と思えます。

〈「全スラヴ語」の創造にみられるナショナリズムの芯を見失うことなく、「言葉に対する第二の態度」、つまり世界言語の創造というグローバルな視座に飛びたとうとするのである。〉

〈その具体的な方法論において中国語や日本語の表意文字を射程に収めつつ、〉

って一体どういうものなんだろうか。まだまだ、この本の1/3にも達していないですから、先が非常に楽しみです。

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漢字を射程に収めつつ、というのは、文字の形を利用したグラフィックな表現ということなんだろうな、と、前に読んだ北園克衛のことなど思い出しました。それとヒッポのレターシステムも。(2022年11月13日付記)

2020年11月16日(月) 第9章 詩と絵画
                        「ボベオビと唇は・・・」(185〜191ページ)


ロシア語の音を味わってもいないのに、 うんうんわかるわかる、って思いながら読みました。
ロシア・アヴァンギャルドの絵描きと詩人の蜜月が描かれていましたが、 私がロシア語の音を聞いてないのに、なんかすごく想像できてる、 というのが、 フレーブニコフの詩が音自体ではなく、音の法則を使ったものだからだろうな、と思い、 そのことが、 絵描きと詩人の「わかりあい」にもあったんじゃないかなと思いを馳せました。

そことは違ったところで、印象的だったのは、 決まった形の完成をさせない(エスキースの詩人、とも)という作品のあり方です。(実は、今日、山崎が、ブログ用に書いていたことが出てきた!って思いました。まだアップしてないですけど。)

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この頃、ロシア語のYouTubeを検索するという頭が全然なかったです。今、Велимир Хлебников(ヴェリミール・フレーブニコフ)で検索するといっぱいありますね。
Google翻訳で音声を文字化(英語)するとなんとなく意味も感じれるので、これでフレーブニコフの詩の朗読を探してみたい、と思いました。(2022年11月13日付記)

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