『甦るフレーブニコフ』音読記録その2

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『甦るフレーブニコフ』音読記録 は、
2020年末〜2021年初めに音読した毎回の感想を改めてまとめたものです。

著者の亀山郁夫先生のzoom講義(2022年12月4日(日)10時から12時、ヒッポファミリークラブ主催)がありますので、これを機会に、と思いアップしています。

12月4日までにアップし終わるように、毎日、4日分程度アップしていこうと思います。

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2020年10月26日(月) 第2章 自然ー孤独な鳥の夢想 
                 「出自」51〜58ページ

地図にマークをしながら読まないと。

ロシアに疎い山崎は読み流してしまい、後でたにがきさんから、こどもの時にとても遠い地域に引っ越しを何度もしたことが、きっと詩人に影響与えたんだろうね、と言われて(そうだったんだ)と思いました。

・マル・デルベトゥイ(ヴォルゴグラードの南約80キロの小集落)生まれ(1885年)
・6才でポーランド国境に近いヴォルインスキー県パドルージノエに転居(1891年頃)
・その後ヴォルガ中流域シンビルスク県パマーエヴォ(短期間親元を離れ中学校にかよう) 一家でカザンへ転居(1898年)。

カザンについて「タタール人の都」「アジアの諸民族がひしめきあう、混血の都市」と書かれてあります。

フレーブニコフにとって「血」(出自)はとても重要でした。

母は歴史学を学んだインテリ。母方の家系「ザポロジ・コサックの血」=歴史上名だたる冒険家を生んだ。それに加えて、ジプシーの血も混じっていると伝えられる。

父方の家系「アルメニア人の血」。 父は自然科学者(動物学)でヴォルガ自然保護区開設などに尽力。

最初期の詩「籠の鳥」(1897年)の一部が引用されてあります。ありふれていて、のちのこの詩人を思わせることばの目新しさなどは感じられないと書いた上で、フレーブニコフについて、みんなが思うイメージ「孤独な鳥」、は、すでにここに現れていた、と書かれていました。


10月28日(水) 第2章 自然ー孤独な鳥の夢想
             「カザン時代」(58〜70ページ)

1903年9月フレーブニコフは、カザン大学の数学科に入学した。
カザン大学は非ユークリッド幾何学の創始者ロバチェフスキーの登場で世界的名声を得ていて、また近代言語学におけるソシュールの先駆者と目されるクルトネと彼の流れのカザン学派の活躍ある。

また、当時、革命運動の新しいメッカであり、フレーブニコフも抗議デモに参加し、逮捕され1ヶ月の拘留生活を体験した。このことが詩人の心の姿勢にどのような変化をもたらしたかは書かれたものが少なく、はっきりしないが、抑留後に自然科学科への転科がある。

「指小形」初めて見る言葉だったので、思わず、指人形と読んでしまった(笑)小さいとかそういうを表す形で、ロシア語の場合は、きっと、多分、語尾について、〜チカとか〜シュカとか、そういうやつだな、と、なんとなーく勝手に解釈しておきます。
引用の詩の「小舟」などの言葉がそうなっているのだろうと思います。
可愛い感じ、なのかな。「フォークロリズムへの関心のきざし」が「指小形を多用した文体」に現れている、ということだから、何か昔話を思わせるリズムやら音を持っているというのだろうか、と想像しました。

音読をしていて感じるの次のようなことです。

この本の文は長く、地名や人名も多いのでイメージが多岐にわたって、文の読み初めに、文の終わりを見通せないことも多く、手探りというか音探りで一つ一つの音のイメージを味わっていくのを体験する感じです。
手で触っているところから、すごく遠くまでイメージを広げる、というのか。

黙読ならば、もっと行ったり来たりしながら、それなりの理解の筋道を作りながら読むに違いなく、また、それをするのはとても骨の折れることだと思うので、山崎一人では、多分すぐ挫折するでしょう。

音読みすることで、その困難を感じることなく、地名や人名の音、それぞれの短いフレーズの意味や音を味わいながら、曖昧なイメージの翼を広げることができる、というのは、大きな発見と思います。

もしも文が短く、するするとわかってしまうようだったら、こういう気持ちは生まれない、と思いました。

だから、とても「わかる」感じがします。

そして「わかる」内容を、この文を紹介しながら書くのは、無理です。
が、フレーブニコフが、そんな感じなんだな、というのはすごく「わかった」気がしています。

10月29日(木) 第3章 「対馬」体験 
 「ものはみなあいまりに蒼く」「自閉の季節」(71〜81ページ)

はじめの文章と次の文章から1文づつ、以下に引用(〈〉の中)します。

〈1905年5月、対馬沖、日本海海戦でのバルチック艦隊壊滅のニュースはロシア全土を衝撃の渦に巻きこみ、当時、ウラル山中で鳥の生態観察に没頭していたフレーブニコフの心にもきわめてはげしい動揺をひきおこした。〉

〈フレーブニコフの自閉と沈黙は、まさにこの動物的ともいうべき敏捷性と表裏一体のものだった。〉

「くやしい」という気持ちが、近頃気になっている山崎です。
この時代(ロシアにしろ日本にしろ)国の敗戦を、自分の痛みとして感じる危機感が、国民に共有されていたのだなと思いました。 また、将棋の石井聡太さんが幼少時に、負けた時に悔しさに涙を抑えることもない様子と身近な小学生が同じふうに悔しがっているのもみましたし、スポーツをしている高校生の息子も同様な気持ちを口にしてました。
山崎自身の原動力もそれ、かなりあります。が、原動力とする一方、涙は封印している、これは不自然な力を生んでるかもしれないです。

10月31日(土) 第3章 「対馬」体験
                                               「物語詩人の誕生」(81〜89ページ)


(今日も、長文となってしまいました。自分の頭の整理に書いている状況なので、もし読んでいる方には、申し訳ないです。。。)

「対馬」体験、その言い表し難い激情によって、フレーブニコフのことばは、凡庸なことばからは、離脱してしまったみたいです。
多分、抒情詩、つまり主観(自我)でもの(オブジェ)のことを書くということをしているように見えながら、実際はその構造が破壊され、すでに物語詩の形になっていっているということではないかと思います。
散文で闇について書く中で、そのような形式が選ばれていったのかな、と想像します。新たなことばが生まれてくることを、激しく予感させられました。
と、思いながらも、連発される「オフジェ」という言葉が、そんなにはよくわからなかったです。これは参加の方々もおっしゃっていました。(山崎は、とりあえず、上のように単純に、もの、モチーフ、詩の題材、というふうに捉えましたが。)
にもかかわらず、僭越ですが、わかった感があり、今、よくわからないまま、この本を音読み、ブログを書き始めた自分の動きと重ね合わせながら、読んでいました。(この文自体も、混乱のままに、放り出していますけれど。)

3章の、最後の一文を引用します。

〈激情的でありながら、自己を喪失している詩人、1905年という出発点に立った詩人の姿とはそのようなものではなかったろうか。〉


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指小形ししょうけい、あらためてWikipedia見てみると、説明少ししかないけれど、実例が面白かったです。この「指」は「示す」っていう意味ですね。小さいことを示す形、ということですね。
                                                                               (2022年11月10日、付記)


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