『甦るフレーブニコフ』音読記録その1

〈 2919字 〉

『甦るフレーブニコフ』音読記録 は、
2020年末〜2021年初めに音読した毎回の感想を改めてまとめたものです。

著者の亀山郁夫先生のzoom講義(2022年12月4日(日)10時から12時、ヒッポファミリークラブ主催)がありますので、これを機会に、と思いアップしています。

12月4日までにアップし終わるように、毎日、4日分程度アップしていこうと思います。

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2020年10月21日(水)「はじめに」の1、2(11〜18ページ)

放浪の詩人の死のシーン、その糧のもとの両足から徐々に腐る病に侵されている、という冒頭でした。

かみとまいさんが、フレーブニコフ、亀山郁夫さん、榊原陽さん、について色々話してくださり、良かったです。

絵本をこどもたちに読めたらいいな、から始めたこのzoom。気づけば、今日は全て「詩」に関する本です。ことばってなんだろうなってことまで、全部ことばで考える自分や人間ってものに面白味を感じてます。

手製本やっていてもそうなんですが、仕組みや構造に興味があるのです。

しかもそれが、客観的なことではどうしようもならなくて、主観つまり自分の中にしか答がなく、しかも自分の中で答を出すのは始まりにすぎない、ことに希望を感じてます。

ことばが人と人の間に行き交う、ということに、「人間」が生きている、ということがあると思います。
そして、ことばというもの?こと? について、どう理解するのかということについては、ブログもまもなく新しくはじめて、書きます。自分の「手製本」という技術も、ことばのトレーニングとして、経てきたと理解でき、そのことも、ことば、につなげて考えられるようになってきました。

パンデミックで、リアルに人と接触することが減少し、人と人の関係が「書きことば」(情報、と言い換えても同じ?画像も音も映像も全てが情報ではあると思いますが、それを「書きことば」と表現するのは、意味を拡張しすぎですね、さすがに。)が主となって、それはインターネットによる人と人の関係が爆発的に増加したことと密接に関係しているというのが現在です。

このパンデミックが終わった時に、どのように、色々が変わっているのかが、とても興味があることです。こんなことを書いている自分は、ほんの二ヶ月前に「どうして行ったらいいんだ!」と心が右往左往していた自分とは、随分変化して、実験を楽しむ状態になっています。

zoom本読みは自分にはとても良いことですね。


10月22日(木) 「はじめに」の3(18〜23ページ)

たくさんの、示唆的なことばが散りばめられて、これから始まる長い著述がとても楽しみになりました。この「はじめに」は著者の捉えた、フレーブニコフのキラキラするところが、いろんな角度から見たように捉えられていると思いました。山崎の印象に残ったのをちょっとだけ引用します。

〈「自分の死を平然と迎えることができる」と豪語しつつ、生涯にわたって、しつつ生涯にわたって、死の全能性の奪還をたくらみ続けていくのである。〉

〈かりにフレーブニコフという一人の詩人が何らかの重大な意味をもちうるとすれば、それはまさに人間の歴史と言語をめぐる巨大な反省的思考のゆえにほかならない。〉

〈たしかに詩人はこの肩書にふさわしいおそるべき〈地球知〉の領有者だった。〉

などなど。

山崎の勝手な空想では、ことばがまだ音を持たず、一個体の中に概念化をする機能として、突然変異でできてしまった時、その人から発せられる声のことばは、犬や猫とのやりとりのように周りの仲間と使われていたのかもしれない。

人の中には、まだことばにならないことばの海?宇宙?なんか広い場所みたいのがある。イメージだけの世界?全てのことばは、そこから音の形になって現れる。時間的順序を持ったものとして。概念化、っていう仕組みには、時間的順序は、無いのかな?

あ、今空想するのは、そこは難しいな、山崎には、まだ。

山崎が思ったのは、そのまだことばにならないことばの海、概念化の海、みたいなところから、声のことばが現れてくるその、まさに「生まれてくる」感じに届こうとしたんではないか、と想像しました。

その概念化の海、みたいなところは、現れたことばより、全ての人に共通する「からだ」みたいなものかなと。
それだから、きっと難解なのにも関わらず、プロフェッショナルである詩人たちには、とても響く、誰の中にもある、概念化の海みたいな、人として共通するものとして持っている「元」のところに届くものとして、響いたんじゃないか。
わからないけれどわかる、や、それがわかるに変わる、みたいな気持ちを味わうことができたんじゃないでしょうか。
「元」からことばが生まれるのはすごく感動する、嬉しい体験だろうな、と思いました。ことばは人からもらうもの、なのですが、自分の中から生まれてくることば、というものが、最初のことばだったと思うし、その追体験と、理解と、を、多くの人に提示したフレーブニコフは、きっと、新しい、ことばについての仮説?を提示した、物理学で言ったらニュートンとかアインシュタインとかハイゼンベルクのような人だったのかな、と想像しました。
という風に、今までに知った、フレーブニコフについてのことなどから、勝手な空想をしてみました。読み終わった時にどう思うのでしょうね。

10月24日(土) 第1章 水の迷宮、混血の都市」の「幻想のトポス」(25〜34ページ)

アストラハン。「ロシアでもっともむきだしの、もっとも存在論的な町」「フレーブニコフを解く鍵の一つ」と、1920年代の亡命批評家ドミトリー・ミールスキーのことばが繰り返して引用されます。
水の迷宮=カスピ海に注ぐときのヴォルガ川はたくさん枝分かれし、葦の叢生する浅瀬は70にも及ぶ入江を形成する。 混血の都市=隊商の町であり、古来数々の民族が通り抜け、人種のるつぼと化した。 時間的にも空間的にも異質なものが交わる地理的位相を持ったこの地から語り始めることが、フレーブニコフには相応しいらしいです。それにしても、存在論的な町、とは⁈(この言い回し、日本語の技なのか、ロシア語の技なのか、どちらでしょう)

10月25日(日) 第1章 「水の迷宮、混血の都市」の「水と血の象徴」(35〜50ページ)


エジプトの太陽神ラー、ヒンズー教のシヴァ神とかカーリー、アストラハンゆかりの民衆的英雄ステンカ・ラージン(古代ロシア語のアナグラムで太陽神ラーの眼と読みかえて詩にしている)、ヴォルガとガンジス、ロシアとインドと中国の物理的混血などなどのことばことばことば。
羅列しても、音読みしてるときの気分は出ないです。昨日の書き出しは、少しそんな気分が出たのですが。亀山さんのこの文をつっかえながら読むのは、正直、すごく楽しいです。山崎がずっと音読むつもりでいますが、一方、1人で独占するのは強欲かも、とも、思いました。音読みたいかた、ご遠慮なくどうぞ、おっしゃってください。短くても、途中でも、いいです。
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音読を、おんよみ、と使いたかったのを思い出しました。(2022年11月9日、付記)


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