見出し画像

2023_0621_本読み

<1287字>

冒頭の写真:
なかなか雄花と雌花が同時に咲かないので、昨日は絵の筆で花粉をとりました。それを今日はこの↑雌花に人工(?)受粉してみた。
前日の花粉は有効なのかな。


6月21日(水)は以下を読みました。


『巨匠とマルガリータ』 
ブルガーコフ 著

集英社 世界の文学15 ロシア Ⅲ

三人目の人物登場。
編集長ベルリオーズと詩人ベズドームヌイの会話を小耳に挟んだ男。
片方の目が緑色の、外国人(?)だが流暢なロシア語でいろいろ意見を言ってくる。事件の予感満々である。

(音読した人:山崎)





『沖縄ノート』 大江健三郎 著 

岩波新書
Ⅲ 多様性に向かって

薩摩から攻められて、清朝に助けを求め北京に行った林世功のこと、驚きました。漢詩を残して自死、という結末にも。その七言絶句が引用されていました。古来、忠孝、憂国、一死、などの言葉が見えます。
と、書いたのですが、そう単純に言えることではなさそう。

ちょっと検索して、沖縄処分とか沖縄併合ということばが見つかり、幕末から明治にかけて沖縄が日本になった事象は簡単ではなさそうでした。
歴史をいろいろ読んでみないとわからないと思いました。


大学が沖縄だったたかはしさんが、本島は4つの国に別れていたとか、宮古島は流刑地だった、とか、各島々にいろんな人々が住んでいた、とかしゃべってくれました。

そして、6月23日は「慰霊の日」という記念日であることも(山崎が、これを知らなかった、というのも非常に問題ですね。頭に刻みました)。

(音読した人:こいでさん)





『日本幻獣図説』 湯本豪一著  

講談社学術文庫

鬼。面白い存在です。
首と左腕の干物が見せ物になる、というのの経緯が面白かった。
酒呑しゅてん童子と茨木いばらき童子の話がその元。
前者は切られた大首が京都で晒し物になり、後者は切られた左腕をとりもどしにくる、というお話。どちらも今昔物語にあるのかな?

山崎は永井豪の酒呑童子を思い出しました。
こういうものって時代が変わっても繰り返し繰り返し現れてくる、何か人間の本性からくるものなんだろうなと思いました。

(音読した人:みこしばさん)





『正岡子規 新潮日本文学アルバム〈21〉』  

新潮社

政治に関心があった子規、というところでした。
子規や漱石の生まれたのが1867年(=明治元年)、わたし山崎が生まれたのは1962年なので、だいたい100年弱前の時代。
この本だけでなく、いろいろ読んでくると、

子規の時代はすべてを新たに構築していく時代で、
私の時代は構築され終わって維持されているうちに腐ってる時代

のような気分を感じます。
子規は政治を普通に自分の問題と感じ、
わたしは見ようともしない、接点を見失ったまま、
なのはその気分の表れです。

(音読した人:めいさん)





『芭蕉七部集』  中村俊定 校注

岩波文庫
『猿蓑』

〈 今は世をたのむけしきや冬の蜂 〉

冬の蜂の雰囲気は、なんとなくわかる。
けれども「たのむ」とはどんなことなのか。
運命に身をまかせつつも、次の春に期待する、越冬する女王蜂、なのかな?

(音読した人:山崎)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?