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2023_0705_本読み

<1554字>

冒頭の写真:
10年ぶりくらいの、梅干し作り。この日差しは干さねば、と干しの初日。
少量なのもあるのか、カビもなく順調です。


7月5日(水)は以下を読みました。


『巨匠とマルガリータ』 
ブルガーコフ 著

集英社 世界の文学15 ロシア Ⅲ

若い頃に読んだ、小説のタイトルになっている「バラバ」という名がでてきて、この人の代わりにキリストは処刑されてしまうのだったな、と思い出しました。ヨシュア(=キリスト)は処刑をまぬかれそうな雰囲気もあるのですが、実際はそうはならないわけで、その流れの変わり目をどのように著者は作っていくのだろうか、と思います。
その要素として、先回はピラトの偏頭痛がありました。今回は燕の飛翔がありました。

(音読した人:山崎)





『沖縄ノート』 大江健三郎 著 

岩波新書
Ⅲ 多様性に向かって

謝花昇じゃはなのぼるの名前を初めて聞きました。
沖縄の人の心を一つに集めるようなシンボルのような人、というふうに感じながら聞いていました。

沖縄の自由民権運動を主導したが、政治的に潰され心も病み、若くして亡くなった人のようです。

(音読した人:こいでさん)




『ぼく、あいにきたよ』 明川 哲也 作, 児嶋 サコ 絵 

文藝春秋

衝撃の展開になるらしいです。そう読み手から予告されて聞いているので、なんだかそわそわします。次回に続く、です。

(音読した人:めいさん)





『日本幻獣図説』 湯本豪一著  

講談社学術文庫

鬼についてが続きます。
交通機関が発達して、どこにでも行ける時代になると、単にミイラがあるだけではネタにならず、大学の先生の鑑定などが雑誌の広告に載ったりします。アフリカのコンゴで見つかった身長3メートル越えの鬼の骨格とか(これは昭和、それも戦後?のもの?だったかな)簡単には行けないような場所が使われるようになったり。

そして、それも無理になって、もはや現代では鬼というものは絶滅した、と書いていました。河童は絶滅していなくて、鬼は絶滅したもの、としていたように記憶したのですが、その理由をちょっと忘れてしまいました。

が、これからも鬼の復活はあるだろうな、となんとなく思う山崎でした。

(音読した人:みこしばさん)





『俳句的生活』  長谷川櫂 著

中公新書
第12章 老い

今回は『瘋癲老人日記』の谷崎潤一郎のことでした。息子の嫁に性的な思いを募らせ行動する老人がリアルに描かれているみたいですが、自分自身をモデルとして観察した突き放した視点が、笑いとか明るさを作っているそうです。
山崎は、引用を聞いて『痴人の愛』を思い出し、読み手のきよもとさんは実際に読んでみたら『細雪』のようななまなましさはなくてほっとした、というような感想でした。

(音読した人:きよもとさん)





『芭蕉七部集』  中村俊定 校注

岩波文庫
『猿蓑』

〈 からじりの蒲団ばかりや冬の旅  暮年 〉

この、からじり、という言葉の注に

〈 軽尻馬、本馬の半分量の十八貫の荷をつけた駄馬。〉

とありました。

いろいろ検索して、Wikipediaの、駄賃馬稼だちんうまかせぎという項目を発見。戦で人を乗せたり速く移動したりする馬が価値の高い馬で、荷物の輸送などに使うそれ以外のが「駄馬」と呼ばれていたそうです。注にある「本馬」が駄馬なのかそうでないのか、「からじり」も人を乗せていたのかはすぐには調べられず。

山行にはシュラフ持っていくけど、芭蕉の時代の人、冬は蒲団持参だったのだろうか?いや旅じゃなく引越しか?「膝栗毛」は馬じゃなくて自分の足であるく、という比喩だそうだから、馬と使うこと自体、高級なんだろうな、とか、この句の意味するところをいろいろと考えるのが面白いです。

(音読した人:山崎)

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