『甦るフレーブニコフ』音読記録その14

〈 字 〉

『甦るフレーブニコフ』音読記録 は、
2020年末〜2021年初めにzoomで音読した毎回の感想を改めて書き出したものです。

著者の亀山郁夫先生のzoom講義(2022年12月4日(日)10時から12時、ヒッポファミリークラブ主催)がありますので、これを機会に、と思いアップしています。

12月4日までにアップし終わるように、2日分程度アップしていこうと思います。

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2021年1月18日(月) 第23章 復讐の詩ーー革命四部作
「パヴォルジエの飢饉」
(466〜473ページ)

イランからロシアの戻った詩人を待っていたのは、飢饉、インフレ、難民、と内戦後のひどい状態のパヴォルジエ地方。

そこで詩人はプロパガンダ詩「鳴らせ、叫べ、運べ!」を書き、
それは

〈テレク県全体に1200部貼り出された〉。

前に、たにがきさんが話してくれた通り、ロシアにはそういう掲示板があるそうです。今もそうなっているのでしょうか?

山崎の近所には、町会や自治会、そして区の掲示板があるけれども、そこに「詩」は貼られていないです。それに、そこに人がすごく立ち止まってることもあまり無いです。

2021年1月21日(木) 第23章 復讐の詩ーー革命四部作
「「復讐」の四幅対」
(474〜485ページ)

1921年の秋の2ヶ月、テル・ロスタ(公的機関?よくわかりません)の夜警として雇われながら、膨大な量を書いていたのですが、多くが草稿の段階で放棄されたり、

〈ハリコフ時代の傑作「ラドミール」にみられたあのユートピア幻想の輝きはみあたらない〉

とのことです。
引用されている詩句も、普通の世界の中での劇を観るような雰囲気で、
わかりやすさはありました。

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あらためて地図を見ると、テヘランはカスピ海の南端から100キロぐらいのところにあんですね。

フレーブニコフはギーラーン共和国(イラン・ソビエト社会主義共和国)支援のための軍に同行して、カスピ海を船でイランへ。イランの近さ、そしてそこにもソビエトができた時代があったことに驚きました。

カフカス山脈を越えて「ロシア」にもどっていった1921年の秋から冬はものすごい飢饉で屍累々だった描写もあり、10月革命後3〜4年のソビエトはひどい状況。
(2022年11月26日追記)

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